« 2013年12月 | トップページ | 2014年2月 »

2014年1月

2014年1月26日 (日)

「置かれた場所で咲きなさい」 渡辺和子著 を読んで

著者渡辺和子さんのお父さんは、渡辺錠太郎陸軍教育総監。あの「ニ・ニ六事件」で亡くなられたお一人で、その時のことを次のように書かれています。

*****

父が1936226日に62歳で亡くなった時に、私は9歳でした。その後、母は1970年に87歳で天寿を全うし、姉と二人の兄も、それぞれ天国へ旅立ちまして、末っ子の私だけが残されています。事件当日は、父と床を並べて寝ておりました。70年以上経った今も、雪が縁側の高さまで積もった朝のこと、トラックで乗りつけてきた兵士たちの怒号、銃声、その中で死んでいった父の最期の情景は、私の目と耳に焼きついています。

私は、父が陸軍中将として旭川第7師団の師団長だった間に生まれました。9歳までしかともに過ごしていない私に、父の想い出はわずかしかありません。ただし、遅がけに生まれた私を、「この娘とは長く一緒にいられないから」といって、可愛がってくれ、それは兄二人がひがむほどでした。

(中略)

努力の人でした。小学4年までしか学校に行かせてもらえなかった父は、独学で中学の課程を済ませ、陸軍士官学校に優秀な成績で入学、さらに陸軍大学校では、恩賜の軍刀をいただいて卒業したと聞いております。決して自慢をする人ではなく、これらはすべて、父の死後、母が話してくれたことです。

外国駐在武官として度々外国で生活した父は、語学も堪能だったと思われます。第一次大戦後、ドイツ、オランダ等にも駐在して、身をもって経験したこと、それは「勝っても負けても戦争は国を疲弊させるだけ、したがって、軍隊は強くてもいいが、戦争だけはしてはいけない」ということでした。

「おれが邪魔なんだよ」と、母に漏らしていたという父は、戦争にひた走ろうとする人々にとってのブレーキであり、その人たちの手によって、いつかは葬られることも覚悟していたと思われます。その証拠に、226日の早朝、銃声を聞いた時、父はいち早く枕もとの押し入れからピストルを取り出して、応戦の構えを取りました。

死の間際に父がしてくれたこと、それは銃弾の飛び交う中、傍で寝ていた私を、壁に立てかけてあった座卓の陰に隠してくれたことでした。かくて父は、生前可愛がった娘の目の前1メートルのところで、娘に見守られて死んだことになります。昭和の大クーデター、ニ・ニ六事件の朝のことでした。

三十余名の“敵”に囲まれて、力尽きた父。

父と過ごした9年、その短い間に、私は一生涯分の愛情を受けました。この父の子として生まれたことに、いつも感謝しております。

*****

怒号と銃声、そして「三十余名の“敵”」という書かれ方が、著者渡辺さんの今もある「ニ・ニ六事件」に対する強い想いを感じました。

*****

「置かれた場所で咲きなさい」について、とても平易な文章でわかりやすく、優しさのある内容でした。

一人の宣教師からいただいた言葉、

Bloom where God has planted you. (神が植えたところで咲きなさい)

「咲くということは、仕方がないと諦めるのではなく、笑顔で生き、周囲の人々も幸せにすることなのです」と続いた詩は、「置かれたところこそが、今のあなたの居場所なのです」と告げるものでした。

置かれたところで自分らしく生きていれば、必ず「見守っていてくださる方がいる」という安心感が、波立つ心を鎮めてくれるのです。

「置かれたところ」は、つらい立場、理不尽、不条理の仕打ち、憎しみの的である時もあることでしょう。信じていた人の裏切りも、その一つです。

そんな日にも咲く心を持ち続けましょう。

咲けない日があります。その時は、根を下へ下へと降ろしましょう。

多くのことを胸に納め、花束にして神に捧げるためには、その材料が必要です。ですから、与えられる物事の一つ一つを、ありがたく両手でいただき、自分しかつくれない花束にして、笑顔で、神に捧げたいと思っています。

 

「死にたいと思うほどに苦しい時、“苦しいから、もうちょっと生きてみようとつぶやいてください」苦しみの峠にいるとき、そこからは必ず下り坂になります。そして、その頂点を通り越すときに味わった痛みが、その人を強くするのです。

