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2021年12月27日 (月)

ベストセラー『嫌われる勇気』の岸見一郎先生62歳のときの著書『老いる勇気』を読みました~!自分も間もなく58歳・・・還暦へカウントダウン・・・とても共感できました!ありがとうございました!!

 

とてもよかったです!

 

若い頃の勉強は、競争にさらされたり、結果を出すことが求められたりします。

しかし、この歳になると評価や評判を気にすることなく、学ぶことの喜びを純粋に味わうことができます。

これは老いの特権といえるでしょう。

 

上ではなく「前」を目指す。

 

「でも」が口癖になっていませんか。

試しに、今日の「でも」を数えてみてください。そして、どんなことに「でも」と言っているのかを考えてみましょう。

「でも」が多いと気づいたら、「でも」といいそうになった時に、その言葉をぐっと飲みこんでみる。

そして、とにかくやってみる。思いがけずできるものです。

 

今の自分にできることを活かし、自分がどんな状態であっても、そこにいるだけで、生きているだけで他者に貢献できる。

「働かざる者、食うべからず」ではなく、働ける人が、働けるときに働く。何もできなくても、それを「申し訳ない」と思う必要はありません。これが社会の健全なあり方であり、働かない人を責めず、働ける人は働く、これが健全な社会の縮図だと思います。

 

たとえどこかに到達しなかったとしても、そのプロセスの一瞬一瞬が完全であり、完成されたものである。「なしつつある」ことがすべて、そのまま「なした」ことになる動き。これがアリストテレスのいう「エネルゲイア」です。エネルゲイアは、喩えるならダンスのような動きです。ダンスは、踊っている一瞬一瞬が楽しいのであって、踊り切らなければ楽しめないというわけでも、どこかに到達するために踊っているわけでもありません。

人生も、生きている「今、ここ」がそれ自体で完成されたエネルゲイアです。そういう生き方が出来れば、老い先の短さを憂い、暗澹たる気持ちになることはないのです。

「今、ここ」で自分にできること、しなければならないことだけを考えて生きれば、いつまでも若々しい心で、悠々と生きることができます。

哲学者の森有正も「あわててはいけない。リールケの言ったように先に無限の時間があると考えて、落ち着いていなければいけない。それだけがよい質の仕事を生み出すからである」

プラトンは、「死を恐れるということは、知らないことをしっていると思うことだ」としいうソクラテスの言葉を伝えています。(ソクラテスの弁明)

死の間際まで書き続ける。そんな生き方が理想だと、瀬戸内寂聴さんも語っておられました。最期まで自分にできる何かを全力を尽くし、その最中に、ふと人生が終わるというのは、確かに一つの理想かもしれません。

どういう死を迎えるかは、つまり今をどう生きるかにかかっているのです。

 

すべての悩みは対人関係の悩みである。そして、人間関係の中でした喜びは生まれない。

もしも人が一人で生き、問題に一人で対処しようとすれば、滅びてしまうだろう。

単独では生物学的に弱いというだけでなく、他者とのつながりなくしては、“人間”としての生をまっとうできないということです。

人間は他者とのつながりの中で生きています。他者とのつながりを離れた幸せはないということです。

 

<大人であるための三つの条件>

①自分の価値を自分で認められること。自分の存在価値は、他者からの評価に関係なく、自分で認め、価値があると考えること

②自分が決めなければならないことを、自分で決められること

③自己中心性からの脱却。私たちは皆、共同体に一部ではありますが、共同体の中心にいるわけではありません。

 

哲学者 鶴見俊輔氏の言葉

「もうろくを通して、心にとどまるものを信頼する。もうろくは濾過機」

人間は晩年の「今、ここ」を生きるために、様々な記憶を捨て、本当に大事なものだけを残そうとしているのかもしれません。

「今ここにいる。ほかに何をのぞもうか」

哲学者の鷲田清一氏は「何をするわけではないが、じっとそばにいるということがもつ力を評価する」

ただ一緒にいるだけでもいい。

人の価値を生産性で考えないこと。

 

哲学者の三木清氏は「人は誰かを幸福にしたり、誰かに幸福にしてもらったりすることはできません。家族の幸福を思うなら、まずは自分が幸福であること

人は幸福に「なる」のではありません。

存在していること、生きていること自体が幸福であり、成功とは関係なく、すでに人は幸福で「ある」のです。

 

「人生の意味は、貢献、他者への関心、協力である」

 

幸せな老年を望むのであれば、まずは毎日を機嫌よく迎え、機嫌よく過ごすことです。

幸福は、「丁寧である」「親切である」という形でも現れる

 

ものの見方や感じ方は人それぞれです。

互いの思いや考えは言葉にして伝えなければ分かり合えないということを知る必要があります。

 

いかに歳を重ね、研鑽を重ねても、わからないことはまだまだあるということを知り、自分と真摯に向き合い続けること、考え続けることが“哲学する”ということです。

プラトンは「哲学は50歳から」といっています。

哲学するには、長く生きて身につけてきた知恵と経験が必要です。

哲学とは、「知を愛する」と言う意味です。

哲学者は「愛知者」であって、「知者」ではありません。

 

これまでの人生の中で多くの人から受けてきたものを、私たちは自分の子どもに、次代を担う若い人たちに、あるいは社会に返していくしかないのです。

 

それぞれが自分の生を力強く生きる。

力強くというのは人生に向き合う姿勢のことです。人はどんな状況にあっても力強く生きることができます。

 

 

ありがとうございました~!!!

m(_ _)m

 

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