「エイジ」 著者 重松清 を読んで
先日、「ぼくは こう生きている 君はどうか」 著者 鶴見俊輔、重松清 を読んで、重松氏の本を読んでみたくなった。そこで、息子が持っていた「エイジ」を借りて読んでみた。
「ぼくは こう生きている 君はどうか」の中で、「エイジ」について次のように語られていた。
鶴見 きょうは重松さんのこの本(「エイジ」)を下読みしてきたんです。とても面白く読みました。「エイジ」というのは二重の意味を持っているんですね。主人公の「栄司」と、世代・時代という意味の英語の「エイジ=age」と。
重松 そうです、はい。
鶴見 この小説には、悪人性を付加された少年の問題は出てきませんね。
重松 ええ。この小説に登場する中学生たちに悪人性を付与していないのは、僕は少年の友情というのは時代背景を無視できないと思うんですね。「エイジ」を発表したときはちょうどニュータウンで“酒鬼薔薇事件”(1997年の「神戸児童連続殺傷事件」)が起き、少年の心の闇うんぬんということがいろいろいわれて、まさに世代としてひとくくりにされてしまう状況だったわけです。だけど僕は実際の中学生というのは、「酒鬼薔薇」に対して、あるいはそこから敷衍(おし広げること)して「いまどきの中学生」に対して大人が持っているものとは微妙に違うんじゃないかなと。
「エイジ」の本の解説でも、「当時の事件の中で生きていかなければいけない中学生への応援歌。彼らを勇気づけ、励ますことになる。」と記述されている。
「エイジ」の中で気に入ったところは、エイジが「ぼくは相沢志穂が好きで、大好きで、善意は悪意に負けっぱなしだけど、「好き」は善意とも悪意とも違って、正しいも間違ってるも、カッコいいも悪いも関係なくて、ただこんなに気持ちがいい。」であったり、「負けてらんねーよ」も良かった。
「ぼくは こう生きている 君はどうか」の中で、重松氏と鶴見氏の次の会話があった。
重松 僕は、小学生、中学生たちに、きみたちのいちばん仲のいい友達との思い出をエピソードで、つまり「いい人」とか「優しい人」とかという観念じゃなくて、「この友達とこんなことがあった。あの友達とあんなことがあった」というのをたくさん書けるようになってほしいなと思っているんです。そういう意味で、僕は自分の小説は読者自身の思い出がよみがえるための『呼び水』だと言っているんです。
鶴見 「自分の小説は呼び水だ」というのはいいですねえ。それは私の手法と通い合うところがあるんですよ。というのは、「自分はこういうふうにいきている」「きみはどうか」、それが私にとって哲学なんです。
重松 「自分はこう生きている」と言える人は、相手の生き方を認められる人ですよね。「自分はこう生きている。きみはどうか」という、自分を支え、相手を認める。お互いにそう思いあえる仲こそが、本当の友達なんでしょうね。
重松氏の本は、読み始めると止まらなくなるので、少しセーブしながらにしたいと思います。
仕事多いし、家族サービス、そして試験勉強も本腰入れないとナ~。どれも中途半端にならないようにっと。
« 組織が大きく変わる「最高の報酬」 著者 石田淳 を読んで | トップページ | 論述試験対策2-アクチュアリーの役割 »
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- 瀬戸内寂聴さん(1922年5月15日~2021年11月9日、享年99歳)が51歳で得度される前年に出版、40歳から50歳までに書きためられたエッセイ「ひとりでも生きられる」を読んで(2025.03.16)
- 瀬戸内寂聴さん、70歳のときのエッセイ「孤独を生ききる」を読んで(2025.02.01)
- 瀬尾まいこ氏の著書は「あと少し、もう少し」、「図書館の神様」に続く、約6年ぶりの3冊目、2019年の本屋大賞にも選ばれた「そして、バトンは渡された」を、試験後の癒しとして読んでみました~!(2024.12.21)
- 岩波文庫「読書のすすめ」第14集、岩波文庫編集部編。非売品。最近、読書量が減っているので、薄いけど面白そうでしたので、古本屋さんで200円でしたので、買って読んでみました!うん、面白かった!!(笑)(2024.12.01)
- 新型コロナ禍の2020年6月から2021年6月末まで、朝日新聞土曜別刷り「be」に掲載された、小池真理子著「月夜の森の梟」が文庫化されたので、一気に読んでみた~!(2024.02.16)
« 組織が大きく変わる「最高の報酬」 著者 石田淳 を読んで | トップページ | 論述試験対策2-アクチュアリーの役割 »
コメント