*****

次は、牧師の河野進さんの詩になります。

主は問われる

「何を望むか」、「謙遜を」

「次に何を」、「親切を」

「さらに何を」、「無名を」

「よかろう」

**

こまった時に思い出され、用が済めば、忘れられる

「ぞうきん」

台所の隅にちいさくなり、報いを知らず、朝も夜も喜んで仕える

「ぞうきん」になりたい

*****

笑顔について、「ほほえみ」という詩が書かれていました。

もしあなたが 誰かに期待したほほえみが得られなかったなら

不愉快になる代わりに、あなたの方から ほほえみかけてござんなさい

ほほえみを忘れた人ほど、それを必要とする人はいないのだから

 

「何もできなくたってもいいのよ。ただ、笑顔でいてくださいね」

*****

一番つらかったのは、50歳になった時に開いた「うつ病」という穴でした。学長職に加えて、修道会の要職にも任ぜられた過労によるものだったと思いますが、私は、自信を全く失い、死ぬことさえ考えました。信仰を得てから30年あまり、修道生活を送って20年が経つというのに。

入院もし、投薬も受けましたが、苦しい2年間でした。その時に、一人のお医者様が、「この病気は信仰とは無関係です」と慰めてくださり、もう一人のお医者様は、「運命は冷たいけれども、摂理は温かいものです」と教えて下さいました。「摂理」-この病は、私が必要としている恵をもたらす人生の穴と受け止めなさいということでした。そして私は、この穴なしには気づくことのなかった多くのことに気づいたのです。

かくて病気と言う人生の穴は、それまで見ることができなかった多くのものをみせてくれました。それは、その時まで気づかなかった他人の優しさであり、自分の傲慢さでした。私は、この病によって、以前より優しくなりました。

*****

坂村真民という四国の詩人が、80歳を過ぎて詠んだ詩の中に、

老いることがこんなに美しいとは知らなかった。

老いることは・・・・・・

しだれ柳のように自然に頭がさがること

 

歳を重ねると、これまで持っていたものを失う。それは悲しいことです。しかし失ったものばかりを嘆いても前には進みません。ふがいない自分としっかり向き合い、そして仲良く生きていことです。自分を嫌うことなく大切にしてあげなくてはいけない。悩みを抱えている自分もまた、いとおしく思うことです。

人間に悩みはつきもの。けれども、神様は試練に耐える力と逃げ道をきっと備えていてくださる。

 

坂村真民の「冬がきたら」と言う詩の中の「冬」を、「人生の冬」である高齢期に置き換えてみてください。

冬がきたら冬のことだけ思おう

冬を遠ざけようとしたりしないで、むしろ進んで冬のたましいにふれ、冬のいのちにふれよう

冬がきたら冬だけ持つ深さときびしさと静けさをしろう・・・・・・

 

老いについて、

「人のために働くよりも、謙虚に人の世話になり・・・・・まことのふるさとに行くために。自分をこの世につなぐ鎖を少しずつ外してゆくこと」かくて「老い」を意識する時、人は柔和で謙虚にならないといけないのです。


相手を生かす、ぬくもりのある言葉を使える自分でありたい。

*****

とってもよかったです!ありがとうございました~!

m(_ _)m

 

「まだ見えなくてもあなたの道は必ずある」(古木涼子著)も読んでみたいと思っていますが、なかなか書店では見つからないですネ。


Watanabe_660

「ニ・ニ六事件」に関する物語(小説)より

「二・二六事件」を題材にされている「物語」に

恩田 陸さんの「ねじの回転」、2002年に書かれたもので、恩田氏38歳のときの作品。

宮部 みゆきさんの「蒲生邸事件」は、1995年に書かれたもので、宮部氏35歳のときの作品

 

「人質カノン」

これは、宮部氏「蒲生邸事件」の約1年前に書かれた短編集。この中にも「ニ・ニ六事件」に関わる物語を書かれている。

それが「八月の雪」だ。

いじめグループから逃げる途中、交通事故に遭い片足を失った少年、充が主人公だ。

いじめグループは罪を問われず、被害者側のみがわりを食う。充はそんな世の不公平さを呪い、ひきこもりになってしまう。そんなおり入院中の祖父が死に、遺品の中から古い遺書めいた書きつけが発見される。やがて充は祖父の友人から、彼らが経験した歴史的事件のことを知る。

