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2012年8月16日 (木)

「サラリーマンの一生」 城山三郎氏、伊藤肇氏 対談集を読んで

あの『左遷の哲学』の著者 伊藤肇氏と、作家 城山三郎氏との昭和54年頃に行われた対談をまとめた本です。

お互いに高め合える友人同士なのだな、と感じました。

昭和54年当時、伊藤氏53歳、城山氏52歳。お二人とも愛知県、名古屋の出身なのですね。

 

元気/気力/考え方をいただける対談内容でしたが、伊藤氏は対談後の翌年の昭和55年に54歳の若さで急逝されています。驚きます。

 

対談の中で、心に残る言葉をしるしておきたいと思います。

 

伊藤氏

中国の学者で、“東坡山谷、味噌醤油”と言われて、中国の宋の時代の詩人で蘇東坡に師事し、同じくらい親しまれた人に黄山谷と言う人がいるんですが、その学者が、

3日書を読まざれば面貌憎むべく語言味なし>と言っている。

書をよんでいないと人相が悪くなる。それから、教養が備わらないから、言葉に味がない、と。

 

伊藤氏

リコーの2代目社長の舘林三喜男さんがね、企業の社会的責任とは何か?と問われて、

「社員の首を切らないことだ」ときっぱり言ったことがある。

つまり、よそでいくら企業の社会的責任はどうの・・・なんて言って、自分の会社は千人も二千人も整理しているような社長は、信用できないということだ。

 

伊藤氏

一生の間に、何回も繰り返して読む本を何冊か持っている人は、最高に幸せだ、と言った人がいたけど、これ、若い人にぜひ心に留めておいてほしい言葉だな。

城山氏

たとえば、財界人が一番読んでいる本というと?

伊藤氏

『論語』です。これは、石坂泰三さん(元第一生命社長)を始め、最も多く読まれている本だ。

 

伊藤氏

「忙中閑」と言う言葉があるでしょう。これは、<忙中閑あり><苦中楽あり><死中活あり>、この3つは分かるでしょ。

その次に<壺中天あり>というのがある。つまり、自分の実生活の中に、一つの趣味とか風流の世界をもつということ。いうなれば、人間的な豊かさを形成する心の余裕だが、それを養うのが<壺中天あり>なんだね。

それから5つ目が<意中人あり>だ。これは、恋人をもっているという意味ではなく、私淑する人物、理想的人間像をもつことです。また、いざというとき、要路に推薦する人物をもっているかどうか。

そして、最後が<腹中書あり>で、腹の中に、ずんとおさまった哲学をもっていること。

やはり、<壺中天あり>はぜひ持っておいた方がいい。

 

伊藤氏

情報には3つ段階があってね。これ、「知識」、「見識」、「胆識」というんですが、知識は単なる物知りですよね。で、こんなものは学校に行って講義を聞いたり、参考書を読んだだけで得られるわけです。しかし、それだけでは、人間の信念とか行動力にはなりえない。これにもっと権威のあるものが加わらないと役に立たない。これが見識ですよ。問題を解釈すべく、「こうしよう」とか、「かくあるべし」という判断は、その人の人格や体験、あるいはそこから得た悟りなど、いろんなファクターが入って初めて為される。すなわち見識ですよ。

ところが、見識だけでもまだ十分じゃない。というのは、その人の見識が高ければ高いほど、低俗な連中には理解できないから、反対するわけです。で、その反対とか妨害を断固排除して、実行しようとする力を「胆識」というんですね。

 

伊藤氏

ある男が喋った言葉と言うのは、

「正義が力であることを信じよう。信頼の上に立って、われわれは自分が為しうる仕事の中でベストを尽くそう。その仕事を結集することが、北アメリカ合衆国を一つの国家だけでなく、民主主義の典型にまで昇華せしめるであろう」

とそれだけで、そして最後に、「By the people, of the people, for the people!!」と言ったわけです。

城山氏

その男はリンカーンだったんですね。

 

伊藤氏

「思考の3原則」って、あるんですがね。それはどういうものかというと、

第一が、目先にとらわれないで長い目で見るということ

第二が、物事を一面からだけみるんではなく、多面的全面的に観察すること

第三が、枝葉末節にこだわることなく、根本的に考察すること

 

伊藤氏

結局ね、いろんな情報をどう整理しておくかということですよ。僕だって、全部が全部記憶しているわけじゃない。テーマに応じて、事前にチラッと勉強してくるだけです。

家に引き出しがあるんです。二百いくつかの項目を作ってさ、その項目ごとに、記事や切り抜きをぶっ込んでおくわけ。そしてそれをね、暇を見ては丹念にノートに貼り付けていったり筆写したりしてね、そのノートが完成した時に、ある程度自分の頭の中でも一つのテーマについての整理がなされてるね・・・

分類・整理はまめにやらないと、すぐたまっちゃう。そこで、不必要なものはどんどん捨てちゃうんです。いつの間にか、必要かそうでないかの選択眼も養われてきますよね。

そうそう、僕の引き出しの中には、城山三郎という項目もあるからね。

 

伊藤氏

「窓際族こそ“勉強”するチャンスだ!」

「理想の職業など、最初からあるんじゃなくて、自分自身で作り出すものだ!」

「楽しさを映す日陰にくらべては、憂きにたつ間の長くもあるかな」

「陽の当らないポストでも、それなりになにかを見いだす。結局、そこで身に付けたものが、後のちになって生きてくるといくことでしょう。」

 

おでん酒 すでに左遷の 地を愛す

熱燗や あえて職場の 苦は言わず

 

一流人で、思いやりのある人物とか、人間性の豊かさを感じさせる人というのは、病気、浪人、投獄、左遷のうちの全部ないしいくつかを経験していますね。

 

サラリーマンとして、プロであれ!

