「世界経済図説」(第四版)宮崎勇&田谷禎三著 を読んで・・・日本経済を調べていくうちに、世界経済も知りたくなって読んでみました!目次を見て、好きなところ、興味のあるところだけを読むことも可能で、いろいろな経済項目を分類して統計化されていました!
国の数・国土、人口・民族、国内総生産、産業構造、政治と経済、国際化の軋轢、
国際貿易、貿易摩擦、国際金融、人口・食料・エネルギー・資源、地球環境、経済危機、そして
世界経済の構造変化などなど、お好きなところからどうぞ!
と言う、世界経済の「辞書」のような本でした!
やや細切れとなるため、繋がりを知ろうとする場合、もう少しほかの本も読んでみる必要があるかな、と思いました。
ここでは、面白かったところを書き留めておきたいと思います。
国の経済力を表す指標の代表、GDP(国内総生産)、1980年代以降2019年までの各国のGDP
のシェアは、
日本が、約15%から約6%までに下降を続けている。逆に、
中国は約3%から約17%へ飛躍をしていた。
アメリカは約25%で横ばい。
イギリスは約5%から約3%へ下降していた。
ロシアは過去の統計は記録が無かったのか、2019年時点で約2%
国民所得水準の上昇に伴って、一国の産業構造が、第一次産業から第二次産業、第二次産業から第三次産業へ、その比重を移していくという経験法則。
産業の三部門分割はフィッシャーAllan George Barnard Fisher(1895―1976)の先鞭によるが、この産業区分をもとに、イギリスの経済学者C・G・クラークは彼の実証研究『経済進歩の諸条件』(1940)のなかで、国民所得水準の上昇につれて、労働力の比重が第一次産業で低下し、第二次および第三次産業で上昇することを明らかにした。
17世紀にW.ペティは〈農業よりも製造業によるほうが,さらに製造業よりも商業によるほうが、利得がはるかに多い〉と述べた。この発言に注目したコーリン・クラークとS.S.クズネッツは各国における諸統計を駆使した結果、所得水準の上昇とともに第3次産業の比重が高まるという産業構造の変化の傾向を実証した
そのなかで、17世紀イギリスの経済・統計学者W・ペティの著作『政治算術』(1690)からの章句を引用し、ペティがすでに経済発展と産業間の労働力分布の関係に注目していたことを指摘して、この経験法則を『ペティの法則』と名づけた。なお今日では、『ペティの法則』は、『クラークの法則Clark's law』とも『ペティ‐クラークの法則』ともよばれている。
天然資源とは?
天然資源はブリタニカ国際大百科事典 小項目事典において以下のように定義されています。
自然資源ともいう。人間に利用される自然のなかの物質および物質生成の源泉となる環境の働きをいう。土地,水,鉱物などの無生物資源と森林,野生鳥獣,魚などの生物資源がある。
以前は「持てる国」と「持たざる国」の間で経済利害が異なることから、しばしば政争、国際紛争の原因となった。今日でも、資源は一つの大きな国際的問題である。
ウクライナへのロシアの侵攻も複数の原因はありますが、天然資源も原因の一つですよね・・・
ノーベル賞受賞者数について、アメリカが約250人でダントツですが、中国と韓国ではこれまで受賞者がおられなかったんですね・・・
政治と経済は不可分であり、政治的に不安定であれば経済の安定も成長もない。逆に、経済が混乱していれば、政治的安定はない。
政治が先か、経済が先か、難しいところであるが、
「恒産無き者は恒心無し」
「衣食足りて礼節を知る」
「貧すれば鈍する」
ということからみれば、少なくとも最低限の経済的安定が先といえよう。
関税や非関税障壁(関税以外にも直接的・間接的に輸入を抑制する措置・制度であり、これらの総称)は、国内生産の確保、輸入の抑制を通じて国内産業・雇用を守ろうとするもので、途上国の場合、幼稚産業の保護と言う目的、先進国の場合、衰退産業に統制の時間を与えようという目的がある。ただ、自由で無差別な(どんな国に対しても同じ扱いをする)貿易を理想とする自由貿易の下では、関税・非関税障壁はより慎重に運営しなければならない。
金利、株価、金融派生商品
資本は、期待される収益が低いところから高いところへ流れる。原則的に資本移動の規制が無い場合、資本は国境を越えて自由に高収益を求めて移動するが、いつでも為替リスクがある。
各国の金融政策によって短期金利に差があっても必ずしも資本移動が起こるわけではないが、長期金利の差は資本移動の誘因になる。ただ、物価上昇率が多岐(低い)国は通過が弱くなる(強くなる)傾向があるから、実質長期金利差が資本移動の一つの大きな要因と言えるだろう。
