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2019年2月

2019年2月24日 (日)

リーマンショック!別名、AIGショック!に向かって!! 丹羽宇一郎著「成功の秘訣は 頭より心 ド根性ダ!」を読みながら

最初に「用語」を確認しよう!

CDSとは、英語表記「Credit default swap」の略で「クレジット・デフォルト・スワップ」のこと。企業や国などの破綻リスクを売買するデリバティブ(金融派生商品)で、投資対象の破綻に備えた保険の機能を持ちます。CDSの買い手は売り手に一定の手数料を支払う一方、投資先がデフォルト(債務不履行)となった場合には売り手が損失を肩代わりし「保険金」を支払います。

20089月に米リーマン・ブラザーズが破綻した際には、大量のCDSの売り手だった米保険大手アメリカン・インターナショナル・グループ(AIG)が経営危機に陥り、米政府が救済した。

ちなみに、AIGCDSを開発して売り出したのが、2005年の年明け頃とのこと。(※)

※グリード(真山仁著より)

 

次に「サブプライムローン」とは、米国の信用力の低い低所得者向けの住宅ローン。審査が緩い代わりに金利が高くなる。優遇金利の「プライム」より信用力が落ちるという意味で「サブプライム」と呼ばれる。

2000年ごろから住宅価格が上昇するにつれて利用者が増え、それまでは住宅ローン市場全体の10%以下だったのが、06年から07年にかけては1315%を占めるまでに成長した。

そのサブプライムローンは証券化され、世界各国の投資家へ販売されたが、米国において2001 - 2006年ごろまで続いた住宅価格の上昇を背景に、格付け企業がこれらの証券に高い評価を与えていた。

しかし2007年夏ごろから住宅価格が下落し始め、サブプライムローンが不良債権化した(サブプライム住宅ローン危機)。これと共にサブプライムローンに関わる債権が組み込まれた金融商品の信用保証までも信用を失い、市場では投げ売りが相次いだ。

そこで、CDSの売り手であったAIGは保険金支払いが急増し、ディスインターミディエーションが発生しデフォルト!

2008918日までに、FRB(米連邦準備理事会)による850億ドルもの資金供給が確定した。ただし、それは2年間での返済を必要とした。

そのため、当時の日本における、アリコ、AIGスター、AIGエジソン生命の売却へとつながっていくことになる。

 

2008915日、「リーマン・ショック」と呼ばれることとなったアメリカの投資銀行であるリーマン・ブラザーズ・ホールディングスが経営破綻した。連鎖的に世界規模の金融危機が発生した事象を総括的によぶ。

2007年のアメリカの住宅バブル崩壊をきっかけとして、サブプライム住宅ローン危機を始め、プライムローン、オークション・レート証券、カードローン関連債券など多分野にわたる資産価格の暴落が起こっていた。

リーマン・ブラザーズは、負債総額約6000億ドル(約64兆円)というアメリカ合衆国の歴史上、最大の企業倒産により、世界連鎖的な信用収縮による金融危機を招いた。

 

その前兆はいつから起きていたのか?

2006120丹羽宇一郎氏「21世紀日本の光と影」の講演より

 

アメリカ国民の貯蓄率は、ほとんどゼロからマイナスです。それでいて消費が伸び、経済が伸びている。アメリカ人は、いま自分が稼ぐ以上のものを消費しているのです。その元となっているのが住宅です。購入した住宅の値上がりを担保にして、お金を借りる。そのお金で消費する。さらに値上がりする。さらに借りる。そうした具合に、貯蓄がなくても消費をつづけていけるサイクルが出来上がっているわけです。

いつオルゴールが鳴り止むのか。これは相当前から言われ続けている。

 

そして、2006年初めより、AIGスター生命とAIGエジソン生命の合併話が出てきた。

『ビジョナリーカンパニー②飛躍の法則』によれば、会社合併をする場合、スケールメリットを得ることによるユニットコストの削減に加えて、プラスαが無ければ、成功しないとあった。

当時、AIGスター生命とAIGエジソン生命は国内で言えば堅実に利益を上げていたが、同じような顧客層、営業地盤から言って、合併してもユニットコスト削減以外に得られるものは無いと捉えていた。それでも合併する理由は何か?

 

今振り返れば分かる!

