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2022年4月 2日 (土)

後藤田正晴氏存命中(平成5年)に書かれた「定本 後藤田正晴 異色官僚政治家の軌跡」 著者 保坂正康氏 を読んで。今太閤と言われた田中角栄氏は、どうしても金権政治の部分があって好きになれませんが、その真田幸村と言われた後藤田正晴氏は共感できました!!

 

後藤田正晴氏(T3/191489– H17/2005919日 享年91歳)は、日本の警察官僚、政治家。酒、煙草共に嗜み、煙草は180本吸われていました。

 

最初に単行本で出版されたときは“定本”が付いていませんでした。

後藤田さんご自身も認めた本として、その後、文庫化されていく中で、“定本”が付いたようですネ!

 

「定本」とは、古典などで、語句や内容などのちがいのある本を比較検討するなど、十分な校訂がなされて,本文が整っている本。著者が訂正・加筆した決定版。底本

 

後藤田正晴氏は、人生の前半戦においては、警察官僚として警察庁長官のトップまで登り詰めて、昭和47/19726月、57歳で定年を迎えられました。

その後、田中角栄内閣の官房副長官を務めたあと、昭和51/197612月、62歳で衆議院議員となるまでは、地元徳島で地盤固めをされました。

 

政治家としての黄金期は、中曾根内閣時代の官房長官時代になると思います。

後藤田正晴氏、68歳から73歳(昭和57/198211月~昭和62/198711月)の5年間

中曽根内閣: 1982年(昭和57年)1127 - 1987年(昭和62年)116

 

この5年間のポイントとして、失業率は低く、物価も安定していたが、バブル経済への原因が埋め込まれたのもこの5年間と言えるような気がしています。

 

1985年(昭和60年)227日、田中角栄氏、脳梗塞で倒れる(政治生命が絶たれました)

1985年(昭和60年)922日、プラザ合意、ドル高を引き下げる(円高への)協調合意

→プラザ合意後、僅か2ヶ月程で、その年の12月末には、1ドル242円が1ドル200円まで円高へ是正ができたが、日本としては、円高不況と言われた年になる

その反動として、日銀は公定歩合を1986年1月から1987年2月まで、5回に分けて0.5%ずつ段階的に引き下げを行い、最終的に年率2.5%になりました。

1986年(昭和61年)47日、更にバブルへの切符と言われた「前川リポート」が中曽根総理に提出がされた

1986年(昭和61年)626日、1981年(昭和56年)3月の臨調から続いた「臨時行政改革推進審議会」がついに終結してしまった。

臨調会長を務めた土光氏の体調不良もあるが、土光氏は行革審終結のメッセージの中で「行政改革に倦(あぐ)み、歳出抑制に疲れ、また国際収支の不均衡是正は内需拡大(低金利政策等で景気拡大を行う。あるいは、政府が財政出動して公共事業を増やすなど)を重視するあまり、行財政改革路線の転換を強く主張する向きがあります・・・」と危機感を語られていました。

更に更に、

1987年(昭和62年)222日、ルーブル合意、今度は行き過ぎたドル安の是正協調(円安へ舵を切ることになる)

1987年(昭和62年)2月、2年前に民営化したNTTが株式公開を果たす。

初値160万という高値でありながら、その後2ヶ月で318万まで高騰。当時の時価総額世界一を記録

1987年(昭和62年)12月、臨調会長、行革審会長を務められた土光敏夫氏、東芝中央病院へ入院、しばらく小康状態が続いたが、1988年(昭和63年)8月永眠。享年91歳。

行財政改革の鬼が亡くなられた。

 

当時としては、過去最低の2.50%という公定歩合1987年2月から1989年5月まで2年3カ月続けられた。

 

以上の条件が重なり、平成のバブル経済(1986年12月~1991年3月、およそ日経平均が2万円を超えていた期間に相当)が始まり、土地や建物などの不動産の価格や株価が急騰していきました。

この時の日本の景気は、198612月に底入れして、19914月まで53カ月にわたって拡大局面が続いていました。土地や株価は大幅な値上がりを続けていましたが、卸売物価は円高によって輸入品の価格が抑えられていたこともあって、表面的にはインフレが起きていなかったことも低金利が長期化した理由のひとつです。しかしそれ以上に、アメリカへの配慮が政治的にも強く働いて利上げが遅れたとのこと。

