城山三郎氏の絶版本、ミスター日本興行銀行の中山素平氏のことを書いた「運を天に任すなんて 素描・中山素平」をブックオフでゲット~!早速読んでみました~!
中山 素平(1906年(明治39年)3月5日 - 2005年(平成17年)11月19日)
日本興業銀行(現:みずほフィナンシャルグループ)頭取、同会長、経済同友会発足に携わり代表幹事を務める、海外技術協力事業団(現:国際協力機構)会長等を歴任。
2005年(平成17年)11月19日午後5時45分、肺炎による心不全のため、都内の榊原記念病院で逝去。享年99歳。
「財界の鞍馬天狗」の異名を持つ。
海運再編成、日産プリンスの合併、証券恐慌の際の日銀特融問題、新日鉄の合併というふうに、経済界に危急存亡が伝えられると、かならず姿をあらわして問題を解決する。その間の動きが迅速果敢、神出鬼没、さらに問題を解決したあと、後も振り返らずに立ち去ってゆく姿は、いよいよもって鞍馬天狗を彷彿させたためである。
一方、部下からは「そっぺいさん」と呼ばれ慕われた。
とても風通しのよい企業風土を築いた。
叙勲に関して、「人の値打ちを役所に決めてもらうのはたまらん」と終生断り続けた。
「頭取の仕事は人事と経理。あとは面倒な会社の処理だ」と、中山は言う。「ふつうの仕事は何もする必要はない」と言い切るほど、人事と経理、その二つを重視する。
頭取は、一番頭取になりたがっていない人物を選ぶ。
中山氏はもともとヘビースモーカー
「酒も飲むし、芸者さんの来る宴会にもでるけれども、やはりひとつの限度がある。だから、ある意味じゃ、つまらんということになるが、宴席でつまらん顔してる中山を見たことがない、というのも定説である。
住まいは逗子。(城山氏と同じですネ)
山あり海ありで、気候は温和。隣の鎌倉と違い、歴史こそないが、その代わり明るくて風通しもよく、暮らしやすく、子育てにもよい街であった。
夏と冬、中山は10日間ずつ箱根に、ほとんど一人で滞在する。たまっていた人疲れを、そうして一挙に解消しようとする姿にも見える。
主流の仕事でなく、日の当らぬ不本意なポストに回されたとき、どう生きるか。
どこへ行けといわれても、「ノー」と言わず、与えられたところで何かを身につけていくのがボクの生き方だったから、いっこうに平気だった。
地位に対しても綿々とした未練を持たない。
「自分はしょせんサラリーマン。サラリーマンを辞めて自分に何ができるのか」
「おでん酒、すでに左遷の 地を愛す」
「熱燗や あえて職場の 苦はいわず」
ミスター日本興業銀行と言ってもよいと思うが、現在、日本興業銀行の名前は残っていない。
つまり、大変な時期もあった。
まず、1991年、大阪の料亭の女将に興銀がピーク時には二千億円を超えるという巨額の貸し込み、回収不能となった、いわゆる、尾上縫事件。
大量の興銀債を買ってくれる客を失うまいとしたのが発端だが、それにしても、「調査・審査の興銀」がどうしたのかと、世間は驚いた。もちろん、中山は怒り
「連中はいったい、どこに目を付けているのか、節穴じゃないか」
と。その発言は、新聞にも載った。中山氏85歳。
背景としては、産業構造が変わり、かつての興銀取引先の資金需要が頭打ちになり、新しい業種へ進出せざるを得ないという事情もあった。
興銀は長い間、融資先に困らぬ銀行であった。あるOBは言う。
「うちは産業金融の鎮守の杜(多くの神社を囲むようにして存在した森林)だった。金貸してほしい、興銀のお墨付きが欲しいと、次から次へと参上し、参拝しに来る感じで、中には一日中、興銀を離れない人もいた」
それが一転して、取引先を探さねばならなくなった。大口相手だけでなく、小口客相手という不慣れな商売もはじめねばならない。
このため、大量の興銀債を買ってくれる客をのがしたくない、と言う焦りで、自慢の審査の目が曇った。
その上、興銀内の、いわば「家庭の事情」として、興銀大阪支店長が常務であるため、本店審査部の腰が引けた、ともいう。
「風通しのよさ」という興銀らしさも失われていた。
「頭が痛いだけじゃなく、興銀のイメージをすっかりおとした」と、中山は嘆く。
さらに1996年には、いわゆる住専問題で、興銀の子会社と言われる日本ハウジングローンが19億円に上る不良貸付を行ったとして、同社の河原昇前社長が、特別背任の疑いで逮捕された。
背任か、特別背任かの議論はあるようだが、これまた「調査・審査の興銀」にとっては、大きな汚点となった。
※本書では19億円の不良債権とあるが、実態は1兆円を超えていたと言われている
これについては、もともと理論家肌で気の強い河原前社長が、当時の頭取より入行年次も二年上であったという、これまた「家庭の事情」を指摘する声も。
いずれにせよ、「筋を通す」というのが興銀の伝統であり、「風通しのよさ」や、「格式ばらぬ」ことが行風であったはずなのに、意外な事態になっている。そのため、
「中山さんがいるのに、どうしたのですか」との声もでる。
