哲学者、鶴見俊輔氏、66歳のとき、老いてゆく準備をしていくうえでの手控えとされた、限られた時間の中で、いかに充実した人生を過ごすかを探る18編のエッセイ選集『老いの生きかた』を読んで
鶴見俊輔氏(1922年6月25日~2015年7月20日、93歳逝去)
日本の哲学者、評論家、政治運動家、大衆文化研究者。アメリカのプラグマティズム(実用主義、道具主義、実際主義とも訳される考え方。元々は、「経験不可能な事柄の真理を考えることはできない」という点でイギリス経験論を引き継ぎ、概念や認識をそれがもたらす客観的な結果によって科学的に記述しようとする志向を持つ点で従来のヨーロッパの観念論的哲学と一線を画するアメリカ合衆国の哲学とされる。反形而上学的な哲学思想)の日本への紹介者のひとりで、都留重人、丸山眞男らとともに戦後の進歩的文化人を代表する1人とされる。
清潔信仰は純度を増して、汚いもの、みぐるしいものへの攻撃の力となることがある。
自分の家庭内で、妻子と孫たちから向けられると、私たち老人は、安心している場所を家の中でもつことができなくなる。潔癖な人は、幸福になることはできないという、私の処世の智慧を持って切り返したいと思うが、そういう切り返しは、時代の風をせおっている資本主義爛熟期の若者文化に対してきくかどうか。生命のもとは混沌にあり、19世紀の遅れた科学信仰をもちだして、海底の泥の中にひそんでいたはずの、ドイツの動物学者ヘッケル博士の言う、ゴミのような微小生命体から人間の生命も進化してきたなどと言っても、さらに進んだ今日の科学技術文明をたてにとって、笑われるのがおちであろう。
鶴見氏の言われる「潔癖な人は、幸福になることはできない」は名言に思いました!
最晩期の斎藤茂吉
わが生はかくのごとけむ おのがため納豆買ひて帰る夕暮れ
→老境にはいると、自分のために納豆を買いに行く孤独、さみしさをうたっている
わが色欲いまだ微かに残るころ渋谷の駅にさしかかりけり
→色欲と渋谷の駅とが結びついているところに、よからぬことをした想い出が湧き出てくる
朝飯をすまししのちに臥処(ふしど)にて、また眠りけり、ものも言わずに
→こういうことが多くなるのがすなわち老いの兆候である
ジジババ合戦、最後の逆転 富士正晴(1913-1987)
今から80年ほど昔、明治30年代の頃と思うが、勝海舟(麟太郎)未亡人たみという人が80くらいで死ぬときに、遺言した。その遺言が勝気な深川芸者出身であったその人らしく、水際立ってさっそうとしていて、大分前に何かの本で読んだのだが、いまだに忘れることがない。彼女は勝に嫁入るときは、幕臣の養女として来ている。勝は旗本だから、こういう風にするのが例であったらしい。
未亡人たみは自分の骨は麟太郎の墓に一緒にいれてもらいたくない、数年前に死んだ温良で立派であった長男の小鹿の墓にいれてもらいたいとキッパリしたことを遺言とした。
50年近く、海舟享年77まで一緒に暮らしてきた夫の麟太郎に対する猛烈な怨みと軽蔑の念がここに噴出して実にあざやかであった。
ご立派!とわたしは感嘆した。
麟太郎はたみ以外の何人かの女に子を産ませている。まあ、それくらいはそのころの風俗として(今でも内内そうだが)珍しくもない。
しかし、海舟の座談などを読むと、老人海舟は自分の家の女中(実に美しい衣装をつけさせたのが行儀見習いに来て沢山いた)には全部手をつけてあるんだと、客に向かって自慢しているのである。
まるで行儀を教えてやったみたいだ。そのことがたみに判らぬはずはない。
たみは武士の妻として知らぬ顔をしていただけだろう。
また、海舟はコッケイ話めいた自慢話も客に向かってやっている。
そうした女中たちの中に、海舟の子をはらんだのがあり、さすがに海舟はあわてた。腹はずんずんふくらむし、ごまかしようもない。そこで親を呼び出して、年がいもないことをして相済まぬと、さすがに頭を下げてあやまったんだという。
ところが、親は少しもさわがず、いや、そうあやまれるには及びません。こちらは勝先生のごとき英雄の種がいただきたく娘を奉公に上げたのでありますから。これでバンバンザイなので、ありがとうございましたと、真顔で感謝した。
「これには、いかなおれも参ったよ」
と海舟、はなはだうれし気であったのだから、たみが、こいつバッカであるまいかと、亭主を腹の底で侮蔑して、平然として顔に感情は出さない。嫉妬のこころを押し殺しというような程度のものではあるまい。もっと冷然たる侮蔑の心である。
こんな奴に墓にはいってまで仕えてたまるかというのが、彼女の遺言の本音であろう。てんで亭主を問題にしていないわけだ。海舟は思いもかけず、最後に、見事振られた形になる。
それから80年、その水脈が現代日本にあざやかに噴き出してきて、子どもが独立し、老夫婦のみのシワクチャ核家族になると、たちまちばあさんがじいさん相手に離婚を申し立て、成功してじいさんの財産を半分とり上げ、さっさと家をでてしまうのが大いに流行してきた。
たみのころから近ごろまでの長い年月、それは怨みと冷淡な侮蔑でしかなかったが、今やそれは現在の民法を武器にしてのハッキリしたじいさんへの戦闘どころか、成功間違いなしの復讐となった。
ばあさんはひとりでも生きられる、一生、「生活技術」をみがいてきたからだ。
ところが、金をもうけてくる以外、家庭の「生活技術」をみがいてこなかった衣も食もまったくと言っていいほど、あつかえぬじいさんは子ども同然で何もできない。着ることも、食うこともできない。おまけに金も半分とり上げられたとなると、心細さによよと泣くより仕方がない。
面白いね、これ。
現代は、コンビニなどがありますので、生活技術のないじいさんもなんとかなるのでは!?!?
ありがとうございました!
m(_ _)m
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