 

日本国内の利益率では物足りない!当時のアメリカのダウ平均では10%超の利益率を上げていた。流石に日本国内で、そこには到達していない。そこで、ユニットコストを削減して、1+12が得られれば、利益率を向上することができると考えたのだと思う。

アメリカ側経営者の強欲で短期的利益偏重の考え方から来たと!

そして、これらAIGのアメリカ側経営者はAIGショックを招く!残念な経営者たちだ・・・

 

続く・・・

m(_ _)m

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2019年2月 9日 (土)

「東邦生命破綻!!」(1999年6月の出来事)について

「浅谷さんのHp」、2000/7/23の記載より

気になっていたこととは、破綻した「東邦生命」の経営責任取り方である。破綻した企業が旧経営陣の責任を追及し、損害賠償を求めたのは、旧日本長期信用銀行などのケースがあるが、保険会社では初めてだと記事にある。そういえば、日産生命にどの様な経営責任をとったと言うことを聞いたことがないから、「東邦生命」が初めてなのであろう。

訴状によると、太田清蔵元社長は1990年から92年にかけて、ノンバンク経由で太田家の資産管理会社など二社に総額120億円を融資した結果、約64億円が回収不能になった。

 

多田元副社長は、融資が太田家の利益を図るものとは知りながら、止めさせなかったという。賠償請求額が10億円に留まったことについて東邦生命は「責任の度合いや支払い能力などを総合的に判断した」と説明している。しかし太田清蔵元社長の責任は、10億円程度で、かたが付く話ではない。少なくとも一桁違うと私は思う。

太田元社長のワンマンぶりは業界内では昔から有名であり、取締役の任命から融資の決定まで他人の介入を許さず、気に入らない部下は、直ちに飛ばしたようだ(取締役の任期は一年だとまで言われた)。彼は、千三つ屋、いや万三つ屋といわれ、一種の性格破綻者であった。

彼が経営責任のチェックが甘い相互会社の社長になったことがこの会社の悲劇の始まりであったのだ。

私が25年前に保険一課長をしていたとき、太田氏は副社長であった。悪い噂が外部から伝わってきたことがあって、「もし経営を引き継ぐようなことがあれば、しっかりした補佐役が必要だ」と話をしたことがあった。当時、東邦生命は太田商会(商店)とも呼ばれ、アクチュアリの平木三蔵さん、会計の大久保勲さんという、業界でも有名な人がいて会社を支えていた。しかし、その後に太田氏に対し抑えの効く補佐役が育たなかった、育てなかった。絶大な人事権を握っている社長に反抗し注意することが、チェック機構のない相互会社では如何に難しいかを実証した。システム的に、この様な内部自己規制に頼るのは無理である。

しかし、その後いろいろな事情があったのだろうが太田氏が社長に就任し、次第に有力な補佐役が退任して、彼が独裁者になっていった。大蔵省から証券局長で退任した安井誠さんが安田火災に社長含みで行き、会社のゴタゴタに巻き込まれて退任し、その後、東邦生命の会長に就任したけれど、営業中心に活動(私から見れば相当問題な行動が見られ、私にアドバイスを求められたことがあった)され、その後、会社の問題になった財務には関係していなかったようだ。

バブル当時から、またそれが崩壊してから、東邦生命の資産運用が問題であると業界内で大きな評判だった。太田氏の私的財産を間接的に殖やす運用である。

その時期に新保険業法が審議され、資産運用の規制緩和が大幅に認められるようになった(この点も早急に再検討すべきである)のだから、太田氏のやり方を法的に規制する手段が無くなった。私は、これが問題発生の一端であると思う。もともと、社長(会社経営責任者)関連の資産管理会社や事業会社等に生保会社の金を、保険契約者の金を融資することを法的に規制すべきであった。

其処がしっかりしていれば、「東邦生命」の資産運用の問題に、法的な損害賠償責任訴訟を提起できるはずである。東邦生命の資産運用の実態について監督官庁である保険部は、異常に長期化した検査から承知していたはずである。当時の監督官庁は、債務超過の決算を知りながら放置して、如何にして太田氏を社長の座から降ろすかに全勢力を注ぎ込んでいた。また、外部の第三者からなる経営委員会を設けて経営のチェックを行うシステムを作ったけれど、全く成功しなかった。

http://www005.upp.so-net.ne.jp/asatani/kiji22.htm

 

