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2015年1月

2015年1月31日 (土)

「ダブルギアリング」  真山 仁著 を読んで その2

この物語の舞台「清和生命」の設立について、次のように書かれています。

福沢諭吉の高弟であり、日本の鉱工業の大立て者である古田財閥のプリンス古田辰之助らが中心となって、1904年(明治37年)に設立した清和生命保険は、古田財閥が経営する様々な職場で働く社員の互助組織的発想から生まれた。しかも辰之助以下経営者らがクリスチャンだったこともあり、他社以上に博愛主義を貫き、「生保の良心」という輝かしい歴史を刻んできた。その博愛主義は、「契約者の幸福を最大目標に」という清和生命の社是にも表れている。

 

実際のC生命は、

 

福沢諭吉門下の門野幾之進(初代社長)が中心となって19044月に設立された。

門野幾之進、幕末、鳥羽藩家老の家に生まれた。14歳で慶應義塾に入塾。卒業後は同塾の教頭になり、多くの学生を指導した。また、保険制度を事業化。千代田生命保険の創立者でもある。

 

慶應義塾大学のHPにも紹介がありました。

福澤先生の信頼も厚く、その後、首席教員を経て1883(明治16)年には27歳の若さで教頭に就任。特に英語読解力に優れていたことから「読み門野」と称えられ、いずれも塾長を務めた芦野巻蔵(あしのけんぞう)、濱野定四郎(はまのさだしろう)とともに「塾の三野先生」と塾生に慕われた。

1901(明治34)年には福澤先生の死去を受け、義塾副社頭に就任。翌年には教頭職を辞して教務の第一線から退き、実業界に転じたが、1907(明治40)年まで副社頭の地位にあり、以後も長く理事、評議員を務めた。

実業界での活躍は、1904(明治37)年に千代田生命保険相互会社を創立して社長に就任したのを皮切りに、第一機関汽罐保険、日本徴兵保険、千代田火災保険、千歳火災海上保険を次々に創立。また、1928(昭和3)年には、苦境に陥った時事新報社の会長に就任し、私財を投じて再建に力を尽くした。

義塾最長老の一人として、また福澤先生が日本に伝えた保険事業の草分けとして多大な功績を残し、1938(昭和13)年1118日、門野は没する。享年8213歳で入塾し、15歳で教師となって以来、70年近くにわたり義塾の発展に尽くした生涯であった。

 

物語にある“財閥のプリンス”ではありませんが、なかなかの傑物だったんですネ~!

スゴイ!!

 

そして物語には、

“相互会社”とは、およそ善人が経営する場合、これほど理想的な経営形態はないが、ひとたび悪人が入り込むと、大変なことになる。

それは、その代表格である生命保険会社が常に肝に銘じなければならない言葉だと言われている。相互会社とは、「助け合い」を目的とした相互扶助の精神に則って生まれた法人の考え方だ。日本に古くからある漢字生保の多くは、この“相互会社”として歴史を刻んできた。

相互会社の目的は、営利ではなくその会社と契約している出資者が、まさかのときに備える事務処理をするためにある。したがって、会社として得た利益は、すべて出資者(契約者)に還元されなければならない。

そうした発想から、生保社員は職員と呼ばれ、契約者を社員と呼んでいる。また株式会社のような株主総会もなく、経営は、職員から選ばれた経営者が「良心に則って」行うことになる。そもそも、私利私欲に走ったり、預かっている金を私物化するようなトップが現れることを、最初から予見していない。だからこそ、冒頭の言葉が大きな意味を持った。しかしひとたび悪人が掌握したら最後、何ものも彼を排除する術を持っていなかった。

 

そして、ライフネット生命の出口さんは、これまでの生保破綻も踏まえてだと思います。自らの書「生命保険入門」に書かれています。

 

「相互会社」の利点を活かそうとするとき、誠実な経営であれば相互会社でもよい。

ただし、歴史の中では、そうではない経営、経営者が現れたりすることもありますので、その点で、コーポレート・ガバナンスの利かせることができる「株式会社」に軍配が上がると。

 

C生命の中目黒にあった本社の役員フロア、T生命の渋谷にあった本社の役員フロア、K生命の等々力にあった会長のフロアは、そのフロア全てが絨毯で敷き詰められていて、ほかのフロアとは全く違った世界だったようにと思います。赤色だったでしょうか?

