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2012年10月

2012年10月31日 (水)

要件定義はだれがどこまでを行うのか・・・

ときどき、システム化をするときに、最初から最後までをすべてITベンダーへお願いすることがあります。

ときどき、システムの要件定義は自分たちで行うのがよい、ITベンダーにお願いすると高いしね、と言われることもあります。

 

また、「大失敗プロジェクトの原因は“要件定義”にあり」と言われることも多いようです。

ユーザー部門・企業は「要件定義もできないのか」とITベンダーを非難し、ITベンダーは「ユーザー企業の要求が曖昧で…」と言います。

 

「要件定義」は誰の仕事なのでしょうか?

 

以下はネットで調べさせていただいた内容をサマリーしたものです。ご了承ください。
また、あらためて理解を深めることができました。ありがとうございました。
m(_ _)m

 

「要件定義」は言うまでもなく、システム仕様を確定させる作業である。

システム仕様は契約時に確定しているものだ。ソフト開発がモノ作りと発想すれば、製造業と同様、顧客の要求スペックが固まっていないのに契約することはあり得ない。従って「要件定義」、つまりシステム仕様の確定はユーザー企業の責任となる。今でも組み込みソフトの領域では、この原則はよく守られているはずだ。

 

一方、業務アプリケーションの領域では、こうはいかない。先進ユーザーの中には、「ITに関するビジネス上のニーズをシステム仕様に落とすのは自分たちの仕事」とする企業が少数ながらいる。

しかし、多くのユーザー企業がITに関して“アマチュア化”しつつあるために、システム仕様の確定を自ら行うのは難しくなった。ITベンダーも出来るだけ上流工程に進出したいために、曖昧なニーズの案件を「要件定義」から積極的に引き受けるようになった。かつてITベンダーにとって「要件定義」は、契約時に決まっているはずのシステム仕様の再確認作業だったが、今や本業中の本業になった・・・

 

ITベンダーが「要件定義」から請け負っておいて、「ユーザーの要求が曖昧だったので、要件定義がうまくいかなかった」と言っているようでは、プロフェッショナルとは言えない。ただ、この「要件定義」、システム仕様の確定作業はかつて、ユーザー業務にもITにも精通した情報システム部門が中心になって行っていた仕事だ。そのシステム部門が解体したり、システム子会社として外へ出されたりしたために、その穴を埋める形で、徐々にITベンダーの仕事となったわけだ。

 

*****

 

要件を定義する上では、エンジニアによる技術的な見解が必須であり、IT資源調達計画後に選定されたITベンダーをパートナーとし、外部リソースであるエンジニアにユーザの要求事項に対する次期システム要件を定義させます。もちろん、ユーザ部門・企業の合意が必要なのは言うまでもありません。

 

ユーザ側は経営戦略に整合したIT戦略の策定を行う中で課題を可視化し、自社(または自部門)の新業務プロセスをまとめます。そして、これを次期ITの要求事項としてSierに提示する形式的なもの要件定義書の一部(要求定義書)として作成します。要求の定義なしにユーザ側はITベンダーに「要件定義」をしろ、とは言えません。

 

もちろん、ユーザ側に技術力があれば要求定義から要件定義にまで発展させ、設計以降をどうするか考えることも可能でしょう。

 

「結論」としては、やはり ユーザー部門・企業とITベンダーとのインタラクティブなコミュニケーションによる共同作業と言えるのではないでしょうか。

 

最後に、それぞれのフェーズの定義も復習として書き留めておきたいと思います。

 

要件定義

requirements definition

 

システムやソフトウェアの開発において、実装すべき機能や満たすべき性能などのを明確にしていく作業のこと。いわゆる上流工程の一部で、実際の開発・実装作業を始める前に行う作業の一つである。

 

要件定義では、利用者(ユーザー)がそのシステムなどで何がしたいのかを元に、それを実現するために実装しなければならない機能や、達成しなければならない性能などを開発者が検討して明確にしていく。

まとめられた成果は「要件定義書」として文書化されることが多い。一般的にこの段階では「何が」必要なのかを定義するに留め、それを「どのように」設計・実装すべきかは、後の工程で検討される。

 

要件定義に先立って、利用者が業務を進める際に、そのシステムなどを使って何がしたいのか、何ができなければ困るのかといった内容を聞き取ってまとめる作業を「要求定義」というが、「要件定義」と「要求定義」を同義とする立場もあり、その場合は、このような利用者からの要求をまとめる作業も「要件定義」に含まれる。

 

基本設計 (外部設計と呼ぶ場合もある)

basic design

 

製品の基本的な設計。構成や仕様、機能などの概要をまとめたものを意味する場合と、中枢や基盤的な部分の設計を意味する場合がある。

 

汎用的な製品について言う場合には後者である場合が多く、「同じシリーズの製品は基本設計が共通している」というような用法となる。

 

情報システムやソフトウェアの受託開発などでは前者の意味である場合が多く、開発工程の中で「要件定義」と「詳細設計」の間に位置する工程を意味する。

 

顧客が必要としている要件をまとめた「要件定義」を元に、どのようなシステムを開発すればそれを満たすことが出来るかを検討し、機器の構成や実装すべき機能、画面や帳票など操作や入出力に関する事項、生成・保管されるデータの概要など、システムの基礎的な仕様をまとめたものを「基本設計」という。

 

「要件定義」と「基本設計」の違い

 

「要件定義」の一般的項目

 

・業務要件:現状、新業務フロー等

・システム要件:インフラ系を中心にネットワークやプロダクト等

・セキュリティー要件:セキュリティに関しての要求事項等

・機能要件:大まかな機能や、「これを実現して欲しい」等の要求

・運用要件:運用まわり、バックアップ、容量見積等

・その他:ケースバイケースで他に何かあれば

・昔はレスポンス要件等もあったがWEB等は保証できない

 

「基本設計」の一般的項目

 

・システム設計:インフラ、ネットワーク、機器構成、プロダクト構成等

・画面設計:デザイン、項目定義等

・DB設計:論理/物理設計、ER図等

・処理設計:DFD、IPO、URUD、コード設計等

・業務・運用設計:サービススケジュール、バックアップ、リカバリー方法、新業務フローの詳細等

・テスト設計:テスト方法、ツール等の設計

・その他:補足資料他

 

詳細設計 内部設計/プログラム設計と呼ぶ場合もある)

detail design

 

ソフトウェアや情報システムの開発工程の一つで、全体の構成や行うべき処理の詳細など実装に必要な仕様を定義する工程。方法論の違いにより、「詳細設計」に当たる工程を「内部設計」と呼ぶ場合もある。

 

詳細設計は基本設計と実装の中間に位置し、基本設計で定められた機能や操作・表示方法などに基づいて、プログラムやシステムとしてそれをどう実現するかを具体的に定めていく。システムやソフトウェアをどのような構成にするか、それぞれの部分がどのような処理を行うべきか、それら部分間の連携・統合の方法などを決めることが多い。

 

方法論によっては、どのような要素によって全体を構成するかを決定することを内部設計と呼び、それぞれの要素の細かい仕様や処理の詳細を定めることを詳細設計と呼んで区別する場合もある。この場合「、詳細設計」は「内部設計」の実装の中間の工程となる。

 

基本設計」と「詳細設計」の違い

 

 

                                   
 

工程

 
 

ドキュメント成果物

 
 

内容

 
 

基本設計(外部設計)

 
 

業務フロー

 
 

 
 

システム構成図

 
 

 
 

ER

 
 

 
 

テーブル定義書

 
 

 
 

機能一覧表

 
 

 
 

設計書記述様式

 
 

 
 

基本設計書

 

(外部設計書)

 
 

概要

 

I/O関連図

 

画面/帳票レイアウト

 

 

 

                                                                                                                                                               
 

ドキュメント

 
 

ドキュメント成果物

 
 

基本

 

設計

 
 

詳細設計

 
 

業務フロー

 
 

業務の流れを理解し、機能を洗い出す

 
 

 
 

 

 
 

機能一覧表

 
 

開発範囲となる機能(画面・帳票・バッチ)の一覧

 
 

 
 

 

 
 

ネットワーク構成図

 
 

システム構成を把握

 
 

 
 

 

 
 

テーブル定義

 
 

 

 
 

 
 

 

 
 

ER

 
 

 

 
 

 
 

 

 
 

画面遷移図

 
 

画面遷移を図示

 
 

 
 

 

 
 

機能設計書

 
 

機能別の設計書

 
 

 
 

 
 

(表紙)

 
 

 

 
 

 
 

 
 

(目次/概要)

 
 

 

 
 

 

 
 

 
 

I/O関連図)

 
 

データと機能の関係を図示

 
 

 
 

 

 
 

(画面レイアウト)

 
 

画面イメージ

 
 

 
 

 

 
 

(帳票レアイウト)

 
 

帳票イメージ

 
 

 
 

 

 
 

(フローチャート)

 
 

バッチ処理のフローチャート

 
 

 

 
 

 
 

(項目説明書)

 
 

画面/帳票の項目説明

 
 

 

 
 

 
 

(イベント一覧)

 
 

画面操作で発生するイベントの一覧

 
 

 

 
 

 
 

BL一覧)

 
 

機能に含まれるBL(ビジネスロジック)の一覧

 
 

 

 
 

 
 

(更新仕様書)

 
 

機能またはBL単位の更新・処理内容を記述

 
 

 

 
 

 
 

(補足説明諸)

 
 

上記の記述に対する補足説明

 
 

 

 
 

 
 

設計書記述様式

 
 

設計書の記述方法の説明

 
 

 
 

 

 

 

そして、いざ、開発(製造)へ!ザ・メイキング!

