『親鸞』
親鸞と聞くと、親鸞の弟子である唯円が編纂したとされる「歎異抄」、倉田百三氏の「出家とその弟子」、を思い出し、最近では、五木寛之氏の「親鸞」なのかなと思います。
こう書いてみても、どれもまだ読んだことがありません。「親鸞」とはどんな人だったのか?
まだ、あまり理解ができていませんが、知りたくなり、簡単ではありますが、まとめてみました。
倉田百三氏の「出家とその弟子」、山折哲雄氏の「親鸞をよむ」を参考にしてみました。
親鸞は、浄土宗の開祖である法然の弟子であったが、当時、旧仏教側の非難により、法然や親鸞の念仏運動に弾圧の嵐が吹き荒み、法然が流罪の刑で四国土佐に流され、親鸞は越後に流されるという、大変な経験をしている。親鸞35歳のときです。
一方、戦乱の時代の中で、長寿90歳まで生きられている。
「教行信証」という膨大な著述を残されており、刻苦精励して勉強をされた跡があると言われている。
また、親鸞には恵信(尼)と言う妻がいましたが、息子善鸞は、恵信(尼)と出会う前、流刑される前にできた子と言われている。その後、善鸞は放蕩息子であったことから、親鸞は善鸞を勘当をしている。
「出家とその弟子」の中では、親鸞最期の時に和解をしている。
自らを「愚禿親鸞」と呼ばれている。
『悪人正機説』について
善くならなくては、極楽に行けないというのであれば、もう望みはありません。しかし悪くても、別な法則で極楽参りがさせて頂けると信じているのです。それは愛です。赦しです。善、悪を超えて働く力です。この世界はその力で支えられているのです。その力は善、悪の別より深くてしかも善悪をうむものです。
仏様は私たちを悪いままで助けて下さいます。罪を許して下さいます。それが仏さまの愛です。私はそれを信じています。それを信じなくては生きられません。(倉48頁)
そのためには、阿弥陀如来に『南無阿弥陀仏』と念仏をとなえれば善いのである。(山90頁、倉221頁)
悪人とは、いわゆる悪人だけを指すのではなくて、普通の人間であっても、人に隠したいことはあるわけです。
「定散の凡夫」と言う言葉が出ていました。(善悪によらず)人間の心の実相、人間の心は刺激に依って変じます。私たちの心は風の前の木の葉の如くに散りやすいものです。心が散り乱れて動く状態を言っています。
『他力本願』について
他力の信心(倉48頁)とも呼ぶのでしょうか。仏や菩薩の力によって悟りに導かれ、極楽浄土に往生しようとする事。
ここには、「業」(倉49頁)というものも関係していると思います。「業」とは、人間の未生以前から存続して働く一種の力と見なされ、これによって一つの行為は必ず善悪、苦楽の果報をもたらす、という輪廻の思想とあります。自分ではどうしようもない事もあり、それは念仏をすることで、仏や菩薩に導かれるようにすることも大切であるとしている、と感じました。また、私は、念仏をすることで、「学ぶ」と言うことの楽しさも伝えたかったように思いました。
また、「出家とその弟子」の中にあったのですが、「互いに気に入らぬ夫婦でも「縁」あらば一生分かれる事は出来ないのだ。墓場に入った時は何もかも解るだろう。そして別れずに一生添い遂げた事を互いに喜ぶだろう。」という一文がありました。
倉田百三氏26歳の時ですが、既に随分と達観をされているな、と思いました。
親鸞は大変な経験をされていますが、なにか「高尚」と言うよりは、とても身近に感じることができる方のように感じました。
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