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2018年1月

2018年1月14日 (日)

「日本の自殺」 “グループ1984年”著 を読んで

最初に「パンとサーカス」について

 

これは、ローマ帝国没落の原因を言っています。

 

ローマ帝国の大土地所有者や政治家は市民大衆の支持と人気を得るためにひとりひとりに「パン」を与えたのである。

このように働かずして無料の「パン」を保障されたかれら市民大衆は、時間を持て余さざるを得ない。どうしても退屈しのぎのためのマス・レジャー対策が必要となる。かくして、ここに「サーカス」が登場することになる。

こうして無償で「パンとサーカス」の供給を受け、権利を主張するが権利や義務を負うことを忘れて遊民家したローマの市民大衆は、その途端に、恐るべき精神的、道徳的退廃と衰弱を開始したのである。

ローマの市民大衆が働かずして無償の「パンとサーカス」を「権利」として手にいれることができるようになり、繁栄と福祉の絶頂に達したと錯覚しているときに、ローマ社会の芯は腐り始め、ローマ人の魂は衰弱し、ローマの没落は確実に始まっていたのである。

自治体のどの有力者も一種の階級モラルのために人民へ寄贈をおこない、人民もそれを当然視する慣習であった。ローマの元老院議員たちは、ローマ市の平民のために各種の競技会(サーカス)を開催し、支持者や兵士に象徴的な寄贈を分配したものだ。

これこそ、公然と選挙腐敗を招いたものである。

 

ローマ帝国は、市民に安いパンと剣闘士の試合を確保していたので、人民から帝国きっての恵与者もしくは贈与者として人気を博していた。

言い換えれば、こうした恵与や贈与をしない政治家は、平民から見放されることになる。

 

こうして“グループ1984年”は、ローマで進行した自壊のプロセスが日本の歴史でも繰り返されると警告したのだ。

すなわち、世界国家の心臓部の反映→豊かさの代償としての放縦と堕落→共同体の崩壊と大衆社会化状況の出現(大衆迎合主義)→「パンとサーカス」という「シビル・ミニマム」→増大する福祉コストとインフレとローマ市民の活力喪失→エゴと悪平等主義の反乱→社会解体、という自壊のプロセスなのである。

しかし、現代日本の事態はある意味で古代ローマの場合よりも深刻なのである。

ローマの有力者なら、「パンとサーカス」を自前で振舞ったのに、今の日本の政治家と国民は税金と将来からの借金でそれをあがなおうとしているからだ。

 

「日本の自殺」は日本の高度経済成長時代、1975年に書かれたものですが、1980年代に土光さんが、行革審議会の“哲学”としました。

 

そして、今の日本は、国家予算の10年を超す借金を抱えながら、身の丈を超えた過剰な政策で予算をばら撒き、ギリシャの財政危機を横目にまだ大衆に迎合しています。

 

国民が狭い利己的な欲求の追求に没頭して、みずからのエゴを自制することを忘れるとき、経済社会は自壊していくことになる。

国民がみずからのことはみずからの力で解決するという自立の精神と気概を失うとき、その国家社会は滅亡する。

政治家が大衆迎合主義に走るとき、その国は滅びる。

 

「日本の自殺」が、1975年よりも、1980年代の土光さんのときよりも、ますます危機に近づいていると感じました!

 

最後に、“グループ1984年”の命名由来について

1984年』 イギリスの作家・ジャーナリスト、ジョージ・オーウェル(1903625 - 1950121日)の小説。1949年刊行。

オーウェルは1944年にはこの小説のテーマ部分を固めており、結核に苦しみながら1947年から1948年にかけて転地療養先の父祖の地スコットランドのジュラ島でほとんどを執筆した。

トマス・モア『ユートピア』、スウィフト『ガリヴァー旅行記』、ザミャーチン『われら』、ハクスリー『すばらしい新世界』などのディストピア(反ユートピア)小説の系譜を引く作品で、スターリン体制下のソ連を連想させる全体主義国家によって分割統治された近未来世界の恐怖を描いている。