(* ̄0 ̄)ノ

 

2012年10月27日 (土)

「風化病棟」  帚木蓬生(ははきぎ ほうせい)著 を読んで

こちらも「阿弥陀堂だより」に続いて、ご紹介、教えていただきました。ありがとうございました。
m(_ _)m 

この「風化病棟」は、1998年~2008年までの10年間に亘って、著者が書きあげた短編集となります。

 

1.メディシン・マン

2.藤籠

3.雨に濡れて

4.百日紅

5.チチジマ

6.顔

7.かがやく

8.アヒルおばさん

9.震える月

10.終診

 

どれも素晴らしい作品でしたが、ここでは、歴史にも繋がる「震える月」と「チチジマ」について。

 

じつは、「震える月」は、先日のブログ、「ベトナム戦争」と今を舞台にした物語となります。

ベトナム戦争でのタム少年とその少年を助けた大森医師から始まる物語です。

 

そして、「チチジマ」は、太平洋戦争と今を舞台とした物語となります。

 

太平洋戦争中での「父島」は、南方戦線への物資輸送の中継点であった。

19446月にアメリカ軍のサイパン攻略が始まると、「硫黄島」の防衛力増強が必要となった。

19447月にマリアナ諸島を失陥、翌19452月、米軍は「硫黄島」を攻撃、激戦地となり、3月に守備隊は玉砕。

「父島」、「母島」は、空襲や艦砲射撃を浴びたが、激しい攻撃を受けることはなかった。

その後、「父島」は敗戦まで守備を続けたが、敗戦により小笠原諸島・南鳥島は米軍が占領、そして統治された。

昭和436月、小笠原諸島全域の日本返還。その後も、「硫黄島」については、島民の帰島の夢が叶わぬまま現在に至っている。

現在の「硫黄島」は、施設区域が「硫黄島通信所」としてアメリカへ提供されている。また、西海岸沖及び南海岸沖には、揚陸進入海面として「硫黄島通信所水域」が設備・提供されている。

 

城山三郎氏の「硫黄島に死す」にもあるように、硫黄島の悲惨さはこれまでも聴いていましたが、「父島」も違う意味で悲惨であったことを知りました。

 

「戦争」は絶対に否定しなければならないことですね。

 

1945219日から始まった「硫黄島」攻撃は、約1カ月続く。大本営が陥落を公表したのが321日で、栗林中将以下2万人からなる硫黄島守備隊は玉砕。その1カ月後には「沖縄」の悲劇の幕が切って落とされる。

それから終戦までの
5カ月、「チチジマ」では、激しい攻撃は避けられたが、食糧路を断たれた兵糧攻めの状態で、「飢え(栄養失調)」、「アメーバ赤痢」、そして、全身虱(シラミ)に苦しめられることになる。

 

降伏調印後、米軍が最初にとった行動は島全体の消毒で、飛行機がDDTを散布。アメーバ赤痢の治療薬も手渡され、患者は回復できた。戦いがまだ続いていれば、何人もの病気による死者や餓死者が出たといわれています。降伏はまさに旱天の慈雨となったそうです。

 

「チチジマ」は、そこでの米国と日本の戦友(fellow soldier)同志の物語となります。

 

最後に心に残った言葉です。

 

「阿弥陀堂だより」、「風化病棟」とも、著者は共に作家であり、医師でもあります。

 

・待合室での様子を覗いてみる癖は、研修医のころ、指導医に口すっぱく教えられたことだ。柱の陰や後ろの方の椅子に坐っていれば対人緊張の傾向があり、手前の方であれば受診動機も強く緊急性が高い可能性がある。夫婦や親子で離れて座っていれば、その距離がそのまま家庭内の心理的距離をあらわしている。

 

・きみたち、何が効くったって、処方薬の中で一番聴効くのは『希望』だよ

 

・患者との面接で話題がなくなったら、本人が一番輝いていた時期のことを聞く。そうすれば、治療は決して悪い方にはいかない。

 

・実際の医療現場を担うのは、名医でも悪医でもなく、「普通の良医」なのだ。

また、医者は「逃げずに踏みとどまり、見届ける」

 

ありがとうございました。

 m(_ _)m

2012年10月25日 (木)

「目には目を、歯には歯を」

ヨーロッパの植民地から祖国の独立を願った「ガンジー」と「ホー・チ・ミン」。2人はそれぞれに反対の戦略を採ることになる。一人は無抵抗(不服従)主義で、一人は間断無きゲリラ戦で・・・。

 

先日は、ホー・チ・ミン(ベトナム)について、今日は、ガンジー(インド)について

 

「目には目を、歯には歯を」

ユダヤ教の教典であった「旧約聖書」にでてきます。

作家であり、キリスト教信者でもあった三浦綾子氏の解説によると、一つの事件を例にされています。自動車を蹴られた男が、その相手を引き殺すという事件。自動車を蹴られたのなら、自分もまた相手の持つ自動車を蹴るか、その人間を蹴って、帳尻が合う。だが、人間というものは、自動車を蹴られただけで、相手を殺したいほどに、恨みがエスカレートするときもある。

 

こうした“人間性”を見抜いた上で、<目には目を>の掟が定められたのであろう、と。目を傷つけられた者は、激しい憎しみにかられ、相手の命まで取ろうとする。だからせめて、こうしたおきてを定めて、目を取られたら、自分もまた相手の目を取るだけで勘弁してやれという、「復讐規制」の掟なのだと、三浦氏は解説をされています。

 

次に、

≪「目には目を」では世界が盲目になるだけだ/An eye for an eye makes the whole world blind.

これは、マハトマ・ガンジー(インド独立の父、1869102 - 1948130日)の言葉です。

この言葉は、ガンジーから、「非暴力不服従運動」(無抵抗主義とは異なるそうですね)を受け継がれたアメリカの「キング牧師」(ノーベル平和賞も受賞をされています)にも大きな影響を与えています。

 

自分に落ち度がなくても、理不尽な暴力を振るわれる事がある。だからといって暴力に暴力で返せば、更に暴力が返ってくるのが世の常である。暴力は共同体の枠組みを揺さぶるので、誰も幸福にしない不幸な連鎖である。そこで、不幸な連鎖を断ち切る為には、理不尽に堪えつつも「不服従」の姿勢で抵抗するほうが暴力に暴力で報いるよりも賢い方法であると。

ガンジーは『(潰された)目を暴力の連鎖の象徴』という比喩表現を用いる事で『暴力の連鎖』を揶揄しているのだそうです。

 

ガンジーについて

 

第一次世界大戦後は、独立運動をするインド国民会議に加わり、不服従運動で世界的に知られるようになる。またイギリス製品の綿製品を着用せず、伝統的な手法によるインドの綿製品を着用することを呼びかけるなど、不買運動も行った。

こうした一連の運動のために、ガンジーはたびたび投獄された。1922318日には、2年間の不服従運動のために、6年間の懲役刑の判決を受けている。

 

19458月に第二次世界大戦が終結し、イギリスは戦勝国となったが、国力は衰退し、もはや、本国から遠く離れている上に、独立運動が根強く続けられてきた「インド」を、植民地として支配していくことは困難であった。

ガンジーの号令もあり、インド全体へ独立運動は広がり、これに耐えることができなくなったイギリスはインドの独立を受け入れ、1947815日にデリーの赤い城にて、ジャワハルラール・ネルー(インド初代首相)がヒンドゥー教徒多数派地域の独立を宣言し、イギリス国王を元首に戴く英連邦王国である「インド連邦」が成立した

(その後1950年には共和制に移行し、イギリス連邦内の加盟国となり、現在に至る)。

 

最後にガンジーの言葉を一つ。

 

明日死ぬかのように生きろ!永劫永らえるかのように学べ!

 "Live as if you were to die tomorrow. Learn as if you were to live forever."

 

まさに「一日一生」ですね!