日経平均株価も、1987年末の2万1564円が、1988年末には3万159円、そして1989年末には3万8915円の最高値に向かって突き進んでゆくのです。

 

1989年4月1日、消費税導入(税率3%)

 

そこで行き過ぎた地価や株価の高騰を抑えるために、日銀は新しい不動産への融資を行ない難くするための総量規制を行ない、同時に1989年5月から1990年8月まで5回に分けて、年率0.75%から1%に及ぶ公定歩合の引き上げを行なって、最終的に年率6.0%になりました。

 

ついに、行き過ぎたバブルは弾けることになりました。

 

土光さん亡き後、バブル経済から、それが弾けた後まで、中曽根さん、後藤田さんはご存命でしたが、打ち手はなかったのか!?

どれほど優秀な方々であっても、日本経済が暴走してからを止めることは難しかったのかもしれませんね・・・

 

後藤田氏が政界を引退される1996年(平成8年)頃に、あるテレビ番組で次のような話をされていた。

今の日本は、政治について絶望している人が多い。なぜこうなったのだろうと考えてみることが必要だ。私は、政治家が実際に日本の将来を考えるという巨視的な視点が無くなっているところに問題があると思う。日本は結局他国と協調することによってしか生きていけない以上、バランスのとれた国際主義をみにつけていかなければならない。日本にそれだけのビジョンが欠けているのは、政治に対する国民と議員とのコミュニケーションが無いのだ。私は、そのための役割を果たしたいと思っているが・・・・

自分の役目は政治の前面に出るのではなく、後方にあってよき助言ができればと思っている。

国際社会に生きる日本にとって今後大事なことは、軍事への傾斜を避けて平和友好の枠組み作りに目を向け、日本、アメリカ、中国の三者の関係をできる限り正常な姿に保つことです。

 

著者保坂氏のあとがき(2017年(平成29年)7月)より

このところ安倍晋三首相の発言に接するたびに、私はなんども後藤田正晴氏が存命していたらとの思いを持った。

「こんなことしとったら、日本は壊れてしまうわな」

といった台詞を思い出してもいた。保守の中の、もっとも良識的な姿勢で日本を見続けていた後藤田氏は、社会の基軸が右へ右へと揺れていくことに不安や不満を持ったであろうと思う。

ありていに言って、現在の日本社会はどこに問題があるのだろうか。私はその答えは大別して三点に分かれると考えている。

第一は、歴史意識の希薄性である。

第二は、先達への畏敬欠如である。

第三は、議論を軽視するための感性跋扈といった現実である。奇妙な言い方だが、コミュニケーションの劣化が甚だしいということだ。言葉が軽くなり、重厚な話法が軽蔑されると言った意味でもある。言葉の有効性を失えば、社会全体のコミュニケーション不在になり、そのゆきつく先は誰もが分かるように暴力への近接性である。こういう道筋はかつて日本が辿ってきた軍事主導の道であり、後藤田氏の指摘はそのことを踏まえてのことでもあった。

 

後藤田氏の志は、たった一点に尽きていると思う。それは、「日本かかつて向こう見ずな戦争を行った。その自省を具体的に検討したうえで、何が間違っていたのか、それを明らかにしてから、次の時代に進むべきである」との一点である。氏はその点でストイックに自らにある役割を課し、戦後社会を生き抜いてきたように思う。

 

社会が思わぬ方向に進むのは、政治指導者に理念や信念がなく、政治が単に権力を維持するための手段に堕した時である。もう一つは指導者がある意図をもって、それを窺わせずに政策を進めていくときであり、国民の知らない間に社会はいつのまにか修正のきかない道にはいりこんでいるとの事態になりかねない。

後藤田正晴氏という人物を総合的に見ていったときに、そういう方向を軌道修正する有為な政治家が必要だと私は痛切に思うのである。そういう政治家が不在の現実自体を、私は不幸だと考えるに至った。

後藤田正晴とうい政治家の言動を歴史の中に刻み込む一方で、いつの時代にもその教訓をよみがえらせるべきであり、本書がその役を果たせればと強く思う。

 

ありがとうございました~!

m(_ _)m

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