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2010年7月19日 (月)

「アドラー人生を生き抜く心理学」 岸見 一郎著 を読んで

アドラーは、フロイトとは「人間の本性」について、まったく反対の考えにある。

フロイトは、攻撃欲求、性的欲求により、破壊的、攻撃的な行動へと帰結するとしている。

フロイトは、戦争を目の当たりにして、死の本能を着想している。これは自己破壊衝動であり、外に向かうと攻撃性になる。フロイトはこの攻撃性を「人間に生まれつき備わる他者を攻撃する傾向」と言う。

アドラーは破壊的、攻撃的な欲求は、有用な行動、資質を引出し、社会的に有用なチャネルに変容されることまでも視野に収めている。これを「文化」、「生まれつきの共同体感覚」に置き換えている。それを目指すのが人のあり方であると考えている。

共同体感覚は、他者の存在を認め、他者にどれだけ関心を持っているかの尺度である。そこで、アドラーは「共感」を重視する。共感ができるためには、相手と自分を同一視し、この人ならこの場合どうするだろう、と言わば相手に関心に関心を持たなければならない。「他の人の目で見て、他の人の耳で聞き、他の人の心で感じる」は共同体感覚の許容しうる定義であると思える。

実際には、自分のライフスタイルからしか他者をみることはできないけれども、少なくとも自分の見方、感じ方、考え方が唯一絶対のものではない事を知っていなければ、他者を理解知ることは出来ない。他者のことはわからない、と思って、そのことを前提に人を理解することに努める方が、他者の理解に近づく。

人生において最大の困難に遭い、他者に最も大きな害を与えるのは、仲間に関心を持っていない人である。人間のあらゆる失敗が生じるのは、このような人の中からである。

「三歳の時に私は怒るのをやめる決心をした。その日から、私は一度も怒ったことはない」、

叱るということに、怒りの感情が伴わない人はないだろう。アドラーは、怒りは人と人を引き離す感情である、といっている。

叱る人は、相手を自分と対等とは見ていない。対等だと見ていれば、そもそも叱ることなどできないはずである。たとえ何か行動を改めてほしいことがあっても、相手が自分と対等だと思っていれば、叱る必要を感じないし、できないだろう。自分よりも下だと思っているからこそ叱れるのであって、その際、対人関係で下に置かれた人はそのことを嬉しくは思わないだろう。

また、日本語では、叱ると怒るは違うとみており、「人を叱る」というのは、相手のためを思って心に余裕があって行えることであり。「怒る」というのは、感情の赴くままに感情を爆発させた状態である、と書かれているが、アドラーは「叱る」の中にも怒りはあるとしている。

ついつい子供を叱ることがある。また、大人は会社の縦社会の中では、怒られることがある。なかなか難しいナ。

アドラーは対人関係を回避しようとするライフスタイルを斥けている。対人関係を回避する方向での自分や世界、他者についての意味づけを斥け、そのことを目的にする行為を認めていないと言える。

人間は一人では生きられない。人は他者との関係を回避できないからであれ、回避できないのは、人の本来的なあり方が他者との関係を離れてはあり得ないからである。

人の悩みは対人関係を巡るものばかりと言っていいくらいなのだが、それにもかかわらず、アドラーが他者を「仲間」であり、「敵」とは見ていないと言うことである。この「仲間」から「共同体感覚」という言葉が作られた。

神経症からの脱却、正しい方向の、即ち共同体感覚を伴った優越性の追求は、

1.      他者を支配しない

2.      他者に依存しない(自立する)

3.      人生の課題を解決する

健康なライフスタイル

1.      私には能力がある、と思う

2.      人々は私の仲間である、と思う  

アドラーは「私は自分に価値があると思う時にだけ、勇気を持てる。そして、私に価値があると思えるのは、私の行動が共同体にとって有益であるときだけである」

試験を受けた直後に、答え合わせをすることができる人は、次回は同じ失敗をすることを回避できるだろうが、悪い点だったという事実を直視することを恐れて見直さなければ、同じことが繰り返されることになる。 

アドラーの人生に向ける姿勢は、楽観主義という言葉で特徴づけられる。アドラーは、自分に与えられた課題を円滑に解決できると信じる楽観主義を持った子どもについて、そのような子どもは自分の中に「自分の課題を解決できると見なす人に特徴的な性格特性を発達させる」とし、「勇気、率直さ、信頼、勤勉」などを、必ずその性格特性としてあげている。ときには自分の課題を解決できない事はあるだろう。しかし、アドラーが楽観主義に立つ時、強調したいことは、解決に向けて何もせずに初めから断念すること、そしてその際、何か口実を設けて課題に立ち向かおうとしない事があってはならないと言う事である。

「大切なことは、何が与えられているかではなく、与えられているものをどう使うかだ」といっていることは、生の問題全般にあてはまると言える。

人生も同じではないだろうか。よく生きることに専念していれば、先のことは気にかからなくなる。死後どうなるのだろうということが気になるとすれば、この生をよく生ききれていないからであるといえるだろう。

アドラーは、しばしば、「生きる喜び」という言葉を使っている。生きることが大変であるのは本当だが、深刻にならず生きることに喜びを感じたい。常に快適なことばかりが待ち受けているわけではないとしても、である。常に息詰まるような緊張感の中に生きる必要はない。

アドラーの考え方は、好きである。

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コメント

いつも参考にしております。
また遊びにきます。
ありがとうございます。

コメント、ありがとうございます。
週一ペースですが、継続したいと思っています。

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