1980年代前半や90年代後半のアメリカの相対的に高かった実質金利は、アメリカ経済への信認の高まりと共に、アメリカへの資本流入を増加させ、ドル高の要因にもなった。
金利、株価、為替相場の変動リスクを軽減する手段として、先物、オプション、スワップ取引がある。
為替制度
現在の為替制度は、一般的に変動相場制であるといわれている。しかし、世界的に固定為替相場制度が崩壊した後も、多くの国は米ドルやその他の通貨、あるいは自国の輸出入構造に合った複数通貨に対する固定相場制度を維持してきている。国の数では、固定相場制ないしそれに類似の精度を採る国の方が多いが、日米欧など多くの主要国は自由変動相場制を採用している。その意味で現在の制度は変動相場制である。
アメリカ経済:相対的強さの保持
具体的には本書に譲りますが、アメリカは先進諸国の中では情勢変化に対する柔軟性と高い対応力によって比較的高い成長を続けてきている。
一方、
1992年、市場統合を目指してNAFTA(北米自由貿易協定)を締結した(発効は1994年1月)。内容は関税を段階的に撤廃し、さらに非関税障壁を取り除き、投資規制も除去するというものだった。
当時、アメリカ、カナダ、メキシコの経済的結びつきは強まり、1994年のメキシコ経済危機が短期で収束したのも、関係強化を背景としたアメリカの助けが大きかった。
しかし、その後のトランプ政権で、協定が自国の貿易赤字拡大をもたらし、アメリカ労働者の職を奪ったとして、協定の見直しを求め、2018年9月にUSMCA合意となって、NAFTAの改定がされた。
これは、メキシコ、カナダからの年間自動車輸入に数量制限を設けたり、原産地規制を強化したりして、それまでの協定が謳う「自由貿易」の文言を取り払うものであった。
『互恵共存』ということは口で言うほど簡単ではない。
1930年代の大恐慌
大恐慌、あるいは世界恐慌は、1929年10月のアメリカの株価暴落によって始まり、ほとんどの主要国を巻き込み、経済の混乱は、33年、見方によれば、40年代初めまで続いた。
第一次大戦(1914年~1918年)後、アメリカは産業競争力の向上と輸出の増加によって「永遠の繁栄」を謳歌していた。しかし、欧州諸国の経済復興と共に生産や設備の過剰が表面化した。
当時の国際金融システムは金本位制に基づいており、主要各国は20年代末から30年代初めに金本位制に復帰した。ところが、アメリカは流入した金を不胎化(金保有に連動して貨幣を増やさなかった)した。そのため、その他の国は金流出を抑制するため、金利を引き上げることで不況に陥ったり、金準備が枯渇したドイツ、オーストリアでは大銀行が倒産するなどの金融危機が発生した。
日本でも金の流出を契機に昭和恐慌となった。
その後、各国は金本位制度から離脱したが、植民地を持っていた英米仏は高関税による経済のブロック化によって、自国の産業保護に努めた。
これが、日本、ドイツの膨張主義を助長する要因ともなった。
こうした展開となった背景として、英仏を中心とした世界から覇権国がアメリカへ移行する過程で、アメリカにその用意が無かったことを重視する見方もある。
また、当時、恐慌は蓄積された市場のゆがみを調整するために必要不可欠な現象とも捉える向きが多く、政府による財政出動によって有効需要を作り出すという考えは力を得なかった点を強調する見方もある。
さらに、アメリカなどにおける過度の金融引き締めにその理由を求める見方もある
結局のところ、世界恐慌の根本原因は何なのか!?
複合的な部分があるということなのでしょうねえ・・・
世界の中の日本
今後、どのように停滞局面から脱却していくのか、
また、どのように国際社会に対応していくのか、
日本経済は、これまでと同様、次のような行動をとっていくことが必要ではないか
第一は、経済大国になったが、軍事大国をめざすといった過去の過ちを二度と繰り返さないことである。
そのことを確認することが何よりも大事である。
第二は、国内経済を「整える」ことである。その意味は、インフレ(実質生活水準の切り下げ)もデフレ(失業、不完全雇用)もない持続的な安定成長をすること、そしてその過程で「生活の質」に重点を置く経済構造を作ることである。個人に社会的安定感を与えない限り、政治・経済の安定は得られず、国際社会への協力も期待できない。
第三は、経済力による国際社会への貢献である。具体的には、
①国際経済と調和のある国際収支の確保と通貨の安定、
②自由貿易体制の維持
③対外支援の強化。地域的にはアジアを重視し、形態的には資金援助、技術援助に加え、知的支援を行う。
このように「共生と平和」に貢献することが日本の歩むべき道である。
ありがとうございました~!m(_ _)m
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