なお、「1984年」という年号は、本作が執筆された1948年の48を入れ替えたアナグラム(anagram:単語または文の中の文字をいくつか入れ替えることによって全く別の意味にさせる遊び)であるという説が一般的である。これによって、当時の世界情勢そのものへの危惧を暗に示したものとなっている。

 

あらためて、国民の一人として、自分になにができるのか、きちんと考えて行動をしないといけないと、思いました。

 

ありがとうございました!

m(_ _)m

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2018年1月 3日 (水)

「風に舞いあがるビニールシート」 (森絵都 著)を読んで

森絵都さんの直木賞受賞作品になります。

 

さらっと読めてしまいました!

 

短編集になります

・器を探して

・犬の散歩

・守護神

・鐘の音

・ジェネレーションX

・風に舞いあがるビニールシート

 

お正月のテレビで、芸能人が、

「家族」

「友人」

「仕事」

「お金」

「趣味」

「健康」

について、大切な順に順位を付けて、そのトップ3をメンタリストDaigoが当てるという番組がありました。

 

これって、ひとそれぞれ違いますが、一人一人もその時々で違うことがあると思います。

 

※あとがきより

 

「大切な何かのために懸命に生きる人たちの、6つの物語」

 

気分屋なオーナーパティシエに振り回され、恋人の機嫌を損ねながらも秘書としての“仕事”に奔走する「器を探して」の弥生。行き場を無くした犬を自宅で預かり、その里親を探すボランティアの活動費を稼ぐためスナックでアルバイトをしている「犬の散歩」の恵利子。高卒と大卒の生涯賃金の差を知り一念発起し、時間に追われるフリーター生活の傍ら大学の二部に通っている「守護神」の裕介。仏師になるという夢にやぶれ、仏像修復師となった「鐘の音」の潔。雑誌に掲載した商品のクレーム処理のため、謝罪に向かう「ジェネレーションX」の健一の石津。外資系投資銀行から収入の面では大幅にダウンする国連難民高等弁務官事務所の一般職に転職した表題作「風に舞いあがるビニールシート」の里佳と、危険と隣り合わせのフィールドで、獰猛な風に簡単に吹き飛ばされそうな難民たちを救うべく戦い続けるエド。

主人公たちはみな「大切な何か」を抱え、そのために「懸命に生きている」。けれど、彼らの「大切なもの」は一様ではなく、それに気付く過程も、対峙する姿勢も違います。

大切なものは、たったひとつだけではなく、いくつもあって、優先順位をつけるのはとても難しいものです。

本書には、その迷いが、葛藤が、そして決意が、主人公たちが過ごす日常のなかで描かれていて、その遠くて近い彼らの姿に心強さを受けるのです。

 

ありがとうございました!

 

m(_ _)m

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2018年1月 2日 (火)

「光秀の定理」(垣根涼介著) を読んで

最初に、Wikipediaより

 

「明智光秀(1528-1582)」

“戦”は大嫌いですが、戦国武将の中では、優れた人格者の一人であったように思います。

 

本姓は源氏で、家系は清和源氏の摂津源氏系で、美濃源氏土岐氏支流である明智氏。

通称は“十兵衛”。のちに朝廷より惟任の姓を賜ったため“惟任光秀”とも言う。妻は妻木煕子。その間には、細川忠興室・珠(洗礼名:ガラシャ)、嫡男・光慶(十五郎)、津田信澄がいる。

「本能寺の変」は、1582621日(天正1062日)、備中高松城包囲中の羽柴秀吉を救援しようとしていた織田信長に対して、先発させた家臣明智光秀が謀反を起こして丹波亀山城から引き返し、京都の本能寺に宿泊していた信長と妙覚寺に宿泊していた当主の織田信忠を襲撃したクーデター(事変)である。

寝込みを襲われて包囲された信長は脱出を諦めて自害を迫られ、信忠は二条御所に退いて戦ったがやはり自害した。代表的な“下克上”の1つ。

光秀が反旗を翻した原因について、多くの歴史家が研究しているが、現在でも定説と呼ばれるものは確立されていない。

光秀の恨みや野望に端を発するという説。

光秀以外の首謀者(黒幕)がいたとする説も多数あり、日本史上の大きな謎の1つである。

 