そして、2003/6/1の記載より

その後、2003/5/23日付の読売紙によると、破綻した東邦生命の元社長太田清蔵氏に対し損害賠償の支払いを東京地裁が命令した。

記事を引用すると、19996月に経営破綻した東邦生命保険の清算人が、太田清蔵元社長(77)と多田正暢副社長(70)を相手取り、違法な迂回融資で会社に損害を与えたとして、総額十億円の損害賠償を求めた訴訟の判決が22日、東京地裁であった。大谷裁判長は「取締役としての注意義務に違反した」と述べ、請求どおり十億円の支払いを命じた。

判決によると、太田元社長らは19901993年、東邦生命からノンバンクを経由して、実質的に破綻していた太田家の資産管理会社に計120億円を融資。少なくとも計約27億円以上が焦げ付いていた。

大谷裁判長は「太田元社長は、旧大蔵省検査で資産管理会社に対する不適切な融資を解消するよう再三指摘されながら、これを放置し、個人的な利益を図るため東邦生命の資金を流用して迂回融資を実行した」と認定。「多田元副社長も意図を知りながら追認した」と指摘した。

東邦生命に関する悪い噂は、破綻する二、三年前から飛び交っており、既に債務超過であるとか、太田清蔵が会社の資産を私物化して自由奔放に融資していたとか、と言われていた。(監督官庁からの正式発表は一切なかったから実際は不明であるが)東邦生命に対する行政指導・行政介入措置が甘かったのではないか。最終段階では太田社長の代表権を外すことに熱心であったようだ。もう少し早めに破綻させていれば、基金からの資金援助はもっと少なくて済んだのではと批判されていた。

その関係について行政側からの実体説明は一切なかったのは極めて残念であるが、東邦生命の破綻原因は、他の破綻会社とは大きく違っていたように思われる。太田社長の個人責任が原因の半分以上を占めていたと私は思う。相互会社の社長はその気になれば、会社の資産を自由に取り仕切ることができるという後進国並の悪しき実例をうち立てた。その意味で会社のガバナンスを確立するのが大切である。

破綻の二、三年前から、大蔵省は会社の内部組織として経営委員委を設置させ、社外から数名の(社外取締役並みの権限を持っていない)有識者を集めて、会社経営の問題をアドバイスさせ、それが会社再生に大きく役立つと宣伝していたが、年に数回程度の開催では形式的な運営であり、太田社長の性格を知っていれば、そんなことでは効き目が無く、糠に釘を打つようなものだと分かっていたはずだ。それが破綻処理を、残念ながら、数年間遅らせることにつながった。しかも監督側の反省の意見は聞かれなかった。

太田社長は、生命保険事業の戦後史において悪い意味で特筆される人物であった。生命保険会社の経営陣に人を得るのは、選考するのは難しく難しいが、彼の場合は社長に就任する前から問題児であることは分かっていたのだ。しかも補佐役にしかるべき人物(太田焦点の番頭役)を得ても、なかなか難しいのに、最後の段階は完全にワンマン経営になっていたと思う。死亡した友人の有光副社長、太田社長と差し違えた有光さんの苦労が偲ばれる。

http://www005.upp.so-net.ne.jp/asatani/kiji0306.htm#kiji030602

 

200412月のWeb記事より

1999年に経営破たんした同社が親族会社への迂回融資で会社に損害を与えたとして太田清蔵元社長に損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は10億円の支払いを命じた一審判決を変更し、元社長の主張を一部認め、68500万円の支払いを命じた。(2004.12)”当然最高裁に控訴しているんだろうけれど、それはどうなったんだろう・・”」



この後の状況は掴めないが、独裁者が経営者になったことによる悲劇。それでも、破綻時において、独裁者と、その取りまきの役員以外の人たちは、保険契約者を想い、とても頑張ったと思っています。

元ライフネット生命社長の出口氏は言っていました。

「相互会社」の利点を活かそうとするとき、誠実な経営であれば、相互会社でも、よかった。

ただし、歴史の中では、そうではない経営、経営者が現れたりすることもありますので、その点では、ガバナンスの利かせることができる「株式会社」に軍配が上がる。

 

生命保険会社、“株式会社化”はあっても、“相互会社化”は無いわけですね!

