賛否が分かれる、「今太閤」、「天才」と言われた“田中角栄”について、石原慎太郎氏の2016年の著書『天才』をブックオフで廉価にゲット、読んでみた!
やはり本を読んでみても、いろいろと調べてみても、頭はよくて実行力に優れているとは思いましたが、お金に対する考え方(政治にはお金がかかるとは思いますが、お金を使って人を動かそうとするところ)は好きになれませんでしたネ・・・
本書より、
戦時中は軍隊の兵営内酒保勤務をしていた。
酒保の備蓄の食糧の管理は杜撰なもので、兵隊たちはそれをよく知っていて夜半闇にまぎれて食べ物や酒を盗みにやってくる。
張り番をしているが、誰何(すいか)して銃剣を突き付けてはみせるが、大方は見逃していた。
そんなことで仲間内ではいい人間関係が出来てもいった。
つまり人の世の中での賄賂なるものの効用の原理を悟らされたということだ。
田中角栄。彼は自らの政治哲学についてこう語っていた。
「世の中は白と黒ばかりではない。敵と味方ばかりでもない。真ん中にグレーゾーンがあり、そこが一番広い。天下というものは、このグレーゾーンを身につけなければ決して取れないのだ」
「清濁」を併せ呑む人柄で幅広い年代から愛された角栄。
当時、角栄の口癖だった「まぁそのぉ」をダミ声でモノマネする人が日本中にたくさんいました。
それだけ親近感を感じさせてくれる総理大臣はそうそういないだろう。
1965(昭和40)年、高度成長が一服し、未曾有の不況に襲われたとき、田中角栄は大蔵大臣にあった。
4大証券の一角、山一證券が経営不振に陥ったときに、無担保・無制限の日銀特融を実施し山一證券を蘇らせた。さらに、5年後には特融も完済できた。
一方で、この時は救われましたが、その32年後の1997年、日本4大証券の一角を担っていた山一證券は自主廃業となり、今は3大証券となっている。
皆が悪いわけではなく、大半はイイ人ばかりと思いますが、どこかに腐った種を残していたのかもしれません。
結果として、無担保・無制限の日銀特融は、延命措置にしかならなかったと思います。
1972年6月、日本列島改造論を発表
「日本列島改造論」の大きな特徴は、日本列島を新幹線や高速道路、本州四国連絡橋などでつなぐという計画。より具体的には、
①太平洋ベルト地帯に集中しすぎた工業の地方分散、
②都市改造と新地方都市の整備、
③高速道路・新幹線などの全国的な総合ネットワークの整備の3点が柱でした。
当時、まだ新幹線は東京―岡山間しか開通していません。高速道路もまだ東名高速道路などがあっただけです。
そこで角栄は新幹線9000キロ、幹線道路10,000キロという遠大な計画をぶち上げました。
北は北海道の稚内から、南は九州の鹿児島まで、日本の各地に新幹線を建設。
つまり、在来線の多くを新幹線に置き換えてしまおうということです。
従来は、東京と大阪、名古屋といった人口が多い地域を新幹線で結ぼうという発想でした。
角栄はむしろ人口の少ない地域に新幹線を通して、その駅を拠点に地域を発展させるという発想の転換を行ったのです。
その結果できたのが、上越新幹線や東北新幹線。フェリーや連絡船で移動するしかなく不便だった四国には、本州と結ばれた橋(本州四国連絡橋)が作られました。
さらに、日本全国を情報通信のネットワークで結ぶという構想もありました。
もちろん、当時はまだインターネットなんてありません。
そんな時代に、情報通信のネットワークができれば教育や医療も都市と地方の格差がなくなるということが構想されていたのです。
また、角栄は全国で多くのテレビ局の開設を許可しました。
今でこそ、多くの県で民放テレビのチャンネルは4つ以上ありますが、この当時はNHKのほかに民放テレビが1つか2つしかないという県が多かった。
こうした点でも、東京と地方の情報格差を改善しようという動きがあったようです。
「日本列島改造論」の政策の多くは鉄道や道路を作るというもので、建設業界と深い関わりがありました。
角栄は建設業界への影響力が強く、政策を実現することで多額の献金を受けていたという側面があった。
また、新潟と東京を結ぶ上越新幹線の建設も、角栄の地元への利益誘導という面があったことは否めません。
果たして、費用対効果を考えていたのだろうか。
現代に至っては、新型コロナによる影響もあり、在宅勤務も多くなる中で、全てが実行されなくてよかったと思います。
一方、今もリニア新幹線が進められていますが、ホントに必要なのでしょうか。とても疑問です・・・
1972年7月、内閣総理大臣に就任
1972年9月、日中国交正常化
1973年10月、日ソ共同声明(最初の日ソ共同宣言は1955年で、この時に国交正常化をしており、1973年は、さらなる両国関係の一層の発展に努力する旨の決意を表明した)
石原慎太郎氏は、本書の中で、
田中角栄の金権主義を最初に批判し真っ向から弓を引いた人間だった。
→これは、間違っていないと思いました。
そして、本書執筆時には、ロッキード事件において、田中角栄は無実であった(はめられた)と言って、褒める側に転じています。
本当に無実であったのかは、今となっては闇の中となりますが、果たして火のないところに煙は立たないのだろうかと思います。
また、田中角栄の金権政治を文藝春秋で暴いた立花隆氏は、後年になって、
「私も年をとり、歴史を勉強して、あの人はなかなかの人だったなあという気がします」と言われています。
これは、「日中国交正常化」、「日ソ共同声明」に関しては、なかなかだったのだと思います。
ここに関しては、賛同する議員、国民も多かったと思います。
あとは、社会保障制度を学んできた者としては、今の社会保障制度の財政難を招くことになったトリガーを引いたのは、田中角栄であったと思っています。
1973年に田中角栄は「福祉元年」として、バラマキを始め、社会保険料を利用してグリーンピア、サンピアといった巨大保障施設を建設。今はすべて現存していません。
福祉向上を考えることはよいと思いますが、将来の少子高齢化に備えるべき収入保険料を使い過ぎたとと思います。
この次は、田中角栄の参謀(懐刀)と言われますが、共感を覚える後藤田正晴氏の本を読み始めましたヨ!
ありがとうございました~!!!
m(_ _)m
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