 

インド独立運動の同志、ジャワハルラール・ネルーとガンジーの写真です。

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ではでは、ありがとうございました! m(_ _)m

 

2012年10月22日 (月)

公的年金制度の代表的な「用語」について

平成12年、公的年金制度の用語の意味を問う正誤問題がありました。いまのテキストや参考図書にはあまり記載が無いようです。

そこで、社会保険労務士の入門書より、用語の意味をイメージ(記録)しておきます。

 

まず、基礎年金(国民年金)について

 

老齢基礎年金より、

 

「振替加算」 

サラリーマンの妻の場合は、昭和614月以降は国民年金の第3号被保険者として強制加入となっていますが、それ以前は任意加入であり任意加入していない場合の保険料納付月数が少なく老齢基礎年金は低額の年金額となることから、その配偶者自身の老齢基礎年金に振替えて加算することで、配偶者の年金額の底あげを図ったものです。

振替加算の対象者は、夫()およびその配偶者ともに大正1542日以降生まれであることが必要です。また、その配偶者自身が昭和4141日以前生まれで、厚生年金の加入期間20(中高齢者の特例による15年から19)以上ある特別支給の老齢厚生年金や本来支給の老齢厚生年金が受けられないこととされています。年額約1.5万円~約22.4万円、生年月日に依存。

 

「障害基礎年金」

対象は、20歳未満の人も対象、障害等級に該当しなくなれば、支給停止。

2級の場合に満額の基礎年金額

1級の場合には、満額の基礎年金額の1.25

 

「遺族基礎年金」

「子どものある妻」、または「子ども」に支給される。

子どもがいない場合に、その妻には支払われない。

また、子どもとは高校卒業となる18歳到達年度末までを言う

 

他にも、

「付加年金」(少しお得に思える、保険料月400円で加算される年金)

「寡婦年金」60歳~65歳の間のみ支給)、

「死亡一時金」(保険料納付月数に比例し、約12万~32万が一時金として支給)

が国民年金の特徴としてありますネ。

 

 

次に厚生年金について

 

老齢厚生年金

「改定率」「再評価率」

 「改定率」:定額部分に乗じる率。平成16年法改正によるマクロ経済スライドの導入によって、物価変動や賃金変動に応じた年金額の調整に加え、公的年金被保険者数の減少率、平均余命の伸びを勘案した「率」。  

 「再評価率」:報酬比例部分(標準報酬月額、標準賞与額)に乗じる率。現在の賃金水準に読み替えるため。必ずしも1以上とは限らない。 

 

「加給年金額」 

(報酬比例でなく、基礎年金でもない老齢年金部分)   

厚生年金保険の被保険者期間が原則として20年以上ある人で、その人に生計を維持されている65歳未満の配偶者または、18歳到達年度末までの子、または障害等級12級に該当する20歳未満の子がいる場合に、加算される加給年金額(一人につき約20万円強程)が支給される。

 

「経過的加算」 

(報酬比例でなく、基礎年金でもない老齢年金部分)   

60歳代前半の老齢厚生年金を受けていた人の場合、定額部分に相当するものが、老齢基礎年金となるが、当分の間、定額部分のほうが老齢基礎年金の額より高くなるため、その差額を「経過的加算」として支給している。

 

「障害厚生年金」、「障害手当金」

障害基礎年金と異なり、障害等級3級まで支給される。さらに、軽度の場合であっても「障害手当金」として一時金が支給される

 

「遺族厚生年金」、「中高齢の加算」

遺族は配偶者、子、父母、孫、祖父母となりますが、配偶者となる夫、父母、祖父母は60歳以上が支給要件となっています。また、子と孫は、18歳到達年度末までにあるが、20歳未満で障害等級1級または2級の障害状態にあること、そして婚姻していないことと定められらています。

 

また、子のない中高齢の妻が受給する場合、「中高齢の加算」があります。子がいない場合、遺族基礎年金が無いこと、中高齢での再就職が厳しいことを考慮して、遺族厚生年金が年額約60万程度となるように加算がされます。

 

以上となります。失礼いたしました。m(_ _)m

2012年10月21日 (日)

『生きているうち 働けるうち 日の暮れぬうち』 相田みつを

『生きているうち 働けるうち 日の暮れぬうち』

少し自分流に、生きているうちは精いっぱい! 一日一生、そして、少なくとも朝昼晩と三笑「Smile」できるように!

相田みつを氏の言葉より
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ありがとうございました! m(_ _)m

2012年10月20日 (土)

ホー・チ・ミンとベトナム

これまで日本の戦争(近現代史限定ですが・・・)については、本を読んだりしていましたが、世界の戦争については、正直、疎くよく分かっておりません。

 

今回、少しですが、ベトナム戦争、そして、ホー・チ・ミンについて、ネットを中心に調べてみました。

 

あくまでもネットからの情報ですので、100%正しいとは言えないと思いますが、第二次世界大戦では、日本の「愚行」とは逆に、アメリカのある意味での「賢さ」を感じましたが、ベトナム戦争では、今度はアメリカの「愚行」を感じることになりました。

そして、ホー・チ・ミンについては、「戦争」はいかなるときでもいけないと思いますが、偉人の一人ではないかと感じました。 (矛盾をしているかしれませんが・・・)

 

最初に、山川出版の世界史で確認!

インドシナ戦争からベトナム戦争への史実は書かれていましたが、ホー・チ・ミンという人間については、推し量ることは難しいものでした。

 

ホー・チ・ミン(ベトナム語: H Chí Minh, 漢字 胡志明, 1890519 - 196992日)は、ベトナムの革命家、政治家。植民地時代からベトナム戦争まで、ベトナム革命を指導。初代ベトナム民主共和国主席。

 

1925年、ホー・チ・ミン(この時35歳)はベトナム青年革命同志会を結成し、それを母体に1930年にインドシナ共産党が成立。~この時から、ホー・チ・ミンは亡くなるまで「戦いの一生」となります。

亡くなられたのが、1969年、ベトナム戦争が終結してベトナム社会主義共和国が成立するのが1976年となります。

 

また、ベトナムの戦いの歴史は、ソビエト(共産主義)とアメリカ(資本主義)の都合だけではないようです。

清国のアヘン戦争以降、植民地としてきびしい環境にさらされてきたアジアの歴史の一部として、見て行かなくてはならないようです。

ヨーロッパの植民地から祖国の独立を願った「ガンジー」と「ホー・チ・ミン」。2人はそれぞれに反対の戦略を採ることになる。一人は無抵抗主義で、一人は間断無きゲリラ戦で・・・。

 

インドシナ戦争(第一次インドシナ戦争)

ベトナム戦争(第二次インドシナ戦争)の開戦原因は、第二次大戦後のインドシナ戦争(1946年~1954年)に求められます。ベトナムは元フランスの植民地で、第二次大戦中は日本軍が占領していました。しかし第二次大戦後、フランスが日本軍の手放したベトナムを再び植民地にしようとしたところ、ベトナム人が植民地から独立しようと抵抗。

 

1945815日、日本は連合国に無条件降伏し、この情報を短波放送であらかじめ察知していたホー・チ・ミンはベトミンの総決起集会を816日に行い、総蜂起を決定します。

819日には、ハノイの政府官舎を占領、24日にはフエでベトミンを掌握し、25日にはサイゴンを掌握します。そして92日、ホー・チ・ミンがベトナム共和国の独立宣言を行います。その後1946年の総選挙で彼は初代大統領に就任。

ベトナムには、後ろ盾として共産圏の中国やソ連があっためフランスは苦戦の末、撤退し休戦へ。

フランスを支援していたアメリカは、ソ連の勢力圏に属する国の増加に危機感を抱き、ベトナムを南北に分割するという政治的介入を行い、そして南側を米国の属国(傀儡)にしました。

ベトナムは南北に分断されましたが、北側(共産側)が統一を主張し、2年後に南北統一選挙が行われると規定されていました。

ここまでが第1次インドシナ戦争19451954と呼ばれているものです。

 

その後、選挙は実行されず、アメリカは南側に軍事援助、軍事訓練を施し軍隊を作り上げます。一方で、この政権に反対する同じベトナム人を捕まえて殺害する暗黒政治を主導。これにより、再び、軍事衝突が始まります。

これが一般に「ベトナム戦争」と言われ、米国が軍事介入した時期のものを指すそうです19611975

 

196311月、ケネディ暗殺事件が起こります。憲法の規定により、ジョンソン副大統領が大統領職を受け継ぐ。

 

この頃から、アメリカの行動はさらにおかしくなります。

 

1964年に、アメリカ(ジョンソン政権)はアメリカの軍艦が北ベトナム軍の攻撃を受けたことを口実にして(トンキンワン事件)、翌年、北ベトナムへの空爆を開始。(「北爆」と呼ばれます)。

ところが、密林でのゲリラ戦で予想外に苦戦。そこで、アメリカ軍はゲリラ掃討にとって邪魔な密林を一掃するために、「枯葉剤」という遺伝子異常や奇形児懐胎、癌を誘発するような除草剤を密林や耕作地に散布しました。

この非人道的な行為は、アメリカの内政が芳しくなかったこともあり、アメリカ国内で反戦運動の火種となります。

結局、米軍もフランス軍同様北ベトナム軍の強力な抵抗に手を焼き、一進一退が続きました。さらに、米国内の反戦運動が激化し、戦死傷者も増大最終的には戦死58000していきます。

