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2012年1月 8日 (日)

藤澤利喜太郎氏(1861-1933、73歳没)とその長男の藤澤親雄(1893-1962、69歳没)について

これまで、藤澤利喜太郎氏について、知っていたことは、日本の生命保険・年金理論の草分けであり、解析概論で著名な高木貞二氏の恩師。また、日本生命、簡易生命保険の生みの親であり、育ての親である。また、藤澤氏は、簡易生命保険設立に際して、第一生命創業者の矢野恒太氏からは、反対活動を受けていること、くらいでした。

昨年の12/23に慶應大学で開催された「保険フォーラム」へ行ってきました。

ア試験後すぐのお休みであり、無料も魅力的。

ただし、年末まで、家の掃除の手伝いなどサボっていたため?講義の後は、帰りました。ざんねん。

後日、actuary jpさんも保険フォーラムのことを書かれていましたが、ブログをされている方が参加をされていたようで、次回はご挨拶などできればな、と思いました。

ビスマルク時代のドイツ留学で学んだ藤澤利喜太郎氏の考え方

「政体の変革、一揆、徒党等、内訌(内乱)の禍害」の原因はしばしば貧富の差にある。

「人に智愚の差ある以上は、世の進歩するに従い、社会中財産分有上に於いて不平均を生じ、富者はいよいよ富み、貧者はますます貧に陥るのは、優勝劣敗の競争原理の支配する資本主義では致し方無い面もある。とにかく貧者は国民の務めである税金も滞納するようになり、少しでも賃金を上げてもらいたいとストライキを起こすようになるだろう。

特権富裕層への暴力的反撃がついには起こるだろう。

社会主義(当時は、マルクス、エンゲルス)や無政府主義(当時は、ロシアのバクーニン)がはびこるのも時間の問題だろう。

労働者階級が増えてゆけば、自ずとそうなる。

そのとき、天皇を中心とする日本の国家制度は危機に瀕するだろう。」

と言われています。

当時、ビスマルクも「飴と鞭」と言われているように、

「飴」は社会保障制度の父とも言われている通り、社会保障制度の普及に努め、

「鞭」は社会主義者、無政府主義者の弾圧を行っています。

ビスマルクとしては、ドイツ統一を進める一方で、社会主義国家よりも自分の育ったプロイセン王国の流れを汲みたかったようですね。

そこで、国民の生活を保障する。大切なのは「食い扶持」であると。

「一国中知識に於いて上流の位置を占め、国運の進歩にあずかりて、最も力あり、その国の知識精神を代表するものは財産分有上、中等以下の位置にある、俗にいわゆる“月給取”」、

すなわちサラリーマン階級である。ところが働き盛りのサラリーマンが不幸にして病気や事故で逝ってしまったらどうなるだろうか。遺された家族は路頭に迷うだろう。

「子供の如き、富貴というにはあらねど、物に事を欠かぬ中に生育しけるに、父の死に遇うて、貧困を極むるとなれば、その辛苦は元々の貧困の辛苦に増さるべし。」

それなりの生活をしていた中産階級の子供が突然にどん底に落ちる。不条理なものを感じる。

生まれたときから貧困でそれを当たり前として育った人間よりも、最初によい暮らしの記憶があるのに不幸にもそれを断ち切られた人間の方が、大人になってから社会主義者や無政府主義者になって世の中に反抗しがちなのではないか。

このような事例を、日本の社会から少しでも減らさなくてはならない。

そのための「生命保険

そこで、今の「日本生命」の創立者の一人となられている。1889年9月のことです。

次に藤澤氏は、民間の生命保険会社が事業を拡張し隆盛して大きな資本力を身につければ、被保険者層もどんどん広がり、たとえば貧民のための掛け金の安価な保険制度の実現も視野に入ってくるはずと考えたようだ。また、保険業の発展によって国家が保険の効能に気づけば、政府主導の貧民保険も実現されやすくなると思っていたらしい。

生命保険の普及を呼び水にして、さまざまな保険と保障の制度を日本に張り巡らす。そうやって、国民の大多数がいついかなる時も安心して暮らせる状況を作り出す。そうすれば明治維新で生まれた天皇中心のこの国のかたちを、社会主義や無政府主義から防衛できる。不満分子の増殖を妨げられる。

この構想は、ついに政府を動かし、諸官庁の相乗りによる小口保険調査委員会の設置につながる。

藤澤氏は委員として活躍し、そこから掛金の極めて安価な、郵便局の簡易生命保険のアイデアが生まれ、大正前期に実現した。1916年、大正5年のことである。

また、藤澤氏は、1889年に「生命保険論」を刊行されている。

その中には、現代の保険数学の教科書にある記号がほとんど網羅されている。すごいですね。

ところで、その藤澤氏のしたことに「限界」があるとして、

その長男、藤澤親雄氏は天皇中心の国とするには「個人主義」ではない「全体主義」、「全体主義指導者国家制度」をとなえた。

ドイツのヒットラー、イタリアのムッソリーニというところでしょうか・・・

藤澤親雄氏は、当時の一高から東大法学部卒、満鉄に勤め、ベルリン大学へも行き、大学教授までされている。

一方で、ヒットラーに感化された近衛さんの大政翼賛会に入られたり、戦後は公職追放をされていたりと・・・・ちょっと?常人からは偏ってしまった方のようです。

そうなってしまった要因として・・・

父親のしたことを認めているようには思いました。それでも、日本はなかなか天皇を中心とする危険因子の無い国家にならなかった。

それは、

大正9年、1920年の経済大恐慌による混乱から立ち直り切ることができずにいた日本経済に対して、

大正12年、1923年に「関東大震災」が発生。

その後の昭和2年、1927年の世界大恐慌と相まって、日本資本主義は長く慢性的不況に悩まされることとなった。

さらに、大正期は内閣も1年足らずで交代が続いていた。

ここで、日本史の勉強不足が露呈してしまうのですが、

「関東大震災」では、日本人による「朝鮮人の虐殺」が行われています。

確かに、関東大震災で刑務所も破壊され、囚人が街に逃れてしまった。身を守るためには、相手と戦うことも必要になるのかもしれない。

でも、朝鮮人を「虐殺」する必要があるのでしょうか。「虐殺」です。常人ではないと思います。

この辺りも、藤澤親雄氏が天皇中心の“全体主義”に偏らざるを得なかったところがあるのかもしれません。

※作家、吉村昭氏の「関東大震災」に朝鮮人の虐殺について、書かれていました。立ち読みで我慢しました??

現代の日本で、ここまでのことは無いように思いますが、「慢性的不況」、「内閣の短期交代」は当時と酷似していないでしょうか??

「保険フォーラム」、勉強になりました。ありがとうございました。

m(_ _)m

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