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2010年7月31日 (土)

「エイジ」 著者 重松清  を読んで

 先日、「ぼくは こう生きている 君はどうか」 著者 鶴見俊輔、重松清 を読んで、重松氏の本を読んでみたくなった。そこで、息子が持っていた「エイジ」を借りて読んでみた。

 「ぼくは こう生きている 君はどうか」の中で、「エイジ」について次のように語られていた。

鶴見 きょうは重松さんのこの本(「エイジ」)を下読みしてきたんです。とても面白く読みました。「エイジ」というのは二重の意味を持っているんですね。主人公の「栄司」と、世代・時代という意味の英語の「エイジ=age」と。

重松 そうです、はい。

鶴見 この小説には、悪人性を付加された少年の問題は出てきませんね。

重松 ええ。この小説に登場する中学生たちに悪人性を付与していないのは、僕は少年の友情というのは時代背景を無視できないと思うんですね。「エイジ」を発表したときはちょうどニュータウンで酒鬼薔薇事件1997年の「神戸児童連続殺傷事件」)が起き、少年の心の闇うんぬんということがいろいろいわれて、まさに世代としてひとくくりにされてしまう状況だったわけです。だけど僕は実際の中学生というのは、「酒鬼薔薇」に対して、あるいはそこから敷衍(おし広げること)して「いまどきの中学生」に対して大人が持っているものとは微妙に違うんじゃないかなと。

「エイジ」の本の解説でも、「当時の事件の中で生きていかなければいけない中学生への応援歌。彼らを勇気づけ、励ますことになる。」と記述されている。

「エイジ」の中で気に入ったところは、エイジが「ぼくは相沢志穂が好きで、大好きで、善意は悪意に負けっぱなしだけど、「好き」は善意とも悪意とも違って、正しいも間違ってるも、カッコいいも悪いも関係なくて、ただこんなに気持ちがいい。」であったり、「負けてらんねーよ」も良かった。

「ぼくは こう生きている 君はどうか」の中で、重松氏と鶴見氏の次の会話があった。

重松 僕は、小学生、中学生たちに、きみたちのいちばん仲のいい友達との思い出をエピソードで、つまり「いい人」とか「優しい人」とかという観念じゃなくて、「この友達とこんなことがあった。あの友達とあんなことがあった」というのをたくさん書けるようになってほしいなと思っているんです。そういう意味で、僕は自分の小説は読者自身の思い出がよみがえるための『呼び水』だと言っているんです。

鶴見 「自分の小説は呼び水だ」というのはいいですねえ。それは私の手法と通い合うところがあるんですよ。というのは、「自分はこういうふうにいきている」「きみはどうか」、それが私にとって哲学なんです。

重松 「自分はこう生きている」と言える人は、相手の生き方を認められる人ですよね。「自分はこう生きている。きみはどうか」という、自分を支え、相手を認める。お互いにそう思いあえる仲こそが、本当の友達なんでしょうね。

重松氏の本は、読み始めると止まらなくなるので、少しセーブしながらにしたいと思います。

仕事多いし、家族サービス、そして試験勉強も本腰入れないとナ~。どれも中途半端にならないようにっと。

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