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2012年10月20日 (土)

ホー・チ・ミンとベトナム

これまで日本の戦争(近現代史限定ですが・・・)については、本を読んだりしていましたが、世界の戦争については、正直、疎くよく分かっておりません。

 

今回、少しですが、ベトナム戦争、そして、ホー・チ・ミンについて、ネットを中心に調べてみました。

 

あくまでもネットからの情報ですので、100%正しいとは言えないと思いますが、第二次世界大戦では、日本の「愚行」とは逆に、アメリカのある意味での「賢さ」を感じましたが、ベトナム戦争では、今度はアメリカの「愚行」を感じることになりました。

そして、ホー・チ・ミンについては、「戦争」はいかなるときでもいけないと思いますが、偉人の一人ではないかと感じました。 (矛盾をしているかしれませんが・・・)

 

最初に、山川出版の世界史で確認!

インドシナ戦争からベトナム戦争への史実は書かれていましたが、ホー・チ・ミンという人間については、推し量ることは難しいものでした。

 

ホー・チ・ミン(ベトナム語: H Chí Minh, 漢字 胡志明, 1890519 - 196992日)は、ベトナムの革命家、政治家。植民地時代からベトナム戦争まで、ベトナム革命を指導。初代ベトナム民主共和国主席。

 

1925年、ホー・チ・ミン(この時35歳)はベトナム青年革命同志会を結成し、それを母体に1930年にインドシナ共産党が成立。~この時から、ホー・チ・ミンは亡くなるまで「戦いの一生」となります。

亡くなられたのが、1969年、ベトナム戦争が終結してベトナム社会主義共和国が成立するのが1976年となります。

 

また、ベトナムの戦いの歴史は、ソビエト(共産主義)とアメリカ(資本主義)の都合だけではないようです。

清国のアヘン戦争以降、植民地としてきびしい環境にさらされてきたアジアの歴史の一部として、見て行かなくてはならないようです。

ヨーロッパの植民地から祖国の独立を願った「ガンジー」と「ホー・チ・ミン」。2人はそれぞれに反対の戦略を採ることになる。一人は無抵抗主義で、一人は間断無きゲリラ戦で・・・。

 

インドシナ戦争(第一次インドシナ戦争)

ベトナム戦争(第二次インドシナ戦争)の開戦原因は、第二次大戦後のインドシナ戦争(1946年~1954年)に求められます。ベトナムは元フランスの植民地で、第二次大戦中は日本軍が占領していました。しかし第二次大戦後、フランスが日本軍の手放したベトナムを再び植民地にしようとしたところ、ベトナム人が植民地から独立しようと抵抗。

 

1945815日、日本は連合国に無条件降伏し、この情報を短波放送であらかじめ察知していたホー・チ・ミンはベトミンの総決起集会を816日に行い、総蜂起を決定します。

819日には、ハノイの政府官舎を占領、24日にはフエでベトミンを掌握し、25日にはサイゴンを掌握します。そして92日、ホー・チ・ミンがベトナム共和国の独立宣言を行います。その後1946年の総選挙で彼は初代大統領に就任。

ベトナムには、後ろ盾として共産圏の中国やソ連があっためフランスは苦戦の末、撤退し休戦へ。

フランスを支援していたアメリカは、ソ連の勢力圏に属する国の増加に危機感を抱き、ベトナムを南北に分割するという政治的介入を行い、そして南側を米国の属国(傀儡)にしました。

ベトナムは南北に分断されましたが、北側(共産側)が統一を主張し、2年後に南北統一選挙が行われると規定されていました。

ここまでが第1次インドシナ戦争19451954と呼ばれているものです。

 

その後、選挙は実行されず、アメリカは南側に軍事援助、軍事訓練を施し軍隊を作り上げます。一方で、この政権に反対する同じベトナム人を捕まえて殺害する暗黒政治を主導。これにより、再び、軍事衝突が始まります。

これが一般に「ベトナム戦争」と言われ、米国が軍事介入した時期のものを指すそうです19611975

 

196311月、ケネディ暗殺事件が起こります。憲法の規定により、ジョンソン副大統領が大統領職を受け継ぐ。

 

この頃から、アメリカの行動はさらにおかしくなります。

 

1964年に、アメリカ(ジョンソン政権)はアメリカの軍艦が北ベトナム軍の攻撃を受けたことを口実にして(トンキンワン事件)、翌年、北ベトナムへの空爆を開始。(「北爆」と呼ばれます)。

ところが、密林でのゲリラ戦で予想外に苦戦。そこで、アメリカ軍はゲリラ掃討にとって邪魔な密林を一掃するために、「枯葉剤」という遺伝子異常や奇形児懐胎、癌を誘発するような除草剤を密林や耕作地に散布しました。

