「早春」(藤沢周平著)を読んで
「三屋清左衛門残日録」を読んでみて、藤沢氏の数少ない、というよりも唯一らしい現代小説を読んでみたいと思い手にとりました!
短編集になります!
1. 深い霧
2. 野菊守り
3. 早春
の3つの物語に、エッセイが4編加わっています。
中でも、
現代小説の「早春」と時代小説の「野菊守り」が対照的で印象に残りましたヨ。
「早春」の主人公 岡村 56歳と、「野菊守り」の主人公 斎部五郎助は54歳、二人とも時代こそ違え、“現代の企業”と“藩”を重ね合わせれば、両者とも“窓際族”にある。
ところが、五郎助は30年前、無外流の剣の使い手として知らぬ者はいないと言われていたことから、中老の寺崎半左衛門から声をかえられて、お家騒動に捲き込まれる。その覚悟をする瞬間の心の動きを、
「とんでもないことに捲きこまれるところだな、と五郎助は思った。中老が追い込まれた苦境はわかるが、おれを味方につけようという考えには無理がある。おれにはそんな力は残っていない、と思ったが、寺崎の声は五郎助の耳に快くひびく。気持ちを鼓舞するものを含んでいた。
胸の中の火はさっきよりもっと大きく、熱くなった。火がついたのは、しんだような日々の積み重ねの間に、忘れられ埃をかぶって眠っていた“自負心”に違いない。五郎助の目に、自信に充ち溢れていた若い自分の姿がちらついた。」と
「近頃は足腰も衰え、剣のほうも、ここ10年ほどは木刀も振ったことがござりません」と言いながら、30年前と変わらない剣の使い手として活躍する物語でした。
一方、現代小説の「早春」の岡村は初老の勤め人の“寂寥”を描くままで終わっています。なぜ「早春」と題したのかも不思議でした。
「解説」の中でも、「藤沢周平が、もしもはじめから現代小説を書いていたら、せいぜい、目立たない心境小説の作者として終わったであろう」とはっきりと書いていました。
藤沢氏自身も
「時代ものでいまの人情を書くには、あの時代(江戸時代)が一番いいんじゃないでしょうか。現代小説でちょっと照れくさくて書けないようなことが、時代小説だと可能なんです。そういう意味では、あっちこっちに本音みたいなものも入っていますよ」と
「早春」は正直に今一感が否めず。
「現代」であっても、生きている間、自分にできることを少し背伸びするくらいでしっかりとやっていれば、中高年になったから、窓際族になったから、初老になったからと言って「寂寥感」ばかりではなく、三屋清左衛門、斎部五郎助の現代版にきっとなれると思いましたヨ!
中高年窓際族の一人として、シュプレヒコールをあげます!
ありがとうございました!
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