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2014年1月26日 (日)

「ニ・ニ六事件」に関する物語(小説)より

「二・二六事件」を題材にされている「物語」に

恩田 陸さんの「ねじの回転」、2002年に書かれたもので、恩田氏38歳のときの作品。

宮部 みゆきさんの「蒲生邸事件」は、1995年に書かれたもので、宮部氏35歳のときの作品

 

「人質カノン」

これは、宮部氏「蒲生邸事件」の約1年前に書かれた短編集。この中にも「ニ・ニ六事件」に関わる物語を書かれている。

それが「八月の雪」だ。

いじめグループから逃げる途中、交通事故に遭い片足を失った少年、充が主人公だ。

いじめグループは罪を問われず、被害者側のみがわりを食う。充はそんな世の不公平さを呪い、ひきこもりになってしまう。そんなおり入院中の祖父が死に、遺品の中から古い遺書めいた書きつけが発見される。やがて充は祖父の友人から、彼らが経験した歴史的事件のことを知る。

それが、昭和11226日に起きた「ニ・ニ六事件」だ。

遺書には、「これが最後の手紙になる。僕はいさぎよく死んでゆく覚悟があります。御兄上様にも宜しく、後のことを頼みます」と書かれている。

祖父が二十歳のときに、信頼していた中隊長の命令に従いニ・ニ六事件に参加する。

結局、襲撃現場では建物の中には入らず、あとになるまで、自分らのやっていることがどういうことか、まるで分からなかった。中隊長殿の命令通りにしていれば間違いない、中隊長どのは神様のような人だから、二十歳の青年たちはそう思っていた。

わけが分からなかったけど、正しいことをしていると信じていたから、死ぬ覚悟ができていたから、遺書も書いていた。

ところが、一夜にして反乱軍とみなされ、その後に中隊長は死刑となる。

亡くなった祖父の友人から、充はこれまでの祖父の過去を知ることができた。

祖父は、それまで信じてきたことが、まったく間違っていたと言われ、誰の言うことが本当なのか分からなくなったはずだ。

その「ニ・ニ六事件」から60数年を生きてきた祖父の気持ちを聴くことはできなかった。

それでも、充は、不公平や世の中の矛盾の中で「生きる」ことの意味を、価値を問いたくなる。

 

僕にはまだまだ知りたいことがある。そう思った。知らなければならないことがある。小さいことも、大きいことも。ニ・ニ六事件のことを、もっと詳しく調べよう。今のままじゃ、何が何だか分からない。そのあとの戦争のことも、そのあとの暮らしのことも、みんな調べよう。知りたい。そうしていけば、おじいちゃんから聴くことの出来なかった話を埋め合わせることができるかもしれない。

そうしていけば、いつかきっと、おじいちゃん達が生きてきた年月を、柴田さん(祖父と同じくニ・ニ六事件に関与した友人)が、あれほどの体験を、「懐かしいなあ」と言うことのできるその理由を、理解することができるようになるかもしれない。

物語はここで終わる。

 

ところで、「ニ・ニ六事件」について、

高校の日本史の教科書(山川出版)には、次の通りに書かれている。

***

政治における政党の力はしだいに小さくなり、逆に軍部と反既成政党・現状打破・革新を主張する勢力(「右翼・革新」)とが政治的発言力を増大させていった。

(中略)

政治的発言権をました陸軍内の派閥対立(対立していた派閥は、ふつう統制派・皇道派といわれる二派で、前者は永田鉄山(1935年に皇道派の将校相沢三郎に殺害された)、後者は荒木貞夫(犬養・斎藤両内閣の陸相)・真崎甚三郎が中心人物とみられていた。ニ・ニ六事件の青年将校は後者に信服していた。)もからんで、1936年(昭和11年)226日、北一輝の思想的影響をうけていた皇道派の一部陸軍青年将校が、約1400名の兵を率いて首相官邸・警視庁などをおそい、高橋是清蔵相・斎藤実内大臣・渡辺錠太郎陸軍教育総監らを殺害するに至った(二・二六事件)。

国家改造・軍政府樹立を目指すこのクーデターは失敗し鎮圧されたが、戒厳令のもとで岡田内閣にかわった広田弘毅内閣は閣僚の人選や軍備拡張や国内政治改革などの政策について軍の要求を入れてかろうじて成立し、以後の諸内閣に対する軍の介入の端緒をつくった。

(この内閣は陸軍の要求によって軍部大臣現役武官制を復活させたが、この制度によって、軍は内閣に不満があると軍部大臣を推薦しなかったり辞職をさせたりして、内閣の存立を脅かした)

***

 

ここからは、“ニ・ニ六事件はよくなかったこと”と書かれています。

 

これが、チャート式 新日本史-近代・現代編(数研出版)になると、もう少し詳細になり、統制派により軍部の主導権を握り、政治的支配を進めようとしていることまでが書かれていました。

 

***

陸軍内部の派閥、統制派と皇道派について

軍部が政治支配を確立していく過程において、軍部に統制派と皇道派の派閥対立が見られた。十月事件の失敗後、荒木貞夫、真崎甚三郎を中心とする皇道派は、直接行動を主張する青年将校と結びつき、軍の主導権を握って天皇親政と対ソ主戦論をとなえた。一方、直接行動主義を捨て、政財界と結んで言わば合法的に政権獲得の道を選んだ、陸軍省軍務局長永田鉄山を中心とした統制派は、皇道派を排除し、青年将校のクーデター計画を抑圧していった。そのため、1935年(昭和10年)、真崎教育総監罷免問題から、皇道派の相沢三郎中佐によって、永田が殺害され、さらに二・二六事件が起こされたが、統制派は皇道派の策謀を退け、ニ・ニ六事件の首謀者を厳罰に処した。その後、統制派が軍の主導権を握り、官僚や財界と結びつき戦争体制を確立していった。日米戦争にふみきった東条英機もこの統制派の中心メンバーであった。

***

さらに、

「日本の戦争」(田原総一朗著)では、ニ・ニ六事件を“昭和維新”と称して説明をされている。

そして、「昭和史」(半藤一利著)と含めて、ニ・ニ六事件のきっかけの一つとして、北一輝の「日本改造法案大綱」による影響が書かれている。

なかなか深くて難しいですネ。

 

2014年、「ニ・ニ六事件」のときに二十歳だった方は、いま生きているとすれば98歳。今を生きる私たちが過去の歴史を正しく理解し、知らなければいけませんね。

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。」(ビスマルク)というところでしょうか。

 

ありがとうございました~! m(_ _)m

 

渋谷の法務局の前(NHKの反対側)の旧東京陸軍刑務所跡に慰霊碑があるそうです。

 

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