「山本五十六」 阿川弘之著 を読んで その1
最初に、申し上げれば、
山本五十六氏は、個人的には、好きな歴史上の人物の一人です。
最初にWikipediaで、著者の阿川弘之氏と司馬遼太郎氏について、調べてみる。
先に、阿川弘之氏ついて
1920年(大正9年)12月24日生まれで、現在もご健在ですね。
阿川氏は『私の履歴書』で、「戦争中は海軍に従軍して”多少”の辛酸を嘗めたが、・・・」と語られています。また、阿川氏は、二・二六事件を見て、徹底的な陸軍嫌いになり、海軍に入られたようです。Wikipediaによると、海軍での経歴は次の通り。
1942年(昭和17年)9月海軍予備学生として海軍に入隊する。
1943年(昭和18年)8月に予備少尉任官、軍令部勤務を命ぜられた。わずかだが中国語ができたため、特務班の中でも対中国の諜報作業担当であるC班に配属される。
中尉に進級した直後の1944年(昭和19年)8月「支那方面艦隊司令部附」の辞令が出る。
次に、
司馬 遼太郎氏について
1923年(大正12年)8月7日 - 1996年(平成8年)2月12日逝去。
なんと司馬遼太郎氏の方が、阿川氏より年下でした!
1943年(昭和18年)11月に、学徒出陣により大阪外国語学校を仮卒業(翌年9月に正式卒業となる)。兵庫県加東郡河合村(現:小野市)青野が原の戦車第十九連隊に入隊した。軍隊内ではかなり珍しい「俳句の会」を興し、集合の合図には一番遅れて来た。
翌44年4月に、満州四平の四平陸軍戦車学校に入校し、12月に卒業。戦車学校で成績の良かった者は内地へそして外地へ転属したが、成績の悪かった者はそのまま大陸に配属になったが、これが生死を分けた。卒業後、満州牡丹江に展開していた久留米戦車第一連隊第三中隊第五小隊に小隊長として配属される。翌45年に本土決戦のため、新潟県を経て栃木県佐野市に移り、ここで陸軍少尉として終戦を迎えた。
22歳だった司馬は「なぜこんな馬鹿な戦争をする国に産まれたのだろう? いつから日本人はこんな馬鹿になったのだろう?」との疑問を持ち、「昔の日本人はもっとましだったにちがいない」として「22歳の自分へ手紙を書き送るようにして小説を書いた」と述懐している、とありました。
上記青字はWikipediaからとなりますが、司馬遼太郎氏が本当に発言されたかどうかは分かりません。しかし、少なくとも太平洋戦争、そこからの人物について書かれた本は一冊もありませんので、少なくともこの時代に対して尊敬の念は無かったように思います。
逆に、阿川弘之氏は太平洋戦争時において、海軍経験者であり、そこでの上官となる「山本五十六」、ほかにも「米内光政」、「井上成美」と3人について、それぞれ本を書かれています。
これは、阿川氏、司馬氏の世代において、すでに陸軍は1936年に、二・二六事件を起こすような内情があり、海軍は山本氏、米内氏、井上氏など、一本筋の通った人が居られたからなのでしょうか。
それが、戦争末期に向けて、山本氏が戦死し、善き人が少なくなれば、海軍も陸軍同様の状態に成り下がったようです。
次の世代となる城山三郎氏(1927年(昭和2年)8月18日 - 2007年(平成19年)3月22日)逝去)は、自分の本の中で、海軍について、次のように書かれています。
厳しさと言うか“凶暴さ”は他と比べるまでも無かった。人の命を軽く見ていた。上官たちは何かと言うと練習生を棍棒でぶん殴った。そして、食べ物は芋の葉ばかり、士官の食堂の前では、てんぷらやフライのよい匂いが漂ってきた。階級による差別は徹底していた。上官からは何度も「お前らは一銭五厘(当時のはがきの値段)だ。代わりはいくらでもいる」と言われた。水中特攻「伏龍」(竹竿の先に爆薬をつけて、海岸線近くの海にタテヨコ50メートル間隔で並び、敵の上陸艇に向かって竹竿を突き出して爆破させるという、本土決戦に向けた作戦)のために集められたといいます。現代の教育上「やってはならない」、「やるべきではない」とされている事例を、次から次へとやっていたのが、帝国海軍であった。
城山三郎氏と同世代の「戦艦武蔵」の著者であられる吉村昭氏(1927年(昭和2年)5月1日 - 2006年(平成18年)7月31日逝去)。城山氏は、吉村氏との対談で「吉村さん、戦争のことを書くのはつらいよね」といったことがある。すると、吉村さんは、「戦艦武蔵」を書いた動機は、戦艦武蔵の造船記録を読み、そこにあの戦時の「熱気」を感じたからだと言った。「この『熱気』をどうしても書かなくてはならないと思った」と答えた。
