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2011年9月25日 (日)

作家 城山三郎氏について

「嬉しうて、そして・・・」と言うエッセイを読みました。(またもブックオフで入手)

いろいろと考えさせられることが多かった本でした。

まず、その一つに、自ら志願された終戦間近の「海軍」について、書かれていました。

厳しさと言うか凶暴さは他と比べるまでも無かった。

人の命を軽く見ていた。

上官たちは何かと言うと練習生を棍棒でぶん殴った。

そして、食べ物は芋の葉ばかり、士官の食堂の前では、てんぷらやフライのよい匂いが漂ってきた。

階級による差別は徹底していた。

上官からは何度も「お前らは一銭五厘(当時のはがきの値段)だ。代わりはいくらでもいる」と言われた。

水中特攻「伏龍」(竹竿の先に爆薬をつけて、海岸線近くの海にタテヨコ50メートル間隔で並び、敵の上陸艇に向かって竹竿を突き出して爆破させるという、本土決戦に向けた作戦)のために集められたといいます。

現代の教育上「やってはならない」、「やるべきではない」とされている事例を、次から次へとやっていたのが、帝国海軍であった。

一方で、最後の神風特攻隊長・中津留達雄大尉という素晴らしい人物の話もありました。

彼は上官の間違った命令と大義の間に悩み、咄嗟の判断で日本を救っています。

815日の玉音放送後、宇垣纏司令長官は中津留らに特攻出撃を命じます。当時情報が遮断されていたので、中津留大尉は玉音放送を聞いていなかったと思います。

大分基地から飛び立ってみると、眼下には敵機も敵艦もいない。後ろに座る宇垣司令官はとにかく「突っ込め」と命令しています。

中津留大尉は、一瞬の判断で燃料の節約のため爆弾を海に投棄して機体を軽くします。そして沖縄、伊平屋島の戦勝パーティー中の米軍泊地へ突っ込むふりをして急旋回し、海岸の岩に機体をぶつけて最期を遂げました。

続く二番機も大尉の操縦から意図を察知し、瞬時に米軍を避けて墜ちた。

日ごろから中津留大尉が一心同体となるまで、部下を鍛え上げていたからこそできたことです。

もし、戦争が終わったにもかかわらず、米軍に突っ込めば大変なことになっていたと言われています。

降伏後も騙し討ちかと国際的な非難をうけ、4カ国分割統治とされたり、最悪の場合には天皇に累が及び、今の日本はなかったかもしれません。

中津留大尉はぎりぎりの状態で危険を回避、この決断が、戦後日本を救った、と城山氏は言われています。

上官である宇垣氏は、城山氏がぶん殴られていた「海軍」の方であり、ウイキペディアでは、宇垣氏について、自信家でプライドが高いとありました。

もし本当に優れた指揮官であれば、部下に対して、やみくもに「死ね」などとは言わないと思います。生きて帰れ、と言うのが本当ではないでしょうか。

人の命を何と思っていたのでしょうか・・・

城山氏はこの経験から、自らの作品のテーマは「組織と人間」、「全体と個」をどう考えるか、とされたと言うことです。

自信をなくしている自分ですが、宇垣氏のような自信過剰も問題と思いました。

また、チャールズ・チャップリンの言葉を思い出しました。

個人としての人間は天才である。

しかし、集団としての人間は、刺激されるがままに進む、巨大で、野蛮な首の無い怪物となる、と。

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