そして戦闘は泥沼化し,戦局見通しが全く立たなくなり、1973年に、ベトナムから撤退します。

1975年サイゴン現在のホー・チ・ミン市陥落をもって終戦となりました。

 

ホー・チ・ミンは、腐敗や汚職には無縁で、禁欲的で無私な指導者であり、自らが個人崇拝の対象になることを嫌っていた。また、ホー・チ・ミンの指導下において、政策議事は徹底的な討議を前提とした全会一致制とされた。またホー・チ・ミンは自伝の類を残さずに亡くなったため、後継指導者層や軍人達の間でも「ホー・チ・ミンが何も語らずに逝ったのに、我々が何を言えるだろう」として自己の業績についてほとんど語らないという伝統が生まれたそうです。

戦争中、武器の質と量で劣っても、常に優勢であったのは、このように“士気”がとても高かったためと言われています。

また、戦時中から「教育」にも力を入れていたといいます。南の解放地区に住む優秀な子どもたちを含めて、北に集め、高等教育を施したとありました。

 

ホー・チ・ミンの慈愛に満ちた飄々たる風貌、また腐敗や汚職、粛清に手を染めなかった高潔な人柄は、民衆から尊崇を集め、そして愛された。晩年は南北ベトナムの両国民から「ホーおじさん」と呼ばれ親しまれたそうです。

 

ホー・チ・ミンの人柄を示す逸話として、「人民の生活を知るために市場を見たい」といって、ばれないように、変装して市場にいき、衣服や食品の値段を確認して回ったとの話もあるそうです。

今でいう「現場主義」ですね。

 

第二次世界大戦は期間で言えば、日本参戦からは4年間。ベトナムは独立するまでに、なんと30年間戦い続けたことになります・・・

 

それにしても長い植民地時代から一国が独立するのに、これ程までに多くの犠牲を払わなければならなかったことには、複雑な気持ちとなります。

 

ハノイの旧牢獄に行くと足かせのついたコンクリートのベッドが並んでいる中に、ホー・チ・ミンの獄中での詩、「身体在獄中、精神在獄外、精神更要大」があるそうです。

 

写真は、ホー・チ・ミンが、1958年から約11年間住んだとされる2階建ての住居。最高権力者の家とは思えないほど、質素な住居だそうです。

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最後に、

NO MORE WAR  Greeeen より

今日もテレビの中じゃ戦争、私腹を肥やす大人の理想郷

冷たい雨に打たれる子供が、今日もまた一人死んでいく状況

いつだってそう、僕だってそう、また見て見ぬ振りする

混沌とした世界、全て支配、抜けてみたい、気付いた今日からスタート

 

誰が悪いの? ねえ、どうしてなの?

なんで幼いこの子が死ぬの?

建前と金を大人は求め、かけがえの無い者の命が消え

足早に流れてく時の中で、人の記憶も失われる流れ

同じ事を繰り返していく定め、強者と弱者の慈しみ消え

 

『明日』はきっと、皆笑えるかな?

小さな声がきっと、僕ら呼んでいるよ

確かな事は、この地球(ほし)に生まれ

君と僕は少し『場所』が違うだけ

 

何故、人は傷つけあうんだろう? 離れた街にまだあるくだらんWAR

荒れ果てた大地 無惨な過去 また繰り返し続けるただのアホ

幼い頃見たひめゆりの塔、それから得られたよ、見えぬ希望

平和な日からは予期せぬ日と、突然出くわした、老いてる人

たくさんの石を並べた道、ダチ達の名前刻んだ石

砕かれた大志、奪われた敗地(大地)

花ささげて そして歩きだし、、、

 

、、、『明日』はきっと

 

平和を知らない、子供がほらね

平和の向こうで見てる僕らに笑うよ

何が出来るだろう、、、

僕の心の奥で何かが動いた

 

『明日』はきっと、皆笑えるかな?

小さな声がきっと、僕ら呼んでいるよ

確かな事は、この地球(ほし)に生まれ

君と僕は少し『場所』が違うだけ

 

<http://www.youtube.com/watch?v=D9EclUUve1Y>

 m(_ _)m

2012年10月15日 (月)

「阿弥陀堂だより」 南木佳士著 を読んで

癒される本だと思います。ご紹介いただきました。ありがとうございました!m(_ _)m

なかなか自分だけで見つたり、広げていくことは難しいですよね。感謝です!

 

「阿弥陀堂だより」とは、過疎といえる“谷中村”にある阿弥陀堂の堂守おうめ婆さんのインタビュー記事からきています。4ページからなる“谷中村広報”の裏表紙下段左隅に毎号掲載される記事となります。

 

このおうめ婆さんが最高ですネ!96歳のおばあちゃんです。

 

それでは、とても印象に残ったおうめ婆さんのことばから!

 

「目先のことにとらわれるなと世間では言われていますが、春になればナス、インゲン、キュウリなど、次から次へと苗を植え、水をやり、そういうふうに“目先”のことばかり考えていたら知らぬ間に96歳になっていました。“目先”しか見えなかったので、よそ見をして心配事を増やさなかったのがよかったのでしょうか。それが長寿のひけつかもしれません。」

 

「わしゃあこの歳まで生きて来ると、“いい話だけ”を聞きてえであります。たいていのせつねえ話は聞き飽きたもんでありますからなあ」

 

「畑にはなんでも植えてあります。ナス、キュウリ、トマト、カボチャ、スイカ、・・・。そのとき体が欲しがるものを好きなように食べてきました。質素なものばかり食べていたのが長寿につなかったのだとしたら、それはお金がなかったからできたのです。“貧乏”はありがたいことです。」

 

~頭にかぶっていた手ぬぐいをとると、96年間笑い続けてきて完成したような、“天然ものの笑顔”が現れた。

 

おうめさんにとって、それがあるために生きていられると言ったものはなんですか?と聞かれて

「そうでありますなあ、こうして毎日南無阿弥陀仏を唱えることでありましょうな。南無阿弥陀仏さえ唱えていりゃあ極楽浄土へ行けるだと子供のころにお祖母さんから教わりましたがな、わしゃあ極楽浄土なんぞなくてもいいと思っているでありますよ。南無阿弥陀仏を唱えりゃあ、木だの草だの風だのになっちまった気がして、そういうもんと同じに“生かされている”だと感じて、落ち着くでありますよ。だから死ぬのも安心で、ちっともおっかなくねえでありますよ」

 

 

さて、この本の主人公は、有能なエリート医師 上田美智子43歳、その夫、なかなか売れない作家 上田孝夫 43歳となります。

美智子は、有能であるがゆえの超多忙な毎日、流産、そして、化学療法科という専門分野から、日々多くの死に立ち会うことにより、

「正のエネルギーをすっかり死に吸い取られちゃった私は死のことしか考えなくなって、明日を楽観できなくなってしまったのよ。心の病気だわね」と、のちに話をしている通り、

「パニック障害」になります。

 

そして、夫の実家になる過疎化した谷中村へ、病気を癒すために戻ってくる。

 

この美智子について、とても純粋な人なのだろうな、と思いました。

 

パニック障害となった美智子を、夫の孝夫がつぶやくシーンでは、

「心の病気にとってはプライドの高さも悪化要因の一つでしかないのだ。」

 

そして、谷中村に来て、病気が癒されたあとに、美智子は、

 

「最前線こそがエリートの仕事場で、田舎の診療所なんか落ちこぼれ医者にやらせておけばいいって、私も前はそう考えていたの」、でも、

「落ちこぼれてみないと見えなかった風景っていうのがあるのよ。背伸びばっかりしていると視野に入らない竹の低いものの中に、実はしっかりと大地に根をおろしている大事なものがあったのよ。そういうことに気づいてから、落ちこぼれっていうのも悪くないなって思っているんだから」

 

この本の著者、南木佳士(なぎ けいし)氏も、パニック障害となられており、呼吸器科医として、肺ガンで死んでいく患者を多く看取りすぎた心労が原因だと、本人は書かれているそうです。

 

「プライド」は高すぎてもよくない。自在に取り外しができるとよいように思っています。

中高年になると、人生は後半戦。

小規模でも良いから、ボクらなりの畑をボクらなりの感性で作っていくことにしましょう。

あまり背伸びせず、ちょっと背伸びする。

この本では、さらに背伸びをすると歩けない。踵を大地にしっかりとおろして歩くことも大切と言ってくれています。

がんばりましょう!

 

さいごに、著者、南木氏がモチーフとされた、谷中村 阿弥陀堂は、南木氏の故郷、嬬恋村三原だそうです。

コチラです。結構年季が入っていますね~。

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ではでは、また。m(_ _)m

2012年10月13日 (土)

芥川龍之介の「人生は一行のボオドレエルにも若かない」とはどういう意味か?