土佐(高知)の戦国大名、長宗我部元親が四国の領有権をめぐり、本能寺の変の直前に織田信長の命令に従う意向を示した手紙が見つかり、本能寺の変の動機解明につながる有力な新史料として大きな注目を集めた。所蔵する林原美術館(岡山市)と、共同研究する岡山県立博物館によると、信長は当時、四国攻めの準備を進めており、元親との交渉役を任されていた明智光秀が恭順の意を示した元親との武力衝突を回避するため、本能寺の変を起こしたとする「四国説」を後押しする有力史料と評価した。

 

「明智光秀の妻煕子(ひろこ)(生年不詳~1576)」

「月さびよ明智が妻の話せん」(松尾芭蕉)

【明智光秀が出世する前、貧しかった頃に、順番に家を訪れ食事をしながら話をすると言うもの、今でいえば、持ち回りの家での懇親会)を催すお金がなく、集まる人をもてなす料理の準備もままならない。そこで妻は長く美しい黒髪を切り売ってその代金とした。その料理は他家のものより立派な食事で、光秀は面目を保った】

と言う逸話があり、芭蕉が奥の細道の旅を終えて伊勢の遷宮参詣をした際、又幻と言う人のお宅に一泊した。そのとき、貧しいにもかかわらず又幻夫婦の暖かいもてなしを受けた芭蕉は感激して、この句を詠んだそうです。

『寂しい月明りのもとですが、明智光秀の妻の昔話をしてあげましょう。(あなたのその心掛けは、必ず報われる日が来ますよ)』

と言う意味。

できた妻と思いましたが、光秀も生涯側室を置くことなく、煕子一筋とのこと。

 

この物語でも、明智光秀の起こした「本能寺の変」の「理由」について、理由は一つではなく、複数の理由が絡み合っていました。

・上述の「四国説」あり。

・いつの世でも、仕事のできる人間には恐ろしく仕事が集まってくるものだ。

信長からの指示を完璧に遂行すればするほど信任が厚くなり、さらに多方面の軍事作戦を任せられ、その忙しさは年を追うごとに倍、三倍、四倍というように加速度的に増していった。膨大な仕事量が、その光秀個人の才能と言う器からこぼれ落ちそうな瀬戸際で、常に奔走していた。信長から与えられる任務と領地が増すにつれて、光秀の精神的な疲労は甚だしくなっていったこと

・信長の指示の一つに「延暦寺焼き討ち」がある

・そして、最愛の妻を先に亡くしたこと(本能寺の変の6年前)

・光秀は、身分の上下があっても、人間は、人間対人間として考えていたが、信長は、家臣を自分の“道具”として扱い“人間”として扱わないこと。その時に、この国の将来像を想像したときに、独裁者が君臨する未来を待つよりも、本能寺を襲う賭けにでた

・その中で、信長よりも6歳年上の光秀に対して、領地であった丹後と近江を召し上げる代わりに、まだ得てもいない出雲と石見の支配権を与えたこと。ここに、生死を共にする腹心の家臣たちの将来への危惧、美濃源氏の嫡流であり棟梁としての義務感が本能寺へと駆り立てた

 

など、いくつもの理由が重なり合って、その必然として起こったのだと思いました。

 

最後に、

物語には、光秀の脇を固める役割として、「新九郎」と「愚息」がいいコンビとして登場する。

剣の達人「新九郎」の言葉として、

「人とは所詮、自分の得手とすることを通じてしか、賢くなれぬ。また、慶びもない。わしにとっては兵法ですな」

一つの真理を突いた言葉だと思いました。

その剣を支える頭脳として、坊主の「愚息」がいて、物語に、とてもいい味(コンビ)となっていました。

 

現在、垣根氏は「信長の定理」を執筆中とのこと。楽しみです!

 

ありがとうございました!

 

m(_ _)m 

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