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2012年11月11日 (日)

「ダイヤモンドダスト」 (南木佳士著) を読んで その2

この本は短編集となっています。所収されているのは、次の通りです。

 

・冬への順応 「文学界」 19835月号

・長い影 「文学界」 19838月号

・ワカサギを釣る 「譚」 19869

・ダイヤモンドダスト 「文学界」19889

 

書き留めておきたいことを記しておきます。

 

「冬への順応」の中での「」とは、日々起こる「患者の死」、それに順応しなければ、医者は勤まらないのではないか、でも、そこに順応できない自分がいる、その心のうごき(葛藤)の物語のように思いました。

 

「長い影」、カンボジア難民医療に携われたときのこと。

薬はあったが、検査機材がほとんどなかった。専門の医者がそろわなかった。日本の、高度に近代化された総合病院から派遣されたぼくたちにとっては、足りないものだらけの野戦病院だった。人や物が足りたいために病人が死ぬ。今の日本では起こりにくいことが、あの暑い国の国境地帯ではありふれた出来事だった。並みの感受性を持つ者ならだれでもこれでいいのか、と思った。泣いたり、怒ったり、胃潰瘍になったり、病的に食って肥満したりした。・・・後略

 

「ダイヤモンドダスト」より。

なにげない笑顔のあった一日のなかで、「この家にこんな幸福そうな絵柄が出現したのは久しぶりだったから、彼は扱い方を想い出せなかった」、と・・・。

 

そして、「あとがき」より。

・・・(前略)内面となると、いまだにつま先を立てたがる自分がある。

小説を書き終えるたびに、そんな自分が顔をだしていないかと、心して検証してみる。結局、書く、と言う行為は、内面の浮きあがろうとする足を大地につけさせるための作業だったのかもしれない。

 

これからも書き続けたいと思いますが、やはり「いつかは自分の番だ」という視点での“死”というのを、もう少し書いてみたいと思っています。

そういう視点で書き進めて、もう少し固まれば、意外に“死”が暗いものでは無いんじゃないか、というところに到達できるような気がしてならないんです。最近、日本人は死ぬとどこへ行くのだろうというので、宗教関係の本を読んだことがありますが、割と暗くなくて、むしろ明るいものが書けるんじゃないか。しかも、作品の中に死んでいく姿とかそういうものがなくて、どこかに“死”を予感させながら明るいというようなものが書けないかな・・・・まあ夢みたいな話で、無理かもしれないなという気がしますけれどね。

 

地方とか田舎では、踵を地面に下ろして生活ができるという気がするんですね。私は中学・高校ぐらいしか東京にいなかったのですが、東京はやや踵を浮かして爪先を立てないとやっていけない所で、疲れてしまうのではないかという気が、いつもありました。だから、踵を下ろしている人達をかきたいなと。

 

「やさしさ」が伝わる言葉だと思いました。

 

それでも、この約1年後に著者は心の病をされています。

 

沈思黙考・・・

 


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