それが、昭和11226日に起きた「ニ・ニ六事件」だ。

遺書には、「これが最後の手紙になる。僕はいさぎよく死んでゆく覚悟があります。御兄上様にも宜しく、後のことを頼みます」と書かれている。

祖父が二十歳のときに、信頼していた中隊長の命令に従いニ・ニ六事件に参加する。

結局、襲撃現場では建物の中には入らず、あとになるまで、自分らのやっていることがどういうことか、まるで分からなかった。中隊長殿の命令通りにしていれば間違いない、中隊長どのは神様のような人だから、二十歳の青年たちはそう思っていた。

わけが分からなかったけど、正しいことをしていると信じていたから、死ぬ覚悟ができていたから、遺書も書いていた。

ところが、一夜にして反乱軍とみなされ、その後に中隊長は死刑となる。

亡くなった祖父の友人から、充はこれまでの祖父の過去を知ることができた。

祖父は、それまで信じてきたことが、まったく間違っていたと言われ、誰の言うことが本当なのか分からなくなったはずだ。

その「ニ・ニ六事件」から60数年を生きてきた祖父の気持ちを聴くことはできなかった。

それでも、充は、不公平や世の中の矛盾の中で「生きる」ことの意味を、価値を問いたくなる。

 

僕にはまだまだ知りたいことがある。そう思った。知らなければならないことがある。小さいことも、大きいことも。ニ・ニ六事件のことを、もっと詳しく調べよう。今のままじゃ、何が何だか分からない。そのあとの戦争のことも、そのあとの暮らしのことも、みんな調べよう。知りたい。そうしていけば、おじいちゃんから聴くことの出来なかった話を埋め合わせることができるかもしれない。

そうしていけば、いつかきっと、おじいちゃん達が生きてきた年月を、柴田さん(祖父と同じくニ・ニ六事件に関与した友人)が、あれほどの体験を、「懐かしいなあ」と言うことのできるその理由を、理解することができるようになるかもしれない。

物語はここで終わる。

 

ところで、「ニ・ニ六事件」について、

高校の日本史の教科書(山川出版)には、次の通りに書かれている。

***

政治における政党の力はしだいに小さくなり、逆に軍部と反既成政党・現状打破・革新を主張する勢力(「右翼・革新」)とが政治的発言力を増大させていった。

(中略)

政治的発言権をました陸軍内の派閥対立(対立していた派閥は、ふつう統制派・皇道派といわれる二派で、前者は永田鉄山(1935年に皇道派の将校相沢三郎に殺害された)、後者は荒木貞夫(犬養・斎藤両内閣の陸相)・真崎甚三郎が中心人物とみられていた。ニ・ニ六事件の青年将校は後者に信服していた。)もからんで、1936年(昭和11年)226日、北一輝の思想的影響をうけていた皇道派の一部陸軍青年将校が、約1400名の兵を率いて首相官邸・警視庁などをおそい、高橋是清蔵相・斎藤実内大臣・渡辺錠太郎陸軍教育総監らを殺害するに至った(二・二六事件)。

国家改造・軍政府樹立を目指すこのクーデターは失敗し鎮圧されたが、戒厳令のもとで岡田内閣にかわった広田弘毅内閣は閣僚の人選や軍備拡張や国内政治改革などの政策について軍の要求を入れてかろうじて成立し、以後の諸内閣に対する軍の介入の端緒をつくった。

(この内閣は陸軍の要求によって軍部大臣現役武官制を復活させたが、この制度によって、軍は内閣に不満があると軍部大臣を推薦しなかったり辞職をさせたりして、内閣の存立を脅かした)

***

 

ここからは、“ニ・ニ六事件はよくなかったこと”と書かれています。

 

これが、チャート式 新日本史-近代・現代編(数研出版)になると、もう少し詳細になり、統制派により軍部の主導権を握り、政治的支配を進めようとしていることまでが書かれていました。

 

***

陸軍内部の派閥、統制派と皇道派について

軍部が政治支配を確立していく過程において、軍部に統制派と皇道派の派閥対立が見られた。十月事件の失敗後、荒木貞夫、真崎甚三郎を中心とする皇道派は、直接行動を主張する青年将校と結びつき、軍の主導権を握って天皇親政と対ソ主戦論をとなえた。一方、直接行動主義を捨て、政財界と結んで言わば合法的に政権獲得の道を選んだ、陸軍省軍務局長永田鉄山を中心とした統制派は、皇道派を排除し、青年将校のクーデター計画を抑圧していった。そのため、1935年(昭和10年)、真崎教育総監罷免問題から、皇道派の相沢三郎中佐によって、永田が殺害され、さらに二・二六事件が起こされたが、統制派は皇道派の策謀を退け、ニ・ニ六事件の首謀者を厳罰に処した。その後、統制派が軍の主導権を握り、官僚や財界と結びつき戦争体制を確立していった。日米戦争にふみきった東条英機もこの統制派の中心メンバーであった。