この非人道的な行為は、アメリカの内政が芳しくなかったこともあり、アメリカ国内で反戦運動の火種となります。

結局、米軍もフランス軍同様北ベトナム軍の強力な抵抗に手を焼き、一進一退が続きました。さらに、米国内の反戦運動が激化し、戦死傷者も増大最終的には戦死58000していきます。

そして戦闘は泥沼化し,戦局見通しが全く立たなくなり、1973年に、ベトナムから撤退します。

1975年サイゴン現在のホー・チ・ミン市陥落をもって終戦となりました。

 

ホー・チ・ミンは、腐敗や汚職には無縁で、禁欲的で無私な指導者であり、自らが個人崇拝の対象になることを嫌っていた。また、ホー・チ・ミンの指導下において、政策議事は徹底的な討議を前提とした全会一致制とされた。またホー・チ・ミンは自伝の類を残さずに亡くなったため、後継指導者層や軍人達の間でも「ホー・チ・ミンが何も語らずに逝ったのに、我々が何を言えるだろう」として自己の業績についてほとんど語らないという伝統が生まれたそうです。

戦争中、武器の質と量で劣っても、常に優勢であったのは、このように“士気”がとても高かったためと言われています。

また、戦時中から「教育」にも力を入れていたといいます。南の解放地区に住む優秀な子どもたちを含めて、北に集め、高等教育を施したとありました。

 

ホー・チ・ミンの慈愛に満ちた飄々たる風貌、また腐敗や汚職、粛清に手を染めなかった高潔な人柄は、民衆から尊崇を集め、そして愛された。晩年は南北ベトナムの両国民から「ホーおじさん」と呼ばれ親しまれたそうです。

 

ホー・チ・ミンの人柄を示す逸話として、「人民の生活を知るために市場を見たい」といって、ばれないように、変装して市場にいき、衣服や食品の値段を確認して回ったとの話もあるそうです。

今でいう「現場主義」ですね。

 

第二次世界大戦は期間で言えば、日本参戦からは4年間。ベトナムは独立するまでに、なんと30年間戦い続けたことになります・・・

 

それにしても長い植民地時代から一国が独立するのに、これ程までに多くの犠牲を払わなければならなかったことには、複雑な気持ちとなります。

 

ハノイの旧牢獄に行くと足かせのついたコンクリートのベッドが並んでいる中に、ホー・チ・ミンの獄中での詩、「身体在獄中、精神在獄外、精神更要大」があるそうです。

 

写真は、ホー・チ・ミンが、1958年から約11年間住んだとされる2階建ての住居。最高権力者の家とは思えないほど、質素な住居だそうです。

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最後に、

NO MORE WAR  Greeeen より

今日もテレビの中じゃ戦争、私腹を肥やす大人の理想郷

冷たい雨に打たれる子供が、今日もまた一人死んでいく状況

いつだってそう、僕だってそう、また見て見ぬ振りする

混沌とした世界、全て支配、抜けてみたい、気付いた今日からスタート

 

誰が悪いの? ねえ、どうしてなの?

なんで幼いこの子が死ぬの?

建前と金を大人は求め、かけがえの無い者の命が消え

足早に流れてく時の中で、人の記憶も失われる流れ

同じ事を繰り返していく定め、強者と弱者の慈しみ消え

 

『明日』はきっと、皆笑えるかな?

小さな声がきっと、僕ら呼んでいるよ

確かな事は、この地球(ほし)に生まれ

君と僕は少し『場所』が違うだけ

 

何故、人は傷つけあうんだろう? 離れた街にまだあるくだらんWAR

荒れ果てた大地 無惨な過去 また繰り返し続けるただのアホ

幼い頃見たひめゆりの塔、それから得られたよ、見えぬ希望

平和な日からは予期せぬ日と、突然出くわした、老いてる人

たくさんの石を並べた道、ダチ達の名前刻んだ石

砕かれた大志、奪われた敗地(大地)

花ささげて そして歩きだし、、、

 

、、、『明日』はきっと

 

平和を知らない、子供がほらね

平和の向こうで見てる僕らに笑うよ

何が出来るだろう、、、

僕の心の奥で何かが動いた

 

『明日』はきっと、皆笑えるかな?

小さな声がきっと、僕ら呼んでいるよ

確かな事は、この地球(ほし)に生まれ

君と僕は少し『場所』が違うだけ

 

<http://www.youtube.com/watch?v=D9EclUUve1Y>

 m(_ _)m

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