もう少し質素に努めるべきでしたよネ~

 

続きはまた・・・ありがとうございました。

 

m(_ _)m

 

2015年1月18日 (日)

フランク三浦とフランクミュラー

ついに購入!フランク・・・・・「三浦」・・・!

( ̄◆ ̄;)

当然、フランクミュラーなど買えませんネ。

フランクミュラーが3,000,000円なら、フランク三浦は、な・なんと3,000円!

この安さにはわけがある!?それで、その「保証書」が笑わしてくれます!

 

「フランク三浦保証書」

フランク三浦は全てこちらの規定に基づいて対応させていただきます。

・外装について/全て手作りで作っているため外装に多少の傷、文字盤に埃、異物、指紋、まれにちぢれ毛などが混入しておりますがこれらは全て許容範囲内とお考えください。

・防水について/フランク三浦は基本的に全て完全な非防水です。ダイビングや水泳に使用されるのは勝手ですが、確実に水分が侵入して時計が破壊されます。

・磁力、磁気について/パソコン、モーター、ドライヤー、携帯電話など磁気を発生するモノの近くに置かないで下さい。すぐに壊れますし磁気による故障は保証対応ではありませんので、ご了承ください。

・ショックについて/落下等のショックによる耐久性は全く持ち合わせておりません。2センチ以上の高さから落とした、ほんの少し壁やドアに接触したなどで故障した場合も全て自己責任です。保証は適応されませんので、ご了承ください。

・電池について/すべてモニター電池です。電池切れは近くの時計屋さんで交換を実費で行ってください。購入後すぐに電池がなくなったとしても保証対応ではありませんので、ご了承ください。

・ウレタンベルトに調整用の穴が開いてない。⇒ご自分で開けてください。

・使用による皮膚のかぶれや湿疹などが起きた場合、直ちにご使用をおやめ下さい。時間は携帯電話、スマートフォン、駅の時計などでお確かめ下さい。

・一日の遅れや進みが大きい場合⇒電波時計を参考に毎日時刻合わせしてください。

・保証期間はご購入日より90日で、対象はムーブメントのみとなります。

 

「フランク三浦」もギャグなら、「保証書」までもがギャグでした~!

 

さいごにひと言!

ムーブメントは、さすが日本の時計屋さんのものなので、保証書に書かれているような“弱さ”は無く、丈夫なように感じています!ただ、ムーブメントの裏には“非防水”と刻印まであるので、水には注意したいと思います。( ̄○ ̄;)!

ウレタンベルトはちょっと無理がありましたが、それはご愛嬌ということにしておきましょう!

( ̄▽ ̄)

m(_ _)m

本物のフランクミュラー
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フランク三浦です。違いが分かりますか?・・・
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2015年1月12日 (月)

「ダブルギアリング」  真山 仁著 を読んで その1

今年最初の一冊。とても興味深く読むことができました。

ありがとうございました!

バブル経済の始まりから、それがはじけて生命保険会社の連鎖破綻が発生した、1985年から20035月までの、ある生命保険会社の物語となります。

 

半分は小説ですが、半分は事実と思いました。

 

当時、自分も破綻した生命保険会社の一つにいた当事者として、忘れられない、忘れてはいけない事実として振り返ることができました。

時間と言うのは恐ろしいです。本を読んでいくと、当時のことを思い起こし、重い気持ちになるときがあるのですが、最近、普段は思い起すことがほとんど無くなっていました。

 

ここに出てくる生命保険会社は、中身的にはCYD生命で、時間軸としてはASH生命を想定しているようです。それぞれ足して2で割って「清和生命保険相互会社」として出てきます。

 

できれば、TH生命についても書いて欲しかった。( ̄○ ̄;)!

