「道ありき」(三浦綾子著)を読んで!
三浦綾子氏17歳から37歳(昭和14年(1939年)~昭和34年(1958年))までの“心の歴史”を綾子氏45歳から46歳(昭和42年(1967年)から昭和43年(1968年))のときに書かれた本になる。
三浦綾子氏は17歳で小学校の教師になる。そして終戦後の昭和21年に23歳で教師を辞めている。教師生活の中で太平洋戦争が深い影を落としている。これまで信じてきたものが、墨で取り消されることになる。その後、肺結核と脊椎カリエスに罹り13年間におよぶ闘病生活をおくられている。
死を覚悟した時に得たものは、第一に人間は死を恐怖しているが、いざとなると案外簡単に死を肯定するものだ、ということである。そして第二には、案外自分という人間を知らないで生きているものだということであった。
恋人前川正は「ダメダメ。全く綾ちゃんときたら子供と同じで、危なっかしくて見ていられない。菊池寛は、男をほんとうによく知っているのは、芸者だけだと書いていたことがあるけれど、もっと男というものを知らなくちゃ困るんですねえ。ぼくはねえ、形だけは品行方正ですよ。だけど、心の中はそれだけに妄想で渦巻いているんです!」
「綾ちゃん、生きるということは、ぼくたち人間の権利ではなくて、義務なのですよ。義務というのは、読んで字の通り、ただしいつとめなのですよ」
「きけわだつみのこえ」について
学徒出陣で戦死した学生たちの手記である。
大方の若い魂は、戦争を一応批判し、一応は否定していた。しかし彼ら学生は、その否定する戦争に赴いてしまった。徹底的に戦争を批判させるもの、そして否定させるものは、ここにはなかった。体を張ってでも戦争を拒否するという、一筋通った強いものではなかったのだ。私はその時、窮極においては学問さえも甚だ力弱いものであることを感じて、心もとない淋しさを覚えた。
無論、それ故にこの本はいっそう悲痛であり、読む者の胸を打った。いかにもそれは、押し流されて没した若い魂の無念さを思わせたからだ。
わたしはこの本を読んで、単なる平和論では、ほんとうの平和が来ないのを感じた。ほんとうに人間の命を尊いものと知るなら、一人一人の胸の中に、残虐な人間性を否定させる決定的な何かが必要だと、私は思った。それをわたしは、やはり神と呼ぶより仕方がなかった。しかし、その時のわたしには、キリスト教を肯定することができなかった。アメリカにも、イギリスにも、フランスにも、ドイツにもキリスト教があったはずではないか。だがそのキリストの神は、戦争を押しとどめる力にはならなかったではないか。それならば、宗教もまた学問と同様に、何の力もなかったことになるのではないかと、私は絶望を感じた。
日本だけが神のいない国ではなかった。世界が真の神を失っていると私は思い、そのことに気付いていないような教会に対して、不満を感じた。
いかに涙して、この「きけわだつみのこえ」を読んだとしても、戦争はまた繰り返されることだろう。この本を読むまでもなく、日本人の多くが、戦争のために肉親や友人を失い、家も焼け、自分自身の運命も大きく変わってしまったはずである。国民の多くが、多かれ少なかれ戦争の犠牲者であった。わたしたち結核患者も、戦争中の食糧不足が祟って、発病しなくてもいい者までが発病し、長く臥ているではないか。
しかし、わたしたちは、つきつめて戦争を起こした者はだれか、再び戦争はすまいなどと考えてはいないのだ。なんと人間はお人好しで、鈍感なおのだろう。これがもし、個人に殺されたり、個人に家を焼かれたなら、決して相手を許そうとしないことだろう。だが、わたしたちは、
「戦争はごめんだ。ひどい目にあった」などと、口では言っていても、心の底からの激しい憤りを持ってはいない。
わたしは、この自分の中にある鈍感さと、いい加減さに気づいて恐ろしくなった。
平和という問題は、まず一人一人の胸の中に、平和への真の願いが燃えなければ、どうしもしようのない問題であることを感じた。「きけわだつみのこえ」の学生たちが、若く清潔であればあるほど、私は戦争否定のために、どうしても必要な、神のことを考えずにはいられなかった。ともあれ、この本を読んだことは、私の信仰への生活に、大きな刺激となったことは確かである。
北海道拓殖銀行について
三浦綾子氏行きつけの銀行であった。その理由は、
