「半藤一利と宮崎駿の腰ぬけ愛国談義」を読んで、東野圭吾氏原作「祈りの幕が下りる時」で、本庁捜査一課から日本橋署へ新参者として配属となった阿部寛演じる“加賀恭一郎”。彼は人の心を読む達人でありながら、自らを「徹底的なマザコン」と称した。半藤さん、宮崎さんもそう!まあ母親思いですネ!!
2013年の宮崎駿監督の「風立ちぬ」の公開を期に実現した、半藤一利氏と宮崎駿氏との対談集になる。
当時、宮崎駿氏72歳、半藤氏83歳。
今は「風立ちぬ」から早8年。
宮崎駿氏は吉野源三郎著「君たちはどう生きるか」を原作とした映画を製作中。きっと半藤氏に観てもらいたかったと思うのですが、今年、残念ながら半藤氏は逝去されて間に合わず。
完成したら是非観たいと思っています!
さて、このお二方がなぜ「マザコン(母親思い)」かと言えば、本書に書かれていた下記から感じ取りました!
きっと間違いない!
自分自身もそうだと思うし、悪口ではありませんので。念のため!
半藤:私の母の話を少しいたしますね。何かモノを書くときは、どうしても父親のほうが書きやすい。母親のことを書いたりしゃべったりするのは、どうも、なんというのか、照れのようなものがあるんでしょうかねえ。じつを言うと人間的には父親より母親のほうがはるかに偉いんです。あの人は、当時としては時代の先端をゆく良き明治人だったですね。
とにかく職業をもとうと、浜田病院で学んで名産婆になったんです。自宅の一角を診察室に改造して助産院を開きまして、ずいぶんたくさんの赤ちゃんを取り上げています。いまでも向島辺りに行くと、「半藤さんのお母さんに取り上げられました」と言う人に、何人か出くわしますからね。かっての赤ちゃんたちはみんな大きくなって、戦後を生き抜いてもう老人になっていますけど(笑)。
ところが母は、自分の子どもを三人死なせているんです。私の弟二人、妹一人、いずれも赤ん坊のときに風邪をひいて、それをこじらせてしまって肺炎で。
産婆さんというのは困ったことに、夜中に出かけていくことが多いんです。潮の満ち引きの関係なのかどうか知りませんが、妊婦さんの多くが夜中に産気づく。よく真夜中に、コンコンと玄関の戸を叩く音がしたのを私も覚えていますよ。「すいません、生れそうなんです」と言われて母親は出て行っちゃうんです。親父は大酒のみですから、夜はまず例外なくベロベロに酔っぱらってイビキをかいている。だから子どもたちが掛蒲団をはいで素っ裸で寝ていても全然気がつかないんですね。もちろん遊び疲れて寝ているチビの私も気づきません。で、私の弟・妹・弟と三人が、生れるたびに死んじゃったんですよ。いちばん下の弟が死んだときには、さすがに親父が怒った。「おまえが産婆の仕事をやっているからうちの子どもがみんな死んじゃうんだ。人の子を助けて、てめえの子を殺す馬鹿親がどこにいるっ!」と怒鳴りましたね。
おふくろも負けずに「大きな口をきくな、酔っぱらってひっくり返っていたのは誰だ!」なんて言い返すものだから、ものすごい夫婦喧嘩でした。でも母は、そのあとぷっつり産婆をやめてしまいました。
聞くところによると、宮崎さんのお母さんは病気でずいぶん長いこと床に臥せっておられたようですね。
宮崎:ぼくの母親はカリエスを患いましてね。
半藤:正岡子規も罹ったカリエスですね。あの病気は痛みが酷いのですってね。
宮崎:ぼくが小学校三年生ぐらいのときに腰が痛くなって、入退院をくりかえしました。ストレプトマイシンを闇市に親父が買いに行っていたこと、それからパスという飲み薬があって、それを1回分ずつ秤で量って小分けしていたこと、そういうことを覚えています。母親はぼくが小学校時代には起きることができず、中学校のときも無理で、起き上がって家の中を歩くようになったのは、高校時代の終わりごろじゃないかと思います。長患いでした。でも子規の時代と違って、もうストレプトマイシンが出回るようになっていたので、うちのおふくろはなんとか助かったんです。立って歩けるようになりまして、電車に乗って出掛けるとか、そういうこともできるようになりました。
半藤:ああ、よかったですね。でも、そうすると少年時代の記憶にあるお母さんは、ほとんど寝ていらっしゃる。