少しでてきましたよ、ハゲタカでは「東陽生命」でしたが、ここでは「東洋生命」という名前で。

98年に破綻した東洋生命は、大蔵省から決算を了承されたのに監査法人に拒否されて破綻したのを」って。調べられていますネ。(^-^;

 

是非、植村信保氏の「経営なき破綻 平成生保危機の真実」と一緒に読むと、とても興味深く読むことができると思いました。

 

トップマネジメントがダメになると、そこにいる人材がいかに優秀でも、なかなか立て直すことが難しい。この物語でも超ワンマンの経営者による乱脈経営により、結果として、更生特例法を申請することになります。

ここでの登場人物でかっこイイのは、清和生命の社長室次長 各務裕之と、総合企画部企画担当部長 中根亮介です。ハゲタカの準主役、芝野(のちにTV化で柴田恭平氏が演じています)的存在だと思いました。

共に1981年入社の同期同志。なんとか会社を立て直すように尽力するのですが、バブルがはじけてから、2002年度末(2003331日)までは、日経平均も下がる一方であり、決め手となる打ち手を決められず、最終的には、更生特例法を申請することとなります。悔しいですね。

 

≪日経平均株価 バブル期前後の推移≫

1982  8,016.67

1983  9,893.82

1984  11,542.60

1985  13,113.32

1986  18,701.30

1987  21,564.00

1988  30,159.00

1989  38,915.87

1990  23,848.71

1991  22,983.77

1992  16,924.95

1993  17,417.24

1994  19,723.06

1995  19,868.15

1996  19,361.35

1997  15,258.74

1998  13,842.17

1999  18,934.34

2000  13,785.69

2001  10,542.62

2002  8,578.95

2003  10,676.64 ←「金融再生プログラム」で2003年度末より、2008年のリーマンショックまで上昇。

 

ところで、トップマネジメントの乱脈経営で破綻した生保は3社が知られているところですが、TH生命のみ保護機構等からの資金援助約3,600億円があり、一方ほぼ同額の債務超過額でありながら、CYD生命とKYEI生命は資金援助無し。この差額はどこに行ったのか。これが、よくも悪くも“ハゲタカ”の由縁なのかなと思いました。

当時、TH生命を買収した外資には、デューデリ専門部隊があるくらいですからネ。

 

                                       
 

 

 
 

TH生命

 
 

CYD生命

 
 

KYEI生命

 
 

債務超過額

 
 

6,500億円

 
 

5,950億円

 
 

6,895億円

 
 

保護機構資金援助

 
 

3,663億円

 
 

なし

 
 

なし

 
 

劣後ローン

 
 

不明

 
 

全額免除

 
 

全額免除

 
 

営業権

 
 

2,400億円

 
 

3,200億円

 
 

3,640億円

 

 

続きはまた・・・ありがとうございました。

 

m(_ _)m

2015年1月10日 (土)

「戸越銀座温泉」へ

行ってきました!

あの『孤独のグルメ』著者 久住 昌之「ちゃっかり温泉」 という本に載っていたと思います!

 

東急池上線「戸越銀座」駅より徒歩5分。入湯料480円也!

創業40年の銭湯「中の湯」が、平成194月にリニューアルオープン。“天然温泉”を導入して「戸越銀座温泉」として生まれかわったそうです。

とても近代的なビルとなっており、「温泉」となるのは、3階の露天風呂になります。少しぬるめですが、その分、ゆっくりとできますネ。

ただ、ちょっと狭めでした。45人で一杯になります。テレビが観られるのですが、その分、テレビの前の一人分のスペースがデッドスペース(テレビが観られなくなるので、そこには座れません)になっていて勿体ないですネ。テレビは無くていいと思いました。

2階が銭湯になっていて、白湯のお風呂のほか、ジャグジーと電気風呂がありました。とても温まりました!

お風呂から上がると、1階には、ここは広めの飲食スペースがあり、ビールも飲むことができます!

当然、一杯飲んでから帰りました!

結構賑わっておりました。混んでいました。近代的なビルですが、脱衣所と露天風呂がそれほど大きいわけではないので、混み合い気味だったのが、ちょっぴりざんねん。

当然、「銭湯」ですので、タオル、石鹸、シャンプー・リンスは持参くださいませ。

戸越銀座は、「戸越銀座商店街」も有名ですよね。結構飲み屋さんも多かったのですが、今日はがまんして帰路につきました。

 

いいお湯でした!ありがとうございました!

