「山本五十六」 阿川弘之著 を読んで その2
アメリカでの山本五十六氏の評価として、次の記載がネット上にありました。
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戦時の米国での山本五十六観といえば、「パールハーバーへのだまし討ちの総責任者」として敵意に満ちたものだったという。
その後の評価として、連合艦隊の山本五十六司令長官だった。「例外的な天然のカリスマを有し、国と部下を愛した豪胆な人物」と褒めていた。だがその一方、山本長官をミッドウェー海戦での決定的な敗北の責任者とも評する。彼がギャンブルや恋愛を楽しみながらも、米国との戦争に反対し続けたことを英知として強調する。
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阿川さんの「山本五十六」を読むと、この評価に似ているな、と思いました。
真珠湾攻撃 1941年(昭和16年)12月8日。
本書では、その前の10月11日に、海軍同期に宛てた手紙のことが書かれています。
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「大局より考慮すれば日米衝突は避けられるものなれば此れを避け、此の際隠忍自戒臥薪嘗胆すべきは勿論なるもそれには非常の勇気と力を要し、今日の事態にまで追い込まれたる日本が果たして左様に転機し得べきか申すも畏(かしこ)き事ながらただ残されたるは尊き聖断の一途のみと恐懼する次第に御座候」
山本は、陛下が終戦の時に示された非常の決断を、ひそかに期待していたように思われるのである。
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それでも、山本氏が戦争をとめることまではできるわけもなく、真珠湾攻撃の日は訪れる・・・
この真珠湾攻撃は山本氏の作戦として成功するわけですが、宣戦布告が間に合っていないのでは、と言うことがありました。
この点を著者阿川氏も「事前にアメリカは知らなかった」と。
そして、山本五十六は「だまし討ち」と言われるのを終始気にし続けて死んだ自分を、少しお人よしだったと思って苦笑できる日は、今後も訪れて来ないだろう、と言われています。
また、第2次ハワイ攻撃発令(第1次では、米国の修理施設、燃料施設は攻撃されていなかったため)を山本がしりぞけているのも、これが原因の一つかもしれないと思えます。
それでも真珠湾攻撃は、第二次世界大戦の始まる前の昭和15年の4月頃から考えていたと言われています。頭の中には、昭和2年頃よりあったのでは、とも書かれています。
バルチック艦隊を対馬沖に迎えて全滅させた日本海海戦から考えたときには、日本の海軍の方から、ハワイまで出撃するというのは、とても考えられないことだったそうです。
しかもリハーサルまで、実施しています。
鹿児島湾一帯をパールハーバーに見立てて、連日の飛行訓練を実施されています。
それだけに十分な準備を行っていたのでしょう。
宣戦布告が間に合わなかったところを置いておけば、戦術としては成功なのだと思います。
では、次にミッドウエー(MI)作戦についてですが、これは失敗するわけです。
ところで、ミッドウェー島の位置ですが、
たくさんの日本人観光客が訪れるハワイ。その北西2,100kmにわたって、人の住むことのなかった小さな珊瑚礁の島々。
ミッドウェイ環礁は、そのほぼ北西の端、日付変更線近く北緯28°西経177°に位置する周囲30kmの小さな環礁です。環礁内にサンド島、イースタン島、スピット島があります。現在、人が常駐しているのは、サンド島のみです。
現地時間は、ハワイより1時間遅れ。日本時間-20時間、日本の深夜0時が前日の朝4時になります。
そこでの目的は、本書に次のように書かれています。
ミッドウエーからできれば再びハワイを突き、同時にアリューシャン列島(アメリカのアラスカ半島からロシアのカムチャツカ半島にかけて約1,930キロメートルにわたって延びる列島)の要地を攻略して、日本の海と空との防衛圏を東に2,000海里拡大し、アメリカの太平洋艦隊を洋上に誘い出して、撃破するという、案としては、これが一番雄大な案である。
欲がでてしまったのでしょうか・・・強欲は失敗の元ですよね。
また、当時においても
「山本長官は、ミッドウエーを基地とする飛行哨戒(敵の襲撃を警戒して、軍艦や飛行機で見張りをすること。一定の区域を受け持って、敵襲の警戒、味方部隊の援護、潜水艦など敵艦船の探知・攻撃、情報の収集などを行う飛行)の効果の少ないことを、どの程度に理解されたのか。あの孤島での大きな消耗と補給難、これを続けるための多方面の航空兵力の減少とか、艦隊の作戦行動に及ぼす影響などを果たしてよくよく勘案されたものだろうか」と書かれています。
開戦以来、この時点で、山本は自分の眼で、未だ敵の艦隊も飛行機も見たことがなかったとあります。
それと、「この時機には山本自身、東郷と並ぶ日本海軍の英傑、作戦の“神様”になりかかっていた。山本の主張することなら、仕方ないし、多分間違いもないだろうという思いが、結局、軍令部作戦部を含む海軍全体を支配したように思われる。」とあります。
真珠湾攻撃のとき程に熟慮をしている時間は無かったと思います。
この時、山本五十六、58歳。
1941年(昭和16年)、57歳のとき、当時の食糧不足について、気づいていなかった。部下からの報告を受けて「一驚を喫した」と言われており、物資豊富な連合艦隊司令部にいては、感覚のずれが生じていたと書かれています。
神様と言われて、現場の声が聞こえないところにいってしまっていたのかもしれませんね。
寂しい気がします。
あの聖将東郷平八郎の晩年(80歳の頃となります)においては、
山本五十六や井上成美が一種の”反感”を持っていたのは、ワシントン軍縮会議以後東郷が、強硬派加藤寛治、末次信正に利用され、次第に強硬派と同じ言動を見せることが多くなっていたからである、とあります。
中高年の一人として、考えさせられます。
みんなで、がんばろ~(* ̄0 ̄)ノ
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