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2013年11月10日 (日)

「おひとりさまの老後」 上野千鶴子著 を読んで

 

「オー!ファーザー」の中で、伊坂氏が書かれていました。

 

父も自分も老いていくという当然のことと、これからの時間のことだ。

「あの人たちも年取ってきたなあ、って」 息を吐く。(由紀夫)

「きっと一人ずついなくなっていくから、なんとなく、変な感覚だろうな」

“家族”はいずれ、一人ずつ消えていくものなのだ。

「何それ」(友人の多恵子)

「寂しさも4倍なのか」(由紀夫)

「よくわかんないこと言わないで」(多恵子)

「そうだな」と由紀夫も認めた。

 

自分の父親は、現在80歳となり、いわゆるアルツハイマーで、言ったことをすぐに忘れてしまいます。幸い進行は遅く、まだ自宅で母親と暮らせる状態です。

80歳で、頭以外の身体は健康なことも、幸いなのかもしれません。

 

そんな事を思いながら、読んでいました。

・・・本の中より、書き留めておきたいこととして。

 

“やさしい娘(息子)”でいられる距離を置いたほうがよい。それがわたしのリアルな判断だった。

 

「あなた自身が要介護になったとき、どこに住みたいと思いますか?」

「そうねえ、ぎりぎりまで“自宅”ですごしたいですねえ」

この場合、「自宅」は文字どおり「自分の住宅」という意味で、「よその家である子どもの家」での同居を意味しない。

 

せっかく歳をとって世俗的な利害から離れているのだもの、もうイヤな相手とがまんしてつきあう必要はない。時間もエネルギーも限られているとなれば、キモチのよい相手とキモチのよい時間を過ごしたい。そう思えるのが、“年の功”というものであろう。

その通りダ~!!!

 

なにを食べるかではなく、だれと食べるかも大事。

一緒に食べるなら、おしゃべりのおもしろい、気の置けないひとたちと56人までの食卓を囲みたい。「おしゃべりがおもしろいひと」とは、自分のことばかりしゃべるひとではない、というのは前に書いた通り。社会学の小集団研究では、人数が15人を超すと集団はふたつに分解することが経験的にわかっている。15人を二つに割ると78人。一つのテーブルで全員が話題を共有できるのは8人くらいまで、それを越すと話題がふたつに割れるのを経験した人は多いだろう。

お義理の社交ならいざしらず、親しい人たちとうちとけた話をするのに大人数はいらない。

 

長い闘病生活に苦しんだ生命科学者、柳澤桂子さんにこういう文章がある。

宗教書、哲学書、文学書などを乱読するうちに、(中略)

人間であることの悲しみが薄らいだわけではない。

本を読むことによって、

むしろその悲しみは動かしがたいものになっていった。

しかし、そのほんとうの悲しみを知ってしまったのは、

私だけではないということに気づいたのである。

 

おひとりさまにとって、“孤独”は大切なパートナーだ。“孤独”を避けようとする代わりに、孤独とのつきあい方を考えてみる方がよさそうだ。

 

日本語で“孤独”といわれるもので、「さみしい(ロンリー:Loneliness)」のと、「ひとり(ソリテュード:solitude)」とは違う。「ひとりでいること」は、おひとりさまの基本中の基本。どうせなら楽しむほうがよい。ソリテュードの楽しみを選ぶことだ。

津田和壽澄さんが「ひとりは心地よい」と言われている。

 

人間が「こわれもの」であることを分かるようになったのが、年齢の効果だろうか。「こわれもの」だから「こわれもの」のように扱わなければならないと思うようになったのだ。とくに、女は弱音をはける方だが、男は吐けないために、病気になったり、自殺をしたりするのだろう。

 

長生きするほどトクをする究極の年金として「トンチン年金」の紹介があった。

(前略)これを日本に紹介した金融マンが、「トンチン年金に入って、長生きしよう!」と呼びかけた。いまから20年以上も前のことなのに、それからトンチン年金がちっとも普及しないのはどうしてだろう。他人の死を願う気持ちを助長するから、というがホントにそうだろうか?トンチン年金があれば、長生きにご祝儀がくるしくみ。だれかやってくれないかなあ。日本にはもともと“講”や“結”の伝統があるから、仲間たちでトンチン講でもやってみようか、と思うくらい。

長生きすることが、不幸でなく、幸せな世の中をつくりたい!

 

なるほど~ネ!

以前、トンチン年金については、ブログに書いております。ご参考まで。

http://life-insurance2.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-7588.html

 

倒れてからの鶴見和子さんの仕事

※鶴見和子さんと言えば、哲学者鶴見俊輔さんの実姉となられますね。姉弟そろってスゴイ!

倒れてからの晩年の仕事で、鶴見さんは大ブレークした。「障害者となった」という鶴見さんの口から出る言葉は深い。倒れてから彼女のつくった短歌につぎのような作品がある。

 

感受性の 貧しかりしを 嘆くなり 倒れし前の 我が身我がこころ

 

-高齢者にすすめるアドバイス-

・生を受けたものは、死を待っているひと。よって独居者は急変の際、早期発見されるよう万策を尽くすべし。

・皆に看取られる死が最上とは限らない。死は所詮ひとりで成し遂げるものである。

・孤独を恐れるなかれ。たくさんの経験を重ねてきた老人は大なり小なり個性的である。自分のために生きると決意したら世の目は気にするな

・巷にあふれる「孤独死」にいわれなき恐怖を感じるなかれ。実際の死は苦しくないし、孤独も感じない。

・健康法などを頼るな。

 

ありがとうございました。m(_ _)m

 
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