「秋」 (芥川龍之介著) を読んで
「秋」は、姉妹と従兄の三角関係の物語。
三角関係といっても、お互いに行動どころか、言葉にも出さず、ほとんど心の動きによるものです。これは今の時代に「三角関係」といえるのか?とも思いました。
この物語は、ほとんど心の動きで書き上げられているように思います。驚きです。
ちょっと自分の感想は書けそうにありませんので、周りの方の感想をまとめてみました。
心の描写が鋭すぎて、ちょっと怖いなと思い、どう書けばよいのかが分かりませんでした。
登場人物は、三人。
○姉妹:信子(姉)、照子(妹)
○従兄:俊吉、信子に恋心を抱きながら、妹の照子と結婚
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登場人物のひとつひとつの動作や言葉のうらに絶え間なく揺れ続けている名状し難い感情のその動きを、徐々に深まっていく「秋」の情景のうちに丁寧に描きこんでいる。心理描写と情景描写の中間に、登場人物の《心》と《季節》が共有するなんともいえない「さみしさ」を置いているのである。
束の間ではあったが再会を果たした、かつて恋した男への想いと、嫉妬のあまり自分の前で泣き崩れ「永遠に他人になったような」妹への想いが、秋の景色に託して見事に綴られている。こういう描写はちょっとすごいとしかいいようがないと思う。
***
姉妹と従兄の三角関係を通じて、その揺れ動く心情を姉、信子の視点で緻密に描写した。三者とも思いを内に秘めながらも、ただ目の前にある現実を生きようとしている様子が写実的に表現されている。
姉の信子は俊吉に思いを残しながら、別の相手と結婚していた。
しかし、しこりとなった思いは未だ胸の中にあり、妹の照子と結婚した俊吉との結婚生活が幸福でないことを知ると、「残酷な喜び」を覚えてしまう。
一方、妹の照子も姉と夫が未だ思い合っている事実を知り、わきあがる嫉妬の情を内面に押しとどめていた。
三角関係を自覚した三人は、それぞれの距離を感じながらも形を保ち続ける。今のそれぞれの立場を壊せない、動かしがたい現実が三人の間には横たわっていた。
※お互いの気持ちに気づいたからと言っていったんリセットボタンを押してから人生をやり直すようなことは、芥川が生きた時代の日本社会ではありえない現象だろうと、コメントされている方がいました。
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前夜、信子が俊吉に誘われて庭に出て、月を眺め、鶏小屋をのぞいたりしたことについて、抗議しているのです。
ここでは表面的には特別なことはなにも起こっていません。しかし、信子と俊吉の心理にとっては、ふたりが結婚したあとにできていた心理的な垣根がなくなって、ふたりきりで過ごした時間として、特別なものだったということです。
おそらく、この二人にとってこのひとときは、具体的なことはなにも口に出さなくても、かつて好意をもったもの同士としての「親密さ」を無言のうちの合意を伴って甦らせた時間であったでしょう。
そして、”無言のうちの合意”が成り立っていたこと自体に、二人の気持ちの近さが表れていた時間だったはずなのです。つまり、ここでは登場人物が口にはださなかったこと、作者が書かなかったことに、むしろ二人の心理の距離の近さが描かれているとみるべきでしょう。それは、
1. 鶏をみた信子が「玉子を人に取られた鶏が。」と考えてしまったこと。いうまでもなく、「玉子を人にとられた鶏」に信子自身を重ねてみています。このひとときが信子にそう実感させる時間だったことがわかります。
2. 二人が庭から帰ったとき、「照子は夫の机の前に、ぼんやり電燈を眺めていた。」
この照子の様子はあきらかに普通ではありません。
照子が放心していたのは、おそらく庭にでていった俊吉と信子との間には、自分の居場所がないことを直感的に知ったからです。その孤独感がその原因などに思いを馳せさせ、放心となったのだと思われます。
3. 「お姉様は何故昨夜も--」というセリフをいったときの照子は、「抑えきれない嫉妬の情が、燃えるように瞳を火照らせていた。」照子が泣いたのが、嫉妬の感情からであることはあきらかです。
照子は、信子が「照さんさえ幸福なら」「俊さんが照さんを愛していてくれれば」といいながら、実際には照子の居場所がなくなるような時間を俊作とふたりで過ごしたことを、俊吉が不在で信子とふたりだけになったときに抗議しているのです。
そして、そのような三人の関係は、最初のほうに、「・・・が、妹の照子だけは、時々話の圏外に置きざりにされる事もあつた。」「そのくせ、まず照子を忘れるものは信子自身であつた。」という伏線で語られています。
***
一点、自分として思ったのは、信子と言う女性について、次の記載がありました。
“信子は妙に恥しさを感じながら、派手な裏のついた上衣(コオト)をそつと玄関の隅に脱いだ。”
なんとなくですが、“派手な裏のついたコート”というのが、慎ましく見える信子の別の一面を表しているように思いました。
それにしても、芥川龍之介という作家の“鋭く繊細な心”を感じたように思いました。
ありがとうございました。m(_ _)m
青空文庫で読ませていただきました!
↓コチラです。
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