 

ところで、東邦生命の腐敗は、1985年度末から1989年度末までの僅か4年で総資産を2.8倍に拡大した頃から、太田社長の乱脈経営が一層激化したとのこと。

「経営なき破綻 平成生保危機の真実」 植村信保著より

 

この当時より、自分も東邦生命の若手社員であったわけですが、全く気がつかず!

総資産が右肩上がりで上がることは、単純に凄いと思っていたくらいでした。
会社自体も当時の千代田生命と総資産競争をしていたような・・・

 

また、最近、2008年のリーマンショック(別名AIGショックとも言う)のことも調べているが、当時もサブプライム問題に気づいていなかった。この問題は2006年から顕在化していたわけだが、気づかず!”リーマンショック”があって気がついた始末・・・

 

目の前の仕事で手一杯という状況はいかがなものか!

最近は“働き方改革”の影響もあり、業務負荷が軽減している。いいか悪いかは別にして、もっと広い視野・視点を持てるようにしないと、もっと勉強しないと!頑張れ自分!!

 

ありがとうございました!

m(_ _)m

破綻時本社
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旧本社、歴史的建造物でもあったが、現在は無くなっている
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1964年頃の広告
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いわゆる「優良体保険」の広告
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2019年2月 2日 (土)

三浦綾子著「銃口」を読む!

主人公は終戦の昭和20年時点で28歳になる小学校教師の北森竜太。

素直、誠実だが、世間知らずの竜太が小学生から終戦を迎えるまでの物語。

(昭和最後の1989年(昭和64224日、竜太71歳のエピローグあり)

 

治安維持法違反によって、全国で約300名の現職の公立小学校の教師が検挙された。北海道では1935年(昭和10)に北海道綴方教育連盟が結成されて、道内に生活綴方が広まったが、1940年(昭和1511月から翌年までに55名が検挙された。これを綴方教育事件・北海道綴方教育連盟事件と呼ぶ。

そして、実際に死亡者も出している。

戦前・戦中のきびしい教育統制下、子どもたちを心から愛して、未来に希望をつないだ教師たちがいた。北海道綴方教育連盟事件で、死亡した横山真(まこと)(当時、十勝郡・大津小)もそうした一人。横山は、新婚2カ月目の19401120日、治安維持法違反で検挙され、2年半の長期勾留中、危篤状態におちいり仮出所、小康を得たのもつかの間、431012日、腸結核のために28歳の若さで亡くなった。

おそらく、この横山氏が銃口における北森竜太の恩師坂部先生のモデルと思われる。

 

その物語では、竜太も特高警察により検挙されたが、坂部先生の「どんな時にも絶望しちゃいけない」という言葉に励まされ命を落とすまでには至らなかった。

しかし、それも束の間、太平洋戦争勃発と共に召集令状が届く。北森一等兵として満州に赴く。

 

「金も要らない、地位も要らない。ただ、安らかな生活を営む基礎に人間を導く光を見出す。」

 

死線上を歩くというよりも駆け抜けながら、なんとか生きて帰ることができた。

 

ここで、思い出すのが、

阿川弘之著「山本五十六」における連合艦隊司令長官山本五十六氏1943418日、撃墜されて戦死。享年59歳。

管理職として負けると分かっていた太平洋戦争に参画せざるを得なかった悩みは多かったと思う。

 

そして、百田尚樹著「永遠の0」における宮部久蔵少尉、こちらは物語の中の架空人物になるが、ゼロ戦の名操縦士という設定で、最期は特攻隊となって戦死。中間管理職として、飛行操縦士の教官となって教えるも、その生徒達は次から次へと特攻で戦死する。精神面も病むこととなり、愛する人を残して、自らも特攻に志願して戦死する。

 

それぞれの世代、立場で悩み・苦しむことが多かったと感じた。絶対に“戦争”はよくない!!!

 

最後に三浦綾子氏は、浜口雄幸氏の緊縮財政を批判的に書かれていたのは少し残念であった。当時、戦争に向かってイケイケドンドンの田中義一率いる「政友会」と慎重派で治安維持法にも批判的であった「民政党」があった。その中で、浜口氏は民政党の一人としてがんばっていたのにナ~っと!

当時の国民も批判的であったことは事実であり、更に戦争に否定的でもなかった人たちが多かったわけで、当時の「国民」にも戦争責任の一端はあったのだと思う。

自らも「国民」の一人として気をつけなければならない!!!

 

ありがとうございました~!!

m(_ _)m

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