「人生は一行のボオドレエルにもしかない」

 

ボードレールはフランスの有名な詩人。

 

人生などというものは、ボードレールの書いた、たった一行の詩の価値もない、ということを言っているそうです。

 

『或阿呆の一生』の中に出てくる芥川龍之介の有名な警句(アフォリズム)

全編に不気味で、鬼気迫る雰囲気を漂わせる「名作」とのこと。

 

主人公が本屋の書棚にかけられた梯子の上から、本の間から覗かれる店員や客を見下ろしたとき、ふと、彼らが小さくみすぼらしく感じられたために発した警句。人生は、所詮、ボードレールの詩の一行(芸術の一片)にも及ばないという意味だそうです。

『或阿呆の一生』は、芥川が自殺する約一か月前に書かれた遺稿の一つであり、芥川の芸術至上主義的な厭世主義的な人生観が感じられるらしいです。

 

芥川は、人生の、そして時代の「漠然たる不安」にさいなまれ続け、昭和2年(1927年)、自殺。

『或阿呆の一生』は、その昭和2年(1927年)の芥川自殺後に見つかった文章で、自分の人生を書き残したといわれているそうです。

 

「人生は一行のボオドレエルにも若かない。」  この一行は、後の世の多くの若者に影響を与え続けた。良い意味でも、悪い意味でも、と・・・・・

 

~ 残念ながら、まだ読んだことはありませんが、どう思いますか?

 

イギリスの作家、サマセットモームも著書「人間の絆」の中で同様のことを言われています。

とてもよかった本ですが、その中で「人生は無意味である」と書かれています。

 

オーストリアの心理学者であり、作家のヴィクトール・E・フランクルは、まったく逆のことを言われています。「それども人生にイエスと言う」の中では、「人生には意味がある。生きる意味がある。」ということを明確に書かれていますね。

 

どちらも「真理」のように思いますが、心のもち方は後者が心身によいように思っています。

 

ではでは、また。m(_ _)m

2012年10月 9日 (火)

「秋」 (芥川龍之介著) を読んで

「秋」は、姉妹と従兄の三角関係の物語。

三角関係といっても、お互いに行動どころか、言葉にも出さず、ほとんど心の動きによるものです。これは今の時代に「三角関係」といえるのか?とも思いました。

この物語は、ほとんど心の動きで書き上げられているように思います。驚きです。

 

ちょっと自分の感想は書けそうにありませんので、周りの方の感想をまとめてみました。

心の描写が鋭すぎて、ちょっと怖いなと思い、どう書けばよいのかが分かりませんでした。

 

登場人物は、三人。

○姉妹:信子(姉)、照子(妹)

○従兄:俊吉、信子に恋心を抱きながら、妹の照子と結婚

 

***

登場人物のひとつひとつの動作や言葉のうらに絶え間なく揺れ続けている名状し難い感情のその動きを、徐々に深まっていく「秋」の情景のうちに丁寧に描きこんでいる。心理描写と情景描写の中間に、登場人物の《心》と《季節》が共有するなんともいえない「さみしさ」を置いているのである。

 

束の間ではあったが再会を果たした、かつて恋した男への想いと、嫉妬のあまり自分の前で泣き崩れ「永遠に他人になったような」妹への想いが、秋の景色に託して見事に綴られている。こういう描写はちょっとすごいとしかいいようがないと思う。

***

姉妹と従兄の三角関係を通じて、その揺れ動く心情を姉、信子の視点で緻密に描写した。三者とも思いを内に秘めながらも、ただ目の前にある現実を生きようとしている様子が写実的に表現されている。

 

姉の信子は俊吉に思いを残しながら、別の相手と結婚していた。

しかし、しこりとなった思いは未だ胸の中にあり、妹の照子と結婚した俊吉との結婚生活が幸福でないことを知ると、「残酷な喜び」を覚えてしまう。

一方、妹の照子も姉と夫が未だ思い合っている事実を知り、わきあがる嫉妬の情を内面に押しとどめていた。

三角関係を自覚した三人は、それぞれの距離を感じながらも形を保ち続ける。今のそれぞれの立場を壊せない、動かしがたい現実が三人の間には横たわっていた。

※お互いの気持ちに気づいたからと言っていったんリセットボタンを押してから人生をやり直すようなことは、芥川が生きた時代の日本社会ではありえない現象だろうと、コメントされている方がいました。

***

前夜、信子が俊吉に誘われて庭に出て、月を眺め、鶏小屋をのぞいたりしたことについて、抗議しているのです。

ここでは表面的には特別なことはなにも起こっていません。しかし、信子と俊吉の心理にとっては、ふたりが結婚したあとにできていた心理的な垣根がなくなって、ふたりきりで過ごした時間として、特別なものだったということです。

おそらく、この二人にとってこのひとときは、具体的なことはなにも口に出さなくても、かつて好意をもったもの同士としての「親密さ」を無言のうちの合意を伴って甦らせた時間であったでしょう。

そして、”無言のうちの合意”が成り立っていたこと自体に、二人の気持ちの近さが表れていた時間だったはずなのです。つまり、ここでは登場人物が口にはださなかったこと、作者が書かなかったことに、むしろ二人の心理の距離の近さが描かれているとみるべきでしょう。それは、

1. 鶏をみた信子が「玉子を人に取られた鶏が。」と考えてしまったこと。いうまでもなく、「玉子を人にとられた鶏」に信子自身を重ねてみています。このひとときが信子にそう実感させる時間だったことがわかります。

2. 二人が庭から帰ったとき、「照子は夫の机の前に、ぼんやり電燈を眺めていた。」

この照子の様子はあきらかに普通ではありません。

照子が放心していたのは、おそらく庭にでていった俊吉と信子との間には、自分の居場所がないことを直感的に知ったからです。その孤独感がその原因などに思いを馳せさせ、放心となったのだと思われます。

3. 「お姉様は何故昨夜も--」というセリフをいったときの照子は、「抑えきれない嫉妬の情が、燃えるように瞳を火照らせていた。」照子が泣いたのが、嫉妬の感情からであることはあきらかです。

 

照子は、信子が「照さんさえ幸福なら」「俊さんが照さんを愛していてくれれば」といいながら、実際には照子の居場所がなくなるような時間を俊作とふたりで過ごしたことを、俊吉が不在で信子とふたりだけになったときに抗議しているのです。

そして、そのような三人の関係は、最初のほうに、「・・・が、妹の照子だけは、時々話の圏外に置きざりにされる事もあつた。」「そのくせ、まず照子を忘れるものは信子自身であつた。」という伏線で語られています。

***

 

一点、自分として思ったのは、信子と言う女性について、次の記載がありました。

“信子は妙に恥しさを感じながら、派手な裏のついた上衣(コオト)をそつと玄関の隅に脱いだ。”

なんとなくですが、“派手な裏のついたコート”というのが、慎ましく見える信子の別の一面を表しているように思いました。

 

それにしても、芥川龍之介という作家の“鋭く繊細な心”を感じたように思いました。

 

ありがとうございました。m(_ _)m

 

青空文庫で読ませていただきました!

↓コチラです。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/16_14570.html

 

2012年10月 8日 (月)

「レッドゾーン」(真山 仁著)を読んで その2

この物語の中で、鷲津の敵対的位置におかれている「CIC」について、レッドゾーンで初めて知りました。

 

本の中では、

*****

CIC相手にTOBをまともにやり合えば、勝ち目はありません」(鷲津)

「国家ファンドだからですか?」(アカマ自動車 保阪)

CICだからです」(鷲津)

 

CICの怖さは、経済的合理性を無視した投資を行う点にあります。投資家の目的はハイリターンではありますが、そこには自ずとルールがあります。たとえば買収額は時価総額に将来の期待値を加味した上での限界値が常に存在します。要するに欲しいからと言って、湯水のように資金が使えるわけではありません。」(FA石岡)

「ところが、CICにはそんなルールがありません。極論を言えば、CICの使命は、中国が保有するドルを無駄遣いすることです。なぜなら、下手に大きな利益を上げれば、外貨準備高を増やしてしまうからです。そんなことが続けば、世界中から人民元切り上げの圧力が高まります。それを避けるためには、利益を出してはいけないんです。どうせ捨てるカネなら有効に使え。そういう恐ろしいミッションをCICは課せられているんです。」(FA石岡)

*****

 

このままではよろしくないと思い、「CIC」について、少し調べてみました。

 

調べた中では、年金基金を中心とした「投資ファンド」とは、ファンドは異なるものの、目的(利益を上げること)は同じように思えました~!?

理解不足なのでしょうか???

