「神かくし」 (南木佳士著) を読んで
南木氏8冊目となりました。
これは短編集となります。
・神かくし
・濃霧
・火映
・廃屋
・底石を探す
本の内容から、おそらく南木氏50歳少し手前(2000年になる前くらい)に書かれたものと思います。
前回のエッセイ集「冬の水練」とほぼ同時期と思います。
「冬の水練」が、著者の南木氏の少しずつ普段の生活をとり戻されてきているころのエッセイとすれば、「神かくし」は、美しく厳しい長野の自然を背景に、少しずつ光を見出している著者が小さな誘いをきっかけに<小さな日帰りの旅>に出る物語になると思います。
ただ、今回は、読み切れませんでした。なぜ?
これまでの南木氏の本には、病気であることを認めながらも、生きていることの大切さを(読者を意識して?)語られていたように思います。
今回の作品は、著者南木氏がその時々に何気なく感じたままに過ごされた1日を、あまり読者を意識せずに?(すいません)語られているように思いました。
南木氏は、とても頭の良いかたですので、これまでの作品では、読者を引きつけようとする工夫をされていたのかもしれませんが、今回は、感じたままに、そのままに、あまりまとまりを意識せずに文章とされたのかもしれません。一つの試みだったのかもしれませんネ。 m(_ _)m
ここからは、ほかの方の感想となりますが、このような感じ方もあるように思いました。
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★患者である老婆とその妹に誘われて“唐突”に出かけるキノコ狩りの小さな旅を描いた「神かくし」
★高校時代の同級生の妻からの手紙で同級生の死を知って、“誘われるように”母校のある東京の街に電車を乗り継いで立ち寄る小さな冒険を描いた「火映」
★屋根の修理をきっかけに生家の廃屋へ行った著者に去来する過去の出来事を描いた「廃屋」など、どれもが過去に遡る旅、言い換えれば現在の自分のあり方を再確認する旅です。
「じぶんという存在の輪郭をまさぐるとき、生きてきたというより、死なないできた、という事実のほうにむしろ向かい、それをまさぐるときにも捕らえるというより不意に訪れるものを待ち、その訪れるものに身を合わせるときもこぼれるものはあえてすくわない」
このようにして長く暗いトンネルの中を歩んできた著者ですが、ようやく弱々しくも小さな光が見えてきたときを同じくして不思議な誘いに導かれて行った山や川、故郷、そして青春時代を過ごした街に抱かれて少しずつ再生している自分を再確認していきます。
従って本書は過去から現在へのさまざまな交差があり、著者の特徴である怜悧な哀しみを含んだ文体にも関わらず、再生というキーワードの元、小さな生きる喜びを散りばめた希望の書と読み取ることができる内容となっていることを挙げたいと思います。
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ありがとうございました。
m(_ _)m
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