***

さらに、

「日本の戦争」(田原総一朗著)では、ニ・ニ六事件を“昭和維新”と称して説明をされている。

そして、「昭和史」(半藤一利著)と含めて、ニ・ニ六事件のきっかけの一つとして、北一輝の「日本改造法案大綱」による影響が書かれている。

なかなか深くて難しいですネ。

 

2014年、「ニ・ニ六事件」のときに二十歳だった方は、いま生きているとすれば98歳。今を生きる私たちが過去の歴史を正しく理解し、知らなければいけませんね。

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。」(ビスマルク)というところでしょうか。

 

ありがとうございました~! m(_ _)m

 

渋谷の法務局の前(NHKの反対側)の旧東京陸軍刑務所跡に慰霊碑があるそうです。

 

080226_153030

2014年1月19日 (日)

「東京物語」、You tubeで鑑賞!

小津安二郎監督の1953年制作の日本の名作映画!

You tubeで全部観れちゃうんですネ。とてもよかったです。

 

戦後まだ10年も経たない頃となります。

当時は、新幹線が無いので、急行(夜行)で出かけるという“時代”の違いはありますが、この映画からは「人」と言うのは、いまも昔も変わってないんじゃないのかな、と感じられます。

 

物語は、

 智衆さんと東山千栄子さんが夫婦役でおじいちゃん、おばあちゃんとなり、その長男役を山村聡さん、長女役を杉村春子さんとなります。長男、長女は、二人とも日々とても忙しく働く世代で、親が広島から東京へ上京してきても、忙しくて時間がとれないと言う設定。

そこで、戦死した次男の妻役で、独り身となる原節子さんが義理の両親となる笠 智衆さんと東山千栄子さんを歓待される物語。

 

現代において、“技術”は目を見張るほどの進歩をしても、「人」と言うのは、変わってないんじゃないのかな、と感じるところです。
(そう、映画では、エアコンどころか、扇風機もありませんでした。団扇のみでした。)

 

それでも、広島に戻った母親が危篤となったときには、忙しい二人であっても、飛んで帰ります。いい人でもあると思います。広島なまり?だと「ええ人」になるようです。

 

自分自身を振り返っても、日々仕事で忙しくしているときには、こころにゆとりがなくなり、なかなか人に対してやさしく振る舞えなくなる。そんな自分がイヤになることがありますからね。

 

原節子さんがやっぱり綺麗なこと。

杉村春子さんがとてもいい味をだしていること。

 智衆さんが、当時49歳のようですが、70歳前のおじいちゃん役を見事にされていること。

これも見所ですネ。

 

You tubeはコチラです。

http://www.youtube.com/watch?v=m9xQCEnWGK8

 

m(_ _)m

 

Tokyo_monogatari_poster_2

Images

2014年1月18日 (土)

平成25年度 年金2について

Never, never, never give in!!!

 

先週に引き続き、年金2について、解答してみました。

計算問題を含め、分からないところ散見・・・・・(;´д`)トホホ…

一旦で申し訳ありませんが「アクチュアリー受験研究会」の受験生の道具箱に掲載をさせていただきました。

今後、ご教示をいただきながら、ブラッシュアップできると幸甚であります。

あと、「被用者年金一元化」については、過去H18 3Aで出題されていますが、その当時とは異なる視点での出題となっていました。

被用者年金一元化における積立金の移換は厚生年金保険の積立金の水準に見合った額で仕分けることにより、本来、少しはよくなるはずだった厚生年金の財政が悪化すると言われています。再考できないものなのかナと、個人的には思っています。

どうぞよろしくお願いいたします。m(_ _)m

http://pre-actuaries.com/

2014年1月13日 (月)

平成25年度 年金1について

Never, never, never give in!