軍も国民もこぞって戦争に突き進んでいくときに生じる「熱気」。少年だった私たちの世代は、それを当たり前のこととして肌で感じていた。「僕らは戦争という現実の前に“無色透明”だったんです。」と吉村さん。
僅かな世代の差で、阿川氏の印象とは天と地ほどの差があるように思います。
それでも、阿川氏は本の中で、
「「軍」とは何か、何かと言えば、甚だ得体のしれない何ものかであって、満州事変以来培われた下剋上の勢いである」とでも言うよりほかはないであろう。」、とあり
山本五十六氏は、「俺が殺されて、国民が少しでも考え直してくれりゃ、それでいいよ」と語られているという。
チャールズ・チャップリンの言葉を思い出しました。
個人としての人間は天才である。
しかし、集団としての人間は、刺激されるがままに進む、巨大で、野蛮な首の無い怪物となる、と。
正しい情報が国民に届かない中で熱狂してしまうと、行ってはならない方向に向かってしまうのでしょうか?
1940年(昭和15年)の時点で、チャールズ・チャップリンは、ドイツのヒトラーに対して非常に大胆に非難と風刺をした「独裁者」を公開しています。作成開始は1938年(昭和13年)からとのこと。
もちろん、この時点で日本では公開されず、日本での公開は1960年まで なんと20年と言う年月を経ることとなります。昭和13年であれば、日独伊三国同盟まで あと2年ありました。情報が正しく伝えられなかった、伝えなかった、日本の怖さを感じます。
昭和一桁生まれの、城山三郎氏、吉村昭氏、
昭和一桁生まれ前半の人達は、特攻に行かされる、特攻の恐怖を経験する
昭和一桁生まれ後半の人達は、一番食べものを食べたい時期が終戦前後
生まれ育った時代環境によるその世代固有の特徴を「コーホート効果」といい、わが国では、昭和一桁世代の男性の死亡率がその前後と比較して高いと言われています。
そこで、保険会社の標準生命表において、人口動態統計をベースとするとき、この昭和一桁世代の男性のコーホート効果を除去するために、その両端の世代で直線補間が行われています。
他の世代と死亡率まで異なる昭和一桁世代、戦争を知らない世代が理解などできるはずはないと思いますが、すこしは分かるような気がしました。
チャップリンの独裁者は、英語となりますが(勉強になります!)、ユーチューブで全部観れます。
http://www.youtube.com/watch?v=mkCx3xQ6XKQ&feature=related
『戦艦武蔵』 吉村 昭 著 を読んで はご参考まで。
http://life-insurance2.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-14d9.html
その2へ続く・・・予定・・・ m(_ _)m
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はじめまして。
私も阿川弘之著「山本五十六」を読もうと
思います。
そこで基本的な質問です。
この著書は、小説ですかそれとも
ノンフィクションでしょうか。
私は、どちらかと言うと小説よりノンフィクションの
方が好きなので迷っています。
聞いた話では、小説に近いということなので
気になってご質問致しました。
よろしくお願い致します。
投稿: (^0^)v | 2012年11月 3日 (土) 15時47分
コメント、ありがとうございます!
個人的にはノンフィクションに限りなく近い小説では?と思っています。
また、それでいいとも思っています。
解説には次のように書かれていました。
「執筆に当たって、小説を書くという意識は全くなかったと、著者が述懐するのを聞いたことがある。つまりノンフィクション、伝記ということになる。
巻末の表によると、資料談話提供者は、100人をこえている。また、参考引用文献も100点以上にのぼる。」
本著が書かれたのは昭和39~40年にかけてです。山本五十六氏を知る人もかなり生きていたと思います。
そこで、著者本人はノンフィクションと言われているようです。
でも、おそらく著者本人の好きな人物に対する感情移入も少しはあるように思います。
また、それが読み手にとって、とても興味深く読めるものになるのだと思います。
ありがとうございました。m(_ _)m
投稿: adler | 2012年11月 3日 (土) 23時15分
ありがとうございました。
ご参考にさせていただきます。
投稿: (^0^)v | 2012年11月 4日 (日) 00時13分