かつて、わたしは中山が思い出したようにつぶやくのを、耳にしている。
「うちでも、ぼくが頭取を辞めたとたんに、ころっと態度を変える男がいてね」
その時点からは、実に30年経っている。
さらに、中山自身、会長を退くころから、意識して日常業務から遠ざかっていた。
そのせいとはいえ、「相談役」さらに「特別顧問」というのに、一連の問題について相談がなかった。
「きれいに辞め過ぎたのではないか」と聴くと、とたんに中山は言い返した。
「それは、あなた、逆でね。辞めて口出す方が悪いわけなんだから」
ここが、難しいところである。そういう中山の気持ちがわかれば、周りはできるだけ相談を控えることになる。
それでいて、中山には経営の根幹というか、本質にかかわることぐらいは・・・との思いも残るであろう。
中山はつぶやく。
「いままでぼくが何も口出さんと言うものだから、正宗以下、もう一切相談しませんでした。そのへんに若干・・・」
中山の後を継いだ正宗は頭取在任7年で会長に退き、後任には池浦を選んだ。
「頭取を目指す」と若いころから言っていたという池浦は、覇気も行動力もあって、敗戦後は中山をトップとする再建チームのメンバーとして、興銀存続のため運動、役員になるころからは、それまで興銀が不得手であった海外業務を大きく伸ばし、とくに中国への進出は早かった。
このころまでの池浦について、中山は当時、わたしにこんなふうに語っていた。
「池浦君ね、彼はゴルフしないのですよ。若い時分から朝4時ごろ起きる。大変な読書家なんです。僕が「君なんかゴルフした方がいいよ」と言うと、土曜日曜は寝だめしていると言うんでうよね。頭取とか社長というのは激職ですからね」
その池浦の頭取在任は9年に及んだが、会長になってからも代表権は放さず、常務会を主宰し続けた。
中山は言う。
「非常にできる男なんだが、ある意味でワンマン経営者的素質を持っている。ぼくら、会長、相談役のとき、全然口をださないが、いろいろ聞いてみると、彼の意見について来ないと、排除するとか。ぼくらがつくった行風とは、基本的にかなり違ったものが出てきた」
その後も興銀はひたすら拡張路線を走り続けて今日に。その上、池浦夫人の事業がらみの暗い話までマスコミに出た。
池浦以前と以後で、興銀が変わったのか。それとも、絶対権力を握る前と後で、池浦の人柄そのものが変わった、ということか。
権力志向の芽を見抜くことは難しく、なりたくない者をトップにと言うのが、中山の目安であったが、それとて必ずしも完全な決め手となるわけではなし・・・
「経営者の人物や力量、企業の実態や競争力などをよく見極めたうえで融資するのが、興銀の伝統なのに、地価や景気の上昇を当てにしたのでは・・・」
と中山は嘆く。運を天に任せてしまったのではないか、との嘆きでもある。
「初心を守れ。他へ手を出すことは、絶対にまかりならん」という中山の持論が空しく響く・・・
中山氏は99歳まで生きられたが、
「長寿者や傑出人の一つの大きな特徴は、もちろん遺伝子があり、社会環境もありますが、それを含めて「運がイイ」ことですよ。たいへん乱暴で非科学的ですけれども、運の良さというのも一つの能力だと感ずるようになってきましたと、中山氏の担当医師の弁。
また、中根千枝氏が中山氏のことをいわく。
「無私無欲の人」とする世間の評判に対し、
「無私ではなく、欲もある。しかし、自分中心ではない」といい、
人を見るには“虚心坦懐”でなければならぬと心がけている点に、中根は注目。
中山が老人惚けしないのは、自己中心的でないせい、と説く。
また、卑しいことを最も嫌う中山が、人を説得するに当たっては、相手の性格をよく観察・分析した上で、政治力など使わず、しつっこく理詰めで責める点を、中根は評価する。
【参考情報】
1950年4月 - 川北禎一が日本興業銀行初代頭取に就任
1961年11月 - 中山素平、55歳で第2代頭取に就任
1968年5月 - 正宗猪早夫が第3代頭取に就任
1968年(昭和43年)会長に就任。2年後には相談役となり、1984年から特別顧問
1975年5月 - 池浦喜三郎が第4代頭取に就任
1984年6月 - 中村金夫が第5代頭取に就任
1990年6月 - 黒澤洋が第6代頭取に就任
1996年6月 - 西村正雄が第7代頭取に就任
2002年 4 月 - 日本興行銀行、第一勧業銀行、富士銀行が合併して世界最大の預金量を誇る「みずほ銀行」が誕生し、日本興業銀行としての歴史を終える
【虚心坦懐】
心になんのわだかまりもなく、気持ちがさっぱりしていること。心にわだかまりがなく、平静に事に望むこと。また、そうしたさま。▽「虚心」は心に先入観やわだかまりがなく、ありのままを素直に受け入れることのできる心の状態。「坦懐」はわだかまりがなく、さっぱりとした心。平静な心境。
ありがとうございました!!
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