 

↓↓↓↓↓↓↓

25兆円を運用する中国国家ファンド

「中国投資有限責任公司」(CICChina Investment Corporation

 

 2兆ドル(約165兆円)を超える世界最大の外貨準備を保有する中国。そのうち、3000億ドル(約25兆円)を超える規模を運用する中国の国家ファンドCIC(中国投資有限責任公司)。

 

※中国政府は、外貨を中国元に戻したら国内でハイパーインフレが起きてしまうから、ドルのままで運用する方法を模索していた。そして07年に外貨準備高の20%程度を海外投資に向けると発表した。その時点では、150兆円×0.230兆円(実際に運用原資とされたのは当初2000億ドルだった)。これが世界を驚かせ、怯えさせた中国国家ファンド「中国投資有限責任公司(CIC)」の成り立ちである。その規模は、100兆円と推定されているオイルマネー全体よりは小さいが、サウジアラビア一国が運用する資金に匹敵する。

 

 そのCICを率いるのが、高西慶社長。「中国国家ファンドの動きは、秘密のベールに包まれている」とよく表現される。しかし、そんな神秘性とはほど遠いあけすけさで、高社長は何でも話す。数十兆円を世界中に戦略的に投資する責任者として多忙だが、充実する人生をそのオーラに感じさせる高社長。パワーを全身にみなぎらせている。常に笑顔いっぱいだ。

 

世界最大級の中国国家ファンドCICの高社長、世界最強のプライベートエクイティ(PE)ファンドと言われるカーライル・グループの共同創業者であるデイビッド・ルーベンシュタイン氏、世界最大の投資運用会社ブラックストーンのトニー・ジェームズCOO(最高執行責任者)ら、カーライルやブラックストーンへの最大の出資者が、CICになる。

 

 ルーベンシュタイン氏は世界のPEへの資金供給源は、年金基金から新興国の政府系ファンドへ主役が移っていることを披露。将来その政府系ファンドがアメリカPEファンドから人材やノウハウを奪い、PE市場を牛耳るのではないか、という危機感を覚えていることをパネルディスカッションで明かした。

 

 常に自信に満ち溢れている高社長だが、国家ファンドとしての意思決定の難しさと内部のカルチャーギャップに苦悩している様子だ。

 

彼らの資金調達源は、

国内で安く産出される天然資源の輸出代金を原資とする「資源型国家ファンド」と、

外国為替収支の余剰資金を原資とする「外貨準備型国家ファンド」の、大きく2つに分けられる。

 

「資源型」は超長期的な投資を行ない、

「外貨準備型」は中期的な投資を行なう傾向が強いのだ。

 

 国家ファンドと言っても、その実態は「洗練された投資」を目指す少数プロフェッショナルの集団である。投資金融機関である以上、その資産と負債のALM(Asset Liability Management)を、きちんと管理する必要がある。そのため両者は、原資の特性を生かした運用を行なっている。

 

たとえば、資源の輸出による「永久的な無原価資金」(自己資本)として原資を運用できる資源型は、リスク許容度が高いため、長期投資が可能になる。それに対して、外貨事情によっては資金の取り崩しを迫られかねない外貨準備型は、原資が「長期運転資金」に似た性格のため、流動性を意識した投資にならざるを得ないというわけだ。

 

CICについては、後者の「外貨準備型」の代表格と言えるだろう。

 

CICは、バイ・アウト・ファンドのようなPEファンドとは異なり、あらゆる投資資産の資産クラスに対するアセットアロケーションに基づいて中国内外に展開する「洗練されたグローバル総合機関投資家」に変貌しつつあるのだ。

 

世界には自社の企業価値を高めるパートナーとして、彼らを積極的に受け入れる企業関係者も、少なくないのだ。

 

彼らが日本をはじめとする保守的な国家に「開国」を促し、疲弊した経済構造を転換する一大勢力となる可能性は、小さくないだろう。

 

実際、CICの役割は、1)「超過」外貨準備の運用と 2)国有金融機関への出資・管理の2つであると設定されている。

投資戦略は、1)資本市場のポートフォリオ投資、2)海外のエネルギー・原材料などの戦略投資、3)中国企業の海外M&A戦略への支援などであるべきと政府関係部門や各界から要求されている。しかし、CICの投資収益率は、資本金となっている特別国債への5%前後の金利支払い、年平均5%前後の人民元上昇による為替差損及び内部管理費を合わせた10%前後のコストを上回らないと、経営赤字になってしまうので、利益最大化の商業目的に徹すべきであると反論する意見も多い。実際、CICの投資政策がいまだに明確になっておらず、「商業目的」ではなく「政府の戦略」の実施ではないかと海外から警戒されているゆえんである。

 

↑↑↑↑↑↑↑↑

 

以上となります。

 

ムダにできるお金ではないように感じております~

そこで、勉強は継続していきたいと思います!

 

ではでは。m(_ _)m

「レッドゾーン」 (真山 仁著) を読んで その1

今回は、投資ファンド「サムライ・キャピタル」の社長鷲津政彦と中国国家ファンド「中国投資有限責任公司(CICChina Investment Corporation)」との、日本を代表する自動車会社「アカマ自動車」の買収を巡る物語となります。

 

ここではまず印象に残った言葉を!

 

「本業以外のビジネスに手を出した企業は、必ず潰れます!」(鷲津)

 

「幸福とは、その人の能力を発揮できる場を常に持ち続けることかも知れない」(鷲津)

 

「自分たちの長所短所を知ることは重要だ。おのれを知れというのはね、単に自問自答しろという意味ではない。自らを突き放して冷徹に分析するという意味ですよ。」(鷲津)

 

「ほんま、おまえさんの人使いの荒さにも困ったもんやな。・(中略)・、そっとしていてくれへんかな」(飯島)

「そんなことしたらボケますよ!」(鷲津)

 

「悪いな、俺に余生は必要ない。生きる意味がなくなれば、すぐにでもこの世とおさらばするよ」(鷲津)

 

「憎しみからは何も生まれない」(鷲津)

 

本の最後には、池上彰氏と真山仁氏の対談が掲載されていました!

 

池上氏は、主人公鷲津のことを、

「日本を買い叩く」というのはある種の虚無的な気持ちなんでしょうね。この国はもうどうしようもない、買い叩いてやる。そう考えるのは、日本への様々な思いが裏切られてきたということですよね。愛国心の裏返しです。かわいさ余って憎さ百倍と。

 

あと、鉄血政策でドイツ統一の立役者となったビスマルクの名言「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。」をもとに、次のことが語られていました。

池上氏 「1929年(世界恐慌)と2009年(リーマンショックの頃)はそっくりなんです。当時と同様に、ブロック経済、保護主義が始まっています。また、1929年世界恐慌のときは、ナチスドイツが台頭し、あるいはイタリアにファシズムが広がっていきました。」

真山氏 「こういうときにヒトラーみないな人間が出てくる確率が高くなることですね。リーダーとして出てくる人は、正しい方向に導いてくれる人なのか、扇情的にあらぬ方向に持っていく人なのか。」

池上氏 「“レッドゾーン”で真山さんがお書きになったのは、「日本、がんばれ」と言う話であると同時に、この金融危機において、(世界恐慌時にアメリカが行ったように)日本は「ルールから作る」力をもっていかなければということですね。今後、中国と立ち向かうにあたっても」

 

日本が、もっと(正しい方向に)リードしろ、しっかりしろよ、と言うことなのかな、と思いました・・・

 

最後に、

「レッドゾーン」の中では、鷲津が

「考えすぎるのはやめにしないか。ケ・セラ・セラ、なるようになるっていうのが。最近の心境でね。」

と言った言葉に対して、恋人リンが、

「政彦、この歌の主題歌になった映画のタイトルを知ってる?『知りすぎていた男』よ。まさに、あなたのことよ。あんまり呑気なことを言ってるといきなり飛行機の窓から捨てられちゃうわよ!」

の会話の中で出てきます。

 

ケセラセラ(Que sera sera/ケ・セラ・セラ)は、スペイン語に由来するフレーズ。

「なるようになる」の意。英語では「Whatever Will Be, Will Be」。

 

『やることはやり尽くす、あとはなるようにしかならない』

仕事でも、好きなことが仕事にできればハッピーだろうし、究極は適材適所となるのではないでしょうか?

あとは「ケ・セラ・セラ」、なるようになる、という感じが好きなところです。

 

なので、言葉の意味は知っていましたが、

アルフレッド・ヒッチコック監督の映画『知りすぎていた男』(1956年)でアメリカ女優・歌手ドリス・デイが歌った曲、ということまでは知りませんでした。

では、Que sera sera ケ・セラ・セラで締めましょう! 

When I was just a little girl

まだ子供だった頃

I asked my mother what will I be

私の未来をママに たずねた 「わたし、大きくなったら

Will I be pretty? Will I be rich?

可愛くなれる? お金持ちになる?」

Here's what she said to me

すると ママはこんな風に答えてくれた

Que Sera Sera

ケ・セラ・セラ

Whatever will be will be

なるように なるわ

The future's not ours to see

先のことなんて 誰にもわからないのよ

Que Sera Sera

What will be will be

気にしてもしょうがない、なるように なるわ

When I was just a child in school

小学生になってから

I asked my teacher what should I try

先生にたずねた 「将来、何になればいい? 

Should I paint pictures?

画家がいいかなあ?

Should I sing songs?