大きな北大病院で診断を受けるためのお金のために、衣料問屋へ行って、男物の靴下や、女物のソックスなどを仕入れ、療養所や街の一軒一軒に売り歩いた。十軒歩いて一軒買ってくれればいいほうである。それで、友人の勤めている北海道拓殖銀行に売りに行った。笹井郁という友人は、いとも気軽に、
「ちょっと待っててね。わたし、みんなに売ってくるから。あんたはここに休んでいるといいわ」
と言って、同僚の間を売り歩き、またたく間に全部売り切ってくれた。この時のありがたかったことを、わたしは今も忘れられない。いま、私の行きつけの銀行が、ここである所以である。
いい企業風土が感じられますネ。
そんな北海道拓殖銀行は、平成9(1997)年11月に業務破綻。都市銀行としては戦後初の破綻銀行となっている。その後、北洋銀行、三井住友信託銀行へ事業譲渡。
バブル経済期に地場でのリゾート開発や、本拠地外である東京での法人融資を拡大し、不良債権が増加し、山一、長銀など大手金融機関の破綻が相次いだ時期に同じく破綻。
なぜ、よかった企業風土が失われていくのか・・・・人が戦争を繰り返すのと同じように思う。
西村久蔵先生(1898年~1853年)について
小樽の高商(いまの小樽商大)を出て、札幌商業学校の教師をしておられた。実は牧師になりたかったのだが、小野村林蔵牧師(三浦綾子氏の洗礼をした牧師)がそれを思いとどまらせた。西村先生の家庭の経済状態から察して、長男である先生が牧師になるということは、小野村牧師にとっては、余りに痛々しいことと思われたにちがいない。日本における牧師という仕事は、労が多く、しかも物質的にはまことに恵まれない仕事なのである。昭和40年代のいまでさえ、食うや食わずの牧師が何人もいる世の中だ。まして昭和10年頃の牧師の生活は、即ち貧窮を意味していた。
しかし西村先生は、牧師になりたいと願ったその初一念を、信者としての生活の中で貫き通した稀にみる信者である。先生が札幌商業学校の教師時代、その教え子が危篤になった。見舞いに行った先生は、病室をでて廊下で泣いた。
(おれは毎日、あの生徒に英語を教えてきた。しかし、その子にとって最も大事な「生きる力」を何ひとつ教えていなかった。いまあの子が、一番必要なものをおれは与えることはできないのだ)
そう思って先生は泣いた。その生徒は死んだ。それ以来先生は、毎朝始業前1時間、生徒の有志に聖書の講義を始めたのである。その講義を受け、幾人もの生徒が洗礼を受けクリスチャンになった。その中には後に出てくる菅原豊という立派なクリスチャン(結核で痩せておられたが「いちじく」というキリスト誌を自分で編集した。この「いちじく」には、全国の療養者や、死刑囚、そして牧師、伝道師の方が感想文や便りを寄せていた。三浦光世氏の手紙が「いちじく」に掲載されたことが、三浦綾子氏と知り合うきっかけにもなっている)も生まれている。
先生は召集されて戦争に行ったが、その後を追って、岡藤という親友が中国に渡った。それは同じクリスチャンの友人だった。
「西村、お前は心ならずも軍刀を腰に下げて戦争に行かなければならない。おれはその罪滅ぼしに、中国人を愛するために行くのだ」
彼はそう言って、北京で学校の先生をしたという。
先生は家庭の事情で教師を辞めて菓子屋(西村食品工業:残念ながら現在は経営破綻して無くなっている)を開店したが、その利潤の3分の1は人のために、その3分の1は運転資金に、そして残りの3分の1は生活に使われたということを聞いた。この西村先生の影響は、毛穴から浸透するように、私の心に大きく作用している。
三浦綾子氏著書の「ひつじが丘」における主人公奈緒美の両親である牧師夫妻は西村先生ご夫妻をイメージされている。また、1986年、三浦綾子氏64歳のときに「愛の鬼才 西村久蔵の歩んだ道」も著されている。
ほんとうに人を愛するということは、その人が一人でいても、生きていけるようにしてあげることだと思った。
私のような者でも、人を喜ばせ、慰め、何かの役に立つことができるのだ。この思いが、私の生きている支えとなった。わたしはここで、人を慰めることは自分を慰めることであり、人を励ますことは、自分を励ますことであるという平凡な事実を、身をもって知ったのである。
「われは道なり、真理(まこと)なり、生命(いのち)なり」 イエスキリスト
新約聖書 ヨハネ伝福音書第14章6節
平凡なことを平凡に詠ひつつ学びしは真実に生きるといふこと
よかったです!ありがとうございました~!!
m(_ _)m
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