 

今年の年金1について、解答してみました。

「アクチュアリー受験研究会」の受験生の道具箱に掲載をさせていただきました。

 

http://pre-actuaries.com/

 

申し訳ございませんが、疑問点(赤字箇所)残っております。ご教示をいただけると助かります。

今年も勉強会、お世話になります。

どうぞよろしくお願いいたします!m(_ _)m 

 

2014年1月11日 (土)

「くらべない幸せ」(香山リカ著) を読んで

副題として、“「誰か」に振り回されない生き方”と書かれています。

 

香山さんは、女性読者向けに書かれたようですが、男性にも通じる内容と思いました。

よかったです!

 

本の“はじめに”、次のことが書かれています。

 

の前の誰かやメディアのなかの何か(芸能人、著名人など)と自分をくらべ、いまある幸せが見えなくなる幸せ不感症や、「あの人みたいになりたい、いや、ならなければ!」と あきらめきれない病にかかるのは、このへんでやめておきましょう。

くらべない幸せ。もうすでに持っているあたりまえの幸せ。その良さを、もう一度、味わってほしいと思う。

 

そして、本の最後の方に「くらべない幸せ」三つのヒントとして、

1. 不安や心配がわいてくるのはあたりまえ、そのとき恐れずくらべず、ゆっくりやりすごせば大丈夫

2. 人とくらべて刺激のない毎日だからつまらない、というのは間違い。どんな単調に見える毎日のなかにも、必ず心温まるドラマがある。

3. 幸せと生活のレベルとは、まったく無関係。たとえ人から見て「かわいそう」と言われる暮らしをしていても、心はお姫さまで過ごすことだって可能。

 

なかなか俗物な自分には、ここまで達観することがなかなか難しいのですが、3点目については、マザー・テレサも次のようなことを言っていますね。

日本に来られて、きれいな街並、建物、家、服装を見て、その中に、いたわり合い、ほほえみが無いとしたら、インドの小屋の中で仲よく暮らす家族の方が豊かです、と。

 

本の“おわりに”、次のことが書かれています。

 

くらべずに、自分が持っているものや自分自身を十分に愛でて、たまに取り出して磨きながら長く楽しく使う。そんな生き方はなかなかできないが、私もできるだけしていきたいし、そうできずに苦しんでいる人には「比べるの、やめちゃえば!?」と言ってあげたい。そう思っている。

 

ではでは m(_ _)m

41xp91hgf2l_bo2204203200_pisitbstic

2014年1月 3日 (金)

「四十、五十は鼻垂れ小僧」

先日、元上司のSさんより、メールでのやりとりをさせていただいたときに、いただいた言葉となります。

 

「四十、五十は小便小僧」とも言うそうです。

オレはもう歳をとってしまったと言う中高年(四十歳代、五十歳代)を、主に年配者が元気づける、激励する言葉だそうですヨ。

ありがとうございます!

 

さらに、「男盛りは真八十(まっぱちじゅう)」と続くそうです。

80代の人から見れば4050代なんて若造もいいとこだ。

男が本当に仕事をするのは、若い時ではなく、歳をとってからであると言う事でもあるそうです。

 

四十、五十は洟垂れ小僧、六十、七十は働き盛り、九十になって迎えが来たら、百まで待てと追い返せ!

とも言うそうです。

 

いいですネ!!!

まだまだ洟垂れ小僧なんだナ~。

 

さらにSさんの今年の年賀状には、

「あしたのジョーのように真っ白な灰になるまで精一杯の毎日をと思います」と、スゴイ・・・

 

まだまだ洟垂れ小僧の自分はもっともっとがんばらないと!

息子も大学受験、シャキっとした親父の背中を見せられないとナ~

 

ありがとうございました!

m(_ _)m

Imgd7206e94zik5zj

2014年1月 1日 (水)

謹賀新年

新年、明けましておめでとうございます!

 

新春を迎え皆々様のご多幸をお祈り申し上げます。

 

旧年中は大変お世話になり、本当にありがとうございました。

 

2014年の元日は「新月」だそうです。

「新月」は新しく物事をはじめるには最適らしいです。

まずは今年も無事に終えられることに感謝をして、この元日に気持ちを切り替えて『スタート』を意識しましょう!

 

うまが元気に走りまわるがごとく「行動」し、そして「笑顔」で行けるように精進していきたいと思います。

 

本年もどうぞよろしくお願い致します。

m(_ _)m

Photo

« 2013年12月 | トップページ | 2014年2月 »

フォト
2017年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  

最近のトラックバック

ウェブページ

ライフネット生命

無料ブログはココログ

Twitter

  • twitter