「龍馬史」 (磯田道史著)を読んで
これまで、坂本龍馬については、司馬遼太郎氏の「竜馬がゆく」、マンガでは、原作:武田鉄矢氏、作画:小山ゆう氏の「おーい、竜馬」をさら~っと読んだことがあるくらいでした。
人気のある本だと思うのですが、人気のほどに「坂本龍馬」という人物にそれほど思い入れが起きませんでした。
その理由が、この「龍馬史」を読ませていただいたことで、少し分かったような気がします。
当然、スゴイ人物だとは思うのですけどネ。
僅かではありますが、「坂本龍馬」についてメモしておこうと思います。
最初に、「龍馬」と「竜馬」、正しいのは、「坂本龍馬」だそうです。
「坂本竜馬」というのは、司馬遼太郎氏が小説「竜馬がゆく」で使いました。
彼としては、あくまでフィクション、物語の主役として、坂本龍馬とは違うという意味で「坂本竜馬」としたのだそうです。
今日では学者の方でも「坂本竜馬」と使う人がおり、どちらでもイイ、とされているそうです。
坂本家は高知トップクラスの豪商であり、のちに坂本龍馬自身も日本で最初の商社といわれる亀山社中を組織していますので、その血脈は受け継がれているのかもしれません。
龍馬という男がもつ二つの側面について。
一つは、物事を自ら果敢に実行する実践家としての側面。
もう一つは、周りの環境に合わせて思想を変えてゆくという柔軟さ。
こうした二面性を持つことが、一介の藩士、あるいは一介の浪士にすぎなかった龍馬が時代を動かす原動力となり得た大きな要因だったと言えるでしょう、と。
1867年、坂本龍馬率いる海援隊が大洲藩から借用していた船「いろは丸」が、紀州藩船明光丸と衝突して沈没しました。
このとき龍馬は事故の責任は明光丸側にあるとして、御三家のひとつ、紀州藩を相手に損害賠償交渉を行います。このとき龍馬は、交渉を有利に運ぶため、『船を沈めたその償いは、金を取らずに国を取る』という歌を作り、長崎の町に流行らせて世論を味方につけようとしたとされています。龍馬のしたたかな交渉術を感じさせる逸話です。
交渉には、途中から土佐藩の後藤象二郎が加わるようになり、最終的には薩摩の五代友厚の調停で、紀州藩は事故の責任が明光丸側にあったことを認めて交渉は妥結。龍馬は結果的に83,526両もの巨額を賠償させることに成功します。
この金額はいろは丸が積んでいた鉄砲類の金額を加えた額なのですが、近年、鞆の浦沖でいろは丸とみられる船体の引上げ調査がなされたところ、積荷とされていた鉄砲類は発見されなかったそうです。おそらく、交渉を有利に運び、少しでも多くの賠償金をせしめるための龍馬の「はったり」だったのでしょう。これもまた、龍馬の商人的な手練手管や、権力や武士を恐れない精神を如実に表している話だと思います。
また、当時、海援隊を仕切っていた一人に元紀州藩士の陸奥宗光がいました。彼は明治20年代になると出世して外務大臣として日清戦争の講和条約を結ぶほどの大物になりましたが、この時期は龍馬の下で働く若者の一人でした。
彼の父は国学者で紀州藩の要人でしたが、藩内の争いに敗れ失脚した人物でした。龍馬は、陸奥の情報を元にして紀州藩の痛いところも弱いところも全部つかんだ上で交渉に臨んでいた可能性があります。使える情報網はすべて使うところも龍馬が「タフネゴシエーター」である所以です。
最後に、坂本龍馬暗殺の原因として、
裕福な家柄出身に起こりやすい? 大胆不敵な行動、恐いもの知らず、そして口の軽さがあるそうです。
倒幕派でありながら、暗殺された日も、幕府藩邸永井尚志玄蕃頭のところへ行ったり、さらに、当時、宿は各藩邸とするのが、夜の危険から身を守る術となるにもかかわらず、「土佐藩邸は狭い!」ということで、近くには佐幕派もたくさんいる「近江屋」に宿をとっています。
前年には、奉行所の役人をピストルで撃って殺傷事件もおこしています。
これは、京都伏見の旅館寺田屋に長府藩士の三吉慎蔵とともに投宿していた龍馬は、伏見奉行所が派遣した捕り方の急襲をうけます。「薩摩藩士の宿に無礼するな!」と一喝し、高杉から贈られたピストルで応戦し、隙を見て脱出する、ということがありました。
ここで、さらに龍馬はもう一つのミスを犯しています。
あわてて逃げたため、関係書類や文書などを、伏見奉行所によって押さえられてしまったのです。龍馬がさらに幕府から危険人物視されることになります。
坂本龍馬は、無血開城への歴史に関わったとする一方で、武力倒幕も意識したところがあったそうです。
これら一つ一つの原因が重なることにより、幕府側大阪見廻組の一部の者の逆鱗に触れてしまったようです。
そして、坂本龍馬最期の夜が訪れることとなります。
本の中では、時の人である、中浜万次郎(ジョン万次郎)、老中阿部正弘、巨魁藤田東湖、官僚川路聖謨も出てきました。
大変興味深く読むことができました!
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