「職業としての学問」 著者 マックス・ウェーバー を読んで
最初に、社会学者のマックス・ウェーバー氏(1864-1920)氏の代表作『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』について、これは1904年から翌年にかけて発表されたものとなります。
「悩む力」より、
要点を言うと、修道院の中での修道士の禁欲的な生活のように、プロテスタント信者が私利私欲を離れて、規則正しく、一切の無駄無く、働く意味の詮索さえ忘れて社会の中で黙々と勤労に励み、結果として富が蓄積されても、それを享受するのではなく、ひたすら営利に再投資することで、ますます富が蓄積され、「(近代)資本主義」の大きな発展に寄与した、というものとのことです。
資本主義、とりわけ合理主義に基づく「近代資本主義」が、特に宗教改革後のプロテスタンティズムの盛んだった地域において特に発展しているという事実を重視し、これらプロテスタンティズム的教えと資本主義がいかに関連しているのかを考察された書物とのことです。
しかし、その後のウェーバー氏によれば、この「近代資本主義」を形成した宗教的意識は現代において枯渇してしまった、と言われています。
人間は今や、自らが作り出した合理的な仕組みの前に圧倒されるようになってしまった。営利活動は“宗教的・倫理的意味”を失い、職業の精神的意味はもはや問われることも無くなってしまった。「近代資本主義」が、今や人間にとって「鉄の檻」、「機械的化石」のようになってしまった。
「精神のない専門人」、「心情のない享楽人」の時代が到来することを示唆するところに、ウェーバーの現状に対する深刻な認識が見られる。
具体的には官僚制の浸透と読み替えられる。これこそ、「鉄の檻」にほかならない。
※「経済学をつくった巨人たち」(日経ビジネス文庫)より
そして、「職業としての学問」へ。
これは、1919年1月にミュンヘンで、主に学生(青年)達に向けて行われた講演の内容となります。
ドイツでは、第一次世界大戦の敗戦から、ナチスが台頭してくる頃ですね。
人々の心が大戦後の動揺へと既存の秩序に対する疑惑に満ちていたその当時、感受性に富む青年達の心は日々の仕事を捨てて先走りした。かれらは現実のかわりに「理想」を、事実の代わりに「世界観」を、認識のかわりに「体験」を、専門家のかわりに「全人」を、教師のかわりに「指導者」を欲した。
そこで、ウェーバー氏は、その青年達にむかって「日々の仕事に帰れ」と叱咤した、といわれるのが「職業としての学問」であると言われています。
ナチスのようなところの台頭を求めるような状況もあったようです。
そこで、ウェーバー氏は青年達に対して、浮足立つことなく、日々の仕事を大切にして、一生懸命精進せよ、と言われているように思いました。
それでも、ウェーバー氏逝去後、ナチスの台頭が進んでいきます。とても残念です。
なかなか、十分な読み込みが難しいところですが、ここまでとさせていただきます。
失礼いたしました。
m(_ _)m
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