歌手がいいかなあ?」

This was her wise reply

すると 賢い先生は こたえた

Que Sera Sera

Whatever will be will be

なるように なるわよ

The future's not ours to see

先のことなんて 誰にもわからないのよ

Que Sera Sera

What will be will be

なるように なるわよ

When I grew up and fell in love

大きくなって 恋をしたとき

I asked my sweetheart what lies ahead

彼に この先に何があるのか訊いてみた

Will we have rainbows day after day

来る日も来る日も虹が見えるかしら?

Here's what my sweetheart said

彼はこんな風に言った

Que Sera Sera

Whatever will be will be

なるように なるさ

The future's not ours to see

未来なんて誰にもわからない

Que Sera Sera

What will be will be

なるように なるさ

Now I have children of my own

今では わたしにも子供ができて

They ask their mother what will I be

その子たちは明日のことを私に訊く

Will I be handsome? Will I be rich?

ハンサムになれるかな? お金持ちになれるかな?」

I tell them tenderly

わたしは やさしく 教えてあげる

Que Sera Sera

Whatever will be will be

気にしてもしょうがない、なるように なるわ

The future's not ours to see

明日のことなんて誰にもわからないのよ

Que Sera Sera

What will be will be

気にしてもしょうがない、なるように なるわ

ケ・セラ・セラ(訳詞付) - ドリス・デイ 

<http://www.youtube.com/watch?v=aImZEjetK5w>

 

ありがとうございました~!

 m(_ _)m

2012年10月 7日 (日)

年金2 厚生年金基金に関する論文予想 その5

3.厚生年金基金制度等の今後の在り方・・・収束方法

 

厚生労働省「厚生年金基金等の資産運用・財政運営に関する特別対策本部」より、

平成24928日付

決定事項

1. 厚生年金基金の代行制度については、ほかの企業年金制度への移行を促進しつつ、一定の経過期間をおいて廃止する方針で対応する。

※「一定の経過期間」については、適格退職年金の移行期間に倣い、10年程度を想定している模様

 

2. 今後、持続可能で、中小企業などが加入しやすい企業年金を構築するための施策を積極的に推進する。

※現時点では具体的イメージは未定とのこと

 

3. 「代行割れ問題」への対応として、「連帯債務問題」や「債務額の計算方法」など、特例解散制度の見直しをはかる。

    前回のブログで、「厚生年金基金の特例解散」を記しましたが、現在も平成23年度から5年間の時限措置は継続されています。 (有識者会議報告書 P8~)

    総合型基金が現在の特例解散制度により解散し、分割納付中に一部の事業所が倒産した場合、不足分の債務は、現行法の下では国と基金との間の債権・債務関係となっていることから、倒産事業所分の債務は基金の債務として残り、結果として残った事業所が連帯して負担することとなる。

    代行割れ基金の母体企業の多くは業況の悪化している業種に属しており、財政健全化の道筋が立たないために、すでに解散を決議している基金もある。しかしながら、解散時の積立て不足分の負担や倒産事業所に係る連帯債務の問題等のため、解散に踏み切れないまま財政状況が更に悪化している基金もあり、厚生年金保険本体の財政への潜在的影響という観点からも代行割れ問題は深刻さを増している。

 

    深刻化する代行割れの問題への対応としては、これまでも特例解散制度により、厚生年金保険本体への納付額の特例や分割納付などの措置が講じられてきたが、産業構造の変化等に伴い、母体企業の負担能力が著しく低下している基金では、こうした現在の措置を用いても、解散できない状況にある。

    代行部分の積立不足は母体企業が責任をもって負担することが前提であるが、一方で中小企業の連鎖倒産等による地域経済・雇用への影響、さらに基金を構成する企業が全て倒産した場合には結果的には厚生年金本体の財政へ影響を与えることなどを踏まえれば、問題を先延ばしせず早急に制度的な対応を行う必要がある。

    具体的には、モラルハザードの防止に留意し、厚生年金保険の被保険者の納得が十分に得られる仕組みであることを前提に、基金の自主的な努力を支援するとの観点から、特例解散における現行の納付額の特例措置や連帯債務の仕組みを見直すことを検討すべきである。この場合、連帯債務の問題については、解散後も国と基金との間の債権・債務関係が続く現在の仕組みを見直して、解散時に各事業所の債務が確定できるようにすることを検討すべきである。

    また、解散の際に、母体企業の財務諸表にそれまで簿外債務となっていた年金給付債務が計上されることに伴い母体企業の資金調達に大きな支障が生じることのないよう、金融行政と連携しつつ対応を検討する必要がある。

    なお、分割納付に際して納付額に付される利率は厚生年金保険本体の実績運用利回りに連動しているが、母体企業の資金調達計画を組みやすくする観点から「定率」にするなどの緩和措置を講ずるべきとの意見もある。

 

 連帯債務の責任については、国民の理解が得られる範囲で、税金の投入も検討が必要なのではと思いました。総合型基金の場合、その中で、ある事業所が倒産した場合に、それ以外の事業所にどこまで責任があるのか、通常は「無い」とも言えるように思うためです。

 

4. 本年10月中に社会保障審議会年金部会の下に専門委員会を設置し、同委員会に厚生労働省の「厚生年金基金制度改革試案」を提示し、同案に対する検討を行い、年内を目途に年金部会としての成案を得る。

 

5. 同成案に則した法制化作業を進め、次期通常国会における厚生年金基金制度改革のための法案提出を目指す。

 

今月10月中に提示予定の「厚生年金基金制度改革試案」(厚生労働省)を注目しましょう!

 

ではでは。m(_ _)m

 

年金2 厚生年金基金に関する論文予想 その4

2.財政運営の在り方

 

先に、厚生年金基金等の企業年金の現状 (平成22年度末時点) 
※第
1回有識者会議資料より

 

                                       
 

 

 
 

現在加入者数

 
 

件数

 
 

資産残高

 
 

厚生年金基金

 
 

450

 
 

595基金

 
 

28兆円

 
 

確定給付企業年金

 
 

730

 
 

1万件

 
 

42兆円

 
 

確定拠出年金

 
 

400

 
 

3705

 
 

5.5兆円

 
 

合計

 
 

1700

 
 

 
 

 

ü 上記595基金のうち、中小企業が集まって作る「総合型」が8割を占めている

ü 上記595基金のうち、最低責任準備金未達(代行割れ)が約4割の213基金。不足額は、6289億円。さらに指定基金が81基金

昨今の経済、金融情勢の悪化によって、積立不足が増大して、非常に厳しい財政状況にあります。とくに母体企業の多くが中小企業である厚生年金基金、この厚生年金の代行部分に必要な積立金がない、いわゆる「代行割れ」が全体の約4割を占めている状況にあります。

20123月末現在では、全576基金のうち、最低責任準備金未達(代行割れ)が約5割の286基金までに増加、不足額は総額11千億円にのぼる。(朝日新聞、2012/9/28

ü 上記595基金のうち、基本プラスアルファ部分の予定利率が5.5%のままが9割、加算部分に関しては6割を占めている。

ü 過去10年間、厚生年金保険本体の平均運用利回りを上回った基金は、595基金中4基金のみ

ü 現在の基金の給付の約8割は代行給付(型)

ü 全体として、こうした企業年金への加入者数は、10年前は約2000万人程度でしたが、直近では、1700万人ということで、概ね厚生年金被保険者の4割ぐらいが加入している状況です。

ü 厚生年金基金では、10年前、加入者数は約1000万人程度でしたが、直近では半減しており、約450万人ということになります。

ü 現在ある厚生年金基金の約8割は総合設立となっている。

 

総合設立の基金の財政運営悪化の原因 

多くの総合設立の基金では、プラスアルファ部分が総じて小さく、代行部分からの給付の多くが占めている状況にある。平成16年の法改正にて示された代行部分の「財政中立化」により、厚生年金本体と同様の実績利回りを確保すればよいことになっているにも関わらず、予定利率を依然として高めに設定していることが多く、必要以上のリスクを伴った運用を行っていると言える。

ハイリスクな運用となっており、下方リスク顕在化時に大きく財政が悪化する状況にある

加えて、プラスアルファ部分についても予定利率を高めに設定したまま据え置いた基金が多かったことから、近年の運用利回りがこれを下回り、積立不足を発生させる一因となっていた。

基金の加入員・受給権者の構成をみてみると、多くの基金で団塊の世代の年金受給が始まっているにもかかわらず、掛金の払い手となりうる新規の加入員は少子高齢化と相まって減少傾向にあり、「制度の成熟化」が進んでいる。また、加入員数の減少による掛金の上昇を原因として、“設立事業所の任意脱退”※が進行するという悪循環にも陥っている。

このように、現在の総合設立基金をとりまく環境においては、資産運用面や人員構成面において積立不足が発生しやすい状況にあるが、もともと総合設立の基金は単独で企業年金を実施することが困難な中小企業が多くを占めており、同一業種・同一地域内の事業所が集まって運営しているため、産業構造の変化の影響をとくに受けやすい。ことため、各事業所による掛金負担能力に差があることから、掛金を引き上げて積立水準の回復を図ることが困難であり、結局のところ、財政弾力化措置の適用等による必要な掛金の引き上げを先延ばしせざるを得ない基金が多く見受けられる。

 

では、今後の「財政運営の在り方」はどうすればよいのか?