 

m(_ _)m

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2015年1月 4日 (日)

「多摩川物語」 (ドリアン助川(明川哲也)著) を読んで

この本は、20119月に『大幸運食堂』を改題し、加筆・訂正を加えたものです。

8編の多摩川沿いに住む人びとの物語です。そこに「大幸運食堂」が横軸につながっているのですが、今回、『多摩川物語』と改題されたようです。

 

とってもよかったです。ひとは完ぺきではない。どちらかといえば不器用な人たちによる、心あたたまる物語でした。

 

1. 黒猫のミーコ

2. 三姉妹

3. 明滅

4. 本番スタート

5. 台風のあとで

6. 花丼

7. 越冬

8. 月明かりの後に

 

「黒猫のミーコ」は、冷めきった夫婦、その妻、雅代が自分たちの畑の前で無人販売所を初め、そこに居ついたミーコとの物語。ボクのお気に入りです!

「三姉妹」は、古本屋の店員洋平と三姉妹の家族との物語。物語の最後の一文。

三姉妹の妹と友達になれた洋平へ、「さあ、新しい物語をいきなさい。具体的にいきなさい。洋平さんは一瞬、本にそうささやかれたような気がした。」と書かれていました。イイですネ!

「明滅」は、夫婦不仲のこども達、かっちゃんとマル君との物語。お互いに母子家庭の生活となり、マル君は母親の実家に引っ越すことになります。そこで、最後に、

「これからどんなことがあり、どんな時代になり、どんな大人になろうと、今日マル君と二人で見た小さな光(蛍です)のことは一生忘れない。」イイですネ!

「本番スタート」は、多摩川べりの映画撮影所ではたらく、隆之さんとヨネさんとの物語。撮影中に失敗をした隆之をひげのホームレスが「どうしたって生きていけるんだ。心配すんな!」と励まします。

そして、ヨネさんも、

「映画でな、最初から最後まで幸福な主役が出てきたら、客は怒りだすよ。なぜなら主役ってものは、運命に痛めつけられて、初めて前に進んでいくからだ。ところが現実の人生では、だれもがちょっとしたことでふさぎこんでしまう。自分が主役で、人生こそが本物の舞台だってことを忘れていやがるんだ。窮地に陥れば陥るほど、物語の見せ場だってことをな。まあ、そこに気づかないというのが、普通の人間の感じ方かもしれないがね。だからこそ、映画ってものがあるんだろう。人を“勇気づける”のはやっぱり映画だ。」イイですネ!

「台風のあとで」は、中学三年生、美術部の雅之くんと元イラストレーターで今はホームレスのバンさんとの物語。

「花丼」は、大幸運食堂のマスター 継治さんの物語。大幸運というお店をしながらも、お店の経営は行き詰っている中での、こころ温まる物語です。

「越冬」は、父子家庭の父伸彦さん、息子翔くん。母子家庭の母麻子さん、娘綾ちゃんとの物語。最後はハッピーエンド。イイですヨ!

「月明かりの夜に」は、冷めきった夫婦、その妻、良美さんと良美さんの母親正子さん(正子さん自身も離婚をして、母子家庭の中で良美さんを育てられた)との物語。正子さんは亡くなられるのですが、最後に残したラジカセからの良美さんへの言葉、

「今あなたは、なかなか大変な時期にあるようだけれど、それも景色のひとつよ。人間はね、うちのそばの多摩川を流れていく葉っぱのように、岸辺のあらゆる景色を見ていくの。だからいい時も悪い時も、すべての景色を味わうのが人生なんだとお母さんは思うわ。それに、お母さんの人生にはあなたが、良美ちゃんがいてくれました。私はあなたがいてくれて本当に幸せ者でした。良美ちゃん、生まれてくれてありがとう。だめな日はだめな日なりに、毎日を味わって生きていきなさいね。笑っていればいいことよ。笑っていれば、またきっといい景色の日がきますから」

 

ドリアンさん(明川さん)の本には、いつもこころに響く言葉がちりばめられています。

ありがとうございました!

 

m(_ _)m

 

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2015年1月 1日 (木)

謹賀新年 2015年

新春を迎え皆々様のご多幸をお祈り申し上げます。

 

いまよりも明日へ、一歩ずつ着実に「自信」向上を目指して日々精進していきます!

 

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。m(_ _)m

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