 

伊藤氏

「幸福の条件」というのがあって、

第一に健康、

第二によき人間関係、

第三が美しきものを知る能力、花が散るのを見ても、美しい行いを見ても、人が死ぬのを見ても、心を強くゆさぶられなくなったら、人間はおしまいだ。ものごとに感動する瑞々しさだね。

第四が、自分で程良いと思う程度のお金。まあ、これは生活には困らないが、ときどき小遣銭に不足する程度の持ち方がいいでしょう。

第五が、朝起きたときにやらねばならない仕事があること

 

伊藤氏

会社を離れて、人間として充電できる対象を持った人というのは、どこかしら“深沈厚重”の魅力がありますね。で、帝王学には三つの柱があって、

一、原理原則を教えてくれる師を持つこと

二、直言してくれる側近を持つこと

三、幕賓(パーソナルアドバイザー)を持つこと

二・二六事件の時の岡田啓介総理が、総理になると三つのものが分からなくなると言っているんだ。

一つは、金の価値がわからなくなる。つまり、総理の権限で自由自在に金が使えるから、価値が分からなくなる。

第二に、人がわからなくなる。耳に逆らう情報がはいってこなくなる。みんないい話しか持ってこないから、真実が隠れてしまう。

第三が、国民の顔が、どっちをむいているか分からなくなる。そうなったら、総理は野垂れ死にだと。

だから、直言してくれる側近を持つことなど、大事なわけである。

 

伊藤氏

「定年前の心得十カ条」

第一条「役職、肩書は、おのれ自身とは縁なきものと思え」-肩書そのものは、当人自身のものじゃなく、企業が一時的に貸してくれる陣羽織みたいなものだ。それを、自分のものだと錯覚してはいかん。

第二条は「子どもは定年までに仕上げておけ」

第三条は「女房の愚痴は、しばしば定年後にはじまることを知れ」 (定年前からはじまっていることもある)

第四条は「世俗的な信用は、定年と共に消え去ることを忘れるべからず」

第五条が「昔の部下も、いまは他人と思うべし」

第六条は「椅子を失うことは、足を失うことと思うべし」-つまり、「失脚」というのは、脚を失うと書くでしょう。それは乗り物のことだと言うんだ。定年になったら、とにかく自分の足で歩くか、マイカーでやるか、いずれにしても他人の足、会社の車、社用車は期待できないんだから、その覚悟をしておけと。」

第七条が「気力が衰えれば、体力もまた、これにつれて衰えることを知りおくべし」

第八条は「定年退職者は、おのれ一人ではないことを知れ」-人間は、とかく自分だけが孤独な境遇にあると思い込みがちですからね。そうじゃないんだ。

第九条は「退職金の使いでのなさを予知すべきこと」

第十条は「貧困や世の侮蔑に無関心となり、風流三昧に徹すること」-見えも外聞も捨ててしまえというわけだな。

 

定年後を有意義に送るポイントは「趣味」と「サム・マネー」、この二点!

 

伊藤氏

チャップリンが、「人生というものは生きる価値のあるものだ。“希望”と、それから“勇気”と“サム・マネー”があれば」という言葉を残している。まったくそうだと思うんですよ。

それから、生きがい論というのはやっぱり“行動”の中から出てくるものだということですよね。“行動”しないで生きがいを論ずるなんてナンセンスだと思う。だいたい、我々の職業なんかを考えてみたって、最初から使命感をもって、理想とする職業についたわけじゃないんだから。なんとなくですよ。だから最初から理想の職業があるのじゃなくて、その職業を理想とするかどうかでしょう。これは自分の努力ですよね。

たとえば、松永安左エ門がいい例です。彼は慶應義塾を中退だ。それから株屋をやったり、石炭のブローカーやったり、革のなめしをやったりしている。

それで最後に電力に突っ込んで「電力の鬼」になったってわけですよ。その立場に恵まれたからこそ電力の鬼になって、電力こそが自分の使命だと言えたのであって、最初から電力をやってたわけじゃない。

だから結局、長くやっている結果として使命感が出てくる。つまり、プロにならなくてはダメなんです。アマのうちでは使命感の出るわけがない。人生というのはやはりアマのまま終わったら意味がないんで、プロとして生きてこそ、人生の生きがいというか、面白味というものが出てくるのだと思うね。

 

以上となります。

 

現代においても、十分に通じる内容であり、自分の心にもしるしておきたいと思います。

ありがとうございました。m(_ _)m

 

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