 

現在までの厚生年金基金の特例解散について  

ü 厚生年金基金は厚生年金の一部を国に代わって支給(代行給付)しているため、解散するときには、厚生年金基金が支給することとなっていた代行給付に要する費用を一括して返還することとされている。 

ü 今般、運用環境の悪化により厚生年金基金の財政状況が厳しくなっていることを踏まえ、代行給付に要する費用に相当する資産を保有していない基金について、当該返還額の分割納付・返還額に関する特例を設けることとする。

前回の特例措置 

(平成17年~平成20年)〈3年間〉、返済期間:最長10

今回の特例措置 

(平成23年~平成28年)〈5年間〉、返済期間:最長15

 

※自主運用できる保険料、いわば国に納めずに基金に納めるということで免除保険料といわれています。

基本的に代行しているのは老齢厚生年金の一部、報酬比例部分のうち、物価スライドや再評価を除いた部分です。免除保険料率の算定に用いる予定利率というのは、厚生年金本体の長期の予定運用利回りに合わせておりますが、平成16年の財政再計算で3.2%になりましたので、これに合わせて3.2%となっております。その後、平成21年の財政検証で、現在も続いていますが、長期の予定運用利回りが4.1%となっておりますが、多くの基金は経過措置によりまして現在3.2%で免除保険料率を計算しています。

 

厚生年金基金における解散手続きについて 

厚生年金基金は、次のいずれかに該当するとき、厚生労働大臣の認可を受けて、解散することができる。 

<法律> 

1. 代議員の定数の4分の3以上の多数による代議員会の議決。 

2. 基金の事業の継続が不能のとき(この場合は同意・代議員会の手続きを要しない)。 

 

<通知> 

ただし、上記1については次の解散理由及び解散手続きに関する基準を満たすときに限る。

〈解散理由〉 次の①~⑤にいずれかに該当する場合。 

 経営状況が債務超過の状態が続くなど、著しく悪化していること(連合・総合は大半が悪化)。 

 加入員数の減、高齢化等により、今後、掛金が著しく上昇し、掛金負担が困難であること。 

 加入員数が、設立認可基準に比べ著しく減し、基金の運営が困難であること。 

 残余財産を確定拠出年金に移換し、基金の運営が困難であること。 

 その他、設立の事情変更等により基金の運営が困難であること。 

 

〈解散手続〉 代議員会における議決の前に、①~④の全ての手続きを終了していること。 

 全設立事業所の事業主の4分の3以上の同意。 

 加入員総数の4分の3以上の同意。 

 全受給者への解散理由等に係る説明。 

 設立事業所に使用される加入員の3分の1以上で組織する労働組合の同意。

 

確定企業年金への移行(代行返上) 

確定企業年金への移行認可申請についても「解散」の認可申請同様となります。

 

公的年金である代行部分の毀損を防ぐという観点から、「解散」を促していくことも必要となる。

現在、基金の約8割は中小企業が母体となって設立されている総合型基金であり、最近の経済金融環境などの変化により各基金の財政悪化が進む中で、解散基準の緩和(「指定基金制度」と組み合わせつつ、一定の要件を定めて解散命令を発動していくことなど)を考えていくことが必要。

また、確定企業年金などの他の企業年金制度への円滑な移行への配慮も必要。

 

他に、以下の取り組みも想定されますが、これらは、「厚生年金基金廃止(解散)/移行」を前提に進めていく上で、解決策ではなく、猶予策まで、となるように思います。

 

予定利率引き下げ時の特例措置

継続基準においては、依然として高い予定利率を採用していることが問題である。

現状、継続基準よりも非継続基準の方が厳しくなりがちなのは、継続基準の予定利率を高く設定しているためであり、基金が過大な運用リスクを負っていることも高い予定利率を採用していることに一部起因していると考えられることから、速やかに予定利率を引き下げる政策的誘導が必要である。

例えば、予定利率を引き下げによる後発債務は20年以上での償却を可能にしたり、当該後発債務のうち一定水準までは不足金として留保することができるようにしたりするなど、予定利率の引き下げのインセンティブが働く措置が求められる。

そこで、

給付設計の変更について、下記現状規制の緩和か  

給付設計の変更にあたっては、給付水準が下がらないことが原則であるが、予定利率引き下げを含めて、やむを得ず給付水準が下がる場合にあっては、設立認可基準により、「5つの要件」を全て満たしていることが必要である。

とくに、

当該変更について、次の(ア)および(イ)に掲げる同意をえていること。

() 基金の設立事業所に使用される加入員の3分の1以上で組織する労働組合がある場合は、当該労働組合の同意

() 全加入員の3分の2以上の同意

更に、

基金の存続のため受給者等の年金の引き下げが真にやむを得ないと認められる場合、事業主、加入員および受給者等の三者による協議の場を設けるなど受給者等の意向を充分に反映させる措置が講じられた上で、次の(ア)から(ウ)の要件を満たしていること。

() 全受給者等に対し、事前に給付設計の変更に関する十分な説明と意向確認を行っていること

() 給付設計の変更について、全受給者等の3分の2以上の同意を得ていること

() 受給者等のうち、希望する者は、当該者に係る最低積立基準額に相当する額を一時金として受け取ることができること。

 

給付現価負担金の交付基準の緩和 

基金は代行部分の債務として「最低責任準備金」を認識すればよいが、実際に代行部分の給付を賄うためには「過去期間代行給付現価」に相当する年金資産が必要であり、この差額は「給付現価負担金」として交付が受けられることになっているが、現在は、「最低責任準備金」が「過去期間代行給付現価」の2分の1を下回ったときに、はじめて、その下回った額の5分の1が交付される仕組みとなっており、「給付現価負担金」が適切な時期に適切な金額だけ交付されていない状況である。

「給付現価負担金」は「最低責任準備金」のころがし計算においても加算されるため、基金の財政に直接的に影響するものではないが、現在のように給付現価負担金が遅れて交付される仕組みであると、とくに成熟度の高い基金は年金資産の大幅な減少がさけられず、運用環境改善時の回復力を低減させてしまう恐れもあるため、給付現価負担金の交付基準の緩和が必要である。

 

部分的な代行返上を認めるこ  

現行の財政検証においては、基金の資産構成において、リスクの大きさに関わらず同一の基準で行っている。しかし、リスクが高い資産構成を採用している基金に対しては、財政検証時のハードルをリスクバッファに相当する分だけ高めに設定するよう求めてはどうか。逆に、あまりに高い水準を要求すると制度の存続が危ぶまれることにもなりかねないため、その水準の決定にあたっては制度の存続性とのバランスをとりながら検討する必要がある。

代行部分の財政中立化(平成16年の法改正により、厚生年金本体と同様の実績利回りを確保すればよいことになっている)が達成されたとはいえ、最低責任準備金に相当する資産をも保有していない等大きく積立不足が拡大した基金においては、依然として代行部分が財政運営上の負担となっている。代行部分の負担を軽減するための手段として、代行返上や解散の選択肢が考えられるが、大幅な積立不足がある状況ではこれらの選択肢は採択できず、加入員や受給権者にとっても厚生年金基金制度そのものが持つ福利厚生機能が喪失するデメリットが大きい。

そこで、例えば脱退事業所の受給権者のみ代行部分に相当する給付を国に返上する取り扱いを認める等、部分的な代行返上を認めることを検討すべきである。脱退事業所の受給権者がもたらす積立不足の問題を解消させ、残存する事業所の掛金負担を緩和する効果がある。

基金の代議員会等の意思決定の場においてはあくまでも基金の自主性を重んじる必要があるが、専門家である指定年金数理人が参加することを義務付け、基金の内部から積極的に基金の財政運営に関与するよう指定年金数理人の役割と責任を強化することはどうか。近年の基金をとりまく運用環境の悪化および母体企業の掛金負担能力の低下は、基金の財政運営に重大な影響を与えるものであった。基金が将来にわたり安定的な財政運営を持続させるためには、適切な指定年金数理人のサポートが従来以上に必要であると考える。

 

基金の合併 

基金の合併により、スケールメリットを確保できることはメリットの一つといえる。
ただし、いまとなっては、「合併」のいろいろな負担を考えれば、解散/移行だと思います。

 

次は、「厚生年基金制度等の在り方」 その5へ続く・・・

ただし、これは、先日(2012/9/28)に厚生労働省「厚生年金基金等の資産運用・財政運営に関する特別対策本部」から、なんと「決定事項」として、

“厚生年金基金の代行制度については、ほかの企業年金制度への移行を促進しつつ、一定の経過期間をおいて廃止する方針で対応する”と出ていたんですね。( ̄Д ̄;; 

「決定事項」としての認識がありませんでした・・・・そうなると、「在り方」というよりも、円滑な「無くなり方」となりますね。
長くなりすぎました。失礼しました。 m(_ _)m

 

 

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