宮崎:そうですね。ぼくが小学校三年生のときから、人型のギブスを敷いてその上に寝ている。ずーっと母親はそうでした。でも寝ている母親といろいろ話をしました。それこそ「文藝春秋」を読んでいるような母親でしたから。文化人は戦後になったとたん、それまでと言う事がコロッと変わったと言って怒っていたのを覚えています。そうそう、ぼくが生まれたときの話もしてくれました。ぼくがお腹のなかにいるときに、この子は将来外交官にしたい、と思って、母は難しい本なんかを一生懸命読んで胎教にいそしんだのですって。臨月近くになったある日、父親が、映画に行こうと言いだして、二人で観に行った映画があろうことか『フランケンシュタイン』。それが、「もう怖くて怖くて、震えあがって、それでおまえが生まれたんだよ」と言っていました。胎教計画がオジャンになってぼくが生まれたんです(笑)
半藤:ハハハ。でもいろんな話が聞けたことはよかったですね。ご病気が長かったりすると、現代風にいう母と子のスキンシップというか、そういうものがあんまりなかったわけですか。
宮崎:ぼくは母親が病気になる前から、ちょっとへんな子だったみたいです。「おぶさったことがない子だった」と言われました。ずーっと虚弱で、しょっちゅう腹が痛くなっていました。でもおんぶ紐を出すと「ごめんなさい」と言って泣いて逃げたって言うんです。それからこれはよくあることかもしれませんが、新しいものを着せようとすると、とても嫌がったらしい。これだけはいまも全く変わりませんけれど(笑)。
両親とも死んでしまったんでいまさら聞くわけにもいかないですが、4人兄弟のうちぼくだけがそういう具合にちょっとへんだったみたいです。ぼくがもの心ついた頃は、両親がもしかしたら、あまりうまくいっていなかった時期だったんじゃないかなあと思ったりもします。
半藤:幼い頃はきっと愛情に飢えていたんですよ。
宮崎:農文協(農村漁村文化協会)から出ている本で、おぶい方を研究した本というのがありまして、かっては母親の素肌に赤ちゃんをくっつけて、おぶうという方法があったのですって。その上から着物をおぶうというやり方が。こんなふうに抱かれると赤ちゃんは情緒的に安定するんでしょうね。
半藤:私も、じつはおんぶをしてもらった記憶があない。母親は助産師の仕事で一生懸命の時代の長男でしたから、まずは放ったらかし、ずいぶんキツイ母親だなという印象が強いんです。
宮崎:そういえばぼくの母も気の強い女だったな。そんなわけでカリエスは治りましたが、亡くなったのはまだ71歳でしたから、もう少し生きて欲しかったと思いました。最後の4、5年はリウマチで動けなくなって、とことん父親に面倒をみさせましたね。
「まったく男4人も揃って情けない」と嫁さんたちから全員がバカにされました。父親は女遊びをいっぱいやったようなので、その罪滅ぼしのつもりだったのか「いいよ、婆さんがそう言うなら」って、自宅介護を続けていました。最後は入院しましたが、親父はまめに病院に通って母の面倒をみました。
半藤:私のところはまったく逆で、兄弟4人揃って「頼むから早く逝ってくれ」と(笑)私の母親は百歳まで生きちゃったんですよ。私は母に会うたびに「頼むから早く逝ってくれ。じゃないとオレのほうが先に死んじまうよ」とよく言ったもんです。「俺は親不孝もんだが、親に先立つ不孝者はないと昔から言うじゃないか。これ以上親不孝はしたくないから、早く逝ってくれ」って頭を下げて頼んだのですがね、ダメだって聞かないんですよ。「私は百まで生きるって決めたんだ」と言い張って、どんどん元気になっていきまして、結局言葉通り百歳まで生きました。小泉純一郎が総理大臣の時代でしたが、百歳の記念に金杯と賞状をもらいました。それで百歳の写真を撮った翌日から、「もうやめた」と言って、物をあんまり食わなくなったんです。私も「食ったほうがいいよ」なんて言わなかったです。「生きるのはもうやめたよ」なんですから。それで百歳と3ヶ月で死にました。
宮崎:自分から物を食べなくなって亡くなるというのは、いいですね。
半藤:ですから最期は老衰死です。
宮崎:立派なお母さんですね。
半藤:自分で言うのもなんですが、終始一貫、男勝りの奮闘をして立派な死に方をしてくれたので、母親というのはどうも書きづらくてしようがない。今日は珍しく話しちまいましたがね。
なんとなく、ほのぼのと癒される会話だな、と思いました。
ありがとうございました!!
m(_ _)m
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