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2024年2月16日 (金)

新型コロナ禍の2020年6月から2021年6月末まで、朝日新聞土曜別刷り「be」に掲載された、小池真理子著「月夜の森の梟」が文庫化されたので、一気に読んでみた~!

 

過去に小池真理子さんの本は「恋する男たち」という複数の著者による短編集で読んだことがあったのですが、内容は忘れていました。

今回、あらためて本エッセイを読んでみて、とても丁寧な言葉づかいで書かれているなと感じました。

とてもよかったです!

 

小池真理子さん(19521028日生)が、夫藤田 宜永さん(よしなが)(1950412 - 2020130日逝去、享年69歳)を喪われてから4カ月目に書き始めたエッセイになります。

エッセイは「月夜の森の梟」という名で、新型コロナ禍の20206月から20216月末まで、朝日新聞土曜別刷り「be」に掲載されました。

新型コロナは20204月に最初の緊急事態宣言があって、20235月にインフルエンザと同じ5類感染症に分類されるまで続き、今は少し一息ついたところと思います。

 

2021年11月に単行本となり、20242月に文庫化されました。

 

小池さん自身、夫藤田さんが亡くなられて、すぐに新型コロナの緊急事態宣言となったことは、とても心労が重なったと思いますが、このエッセーを連載することは、小池さんご自身にとっては、救いの一つだったのかもしれませんネ。

 

『月夜の森の梟』とは、ご夫婦共に、太陽よりも月の光のほうが好きなこと。昼間よりも夜。燦燦と光がきらめく水色の空ではなく、無音の星々が瞬く群青色(ぐんじょう)の夜空を見上げている方が、心落ち着くと。そして本エッセイ―の連載第一回目の題が「梟が鳴く」で始まっています。その中で、「梟の声を聞きつけるたびに、私は夫に報せていた」とあったからだと思いました。

小池さんと藤田さんは、1984年にパートナー同志となられて、1990年に軽井沢へ移住をされています。

 

仲のいいご夫婦というよりは、同志のような感じがしました。

夫婦愛、相性の善し悪し、といったこととは無関係である。私たちは互いが互いの「かたわれ」だった。時に強烈に憎み合いながらも許し合い、最後は、苔むした森の奥深く、ひっそりと生きる野生動物の番いのように、互いがなくてはならないものになった。「かたわれ」でなければ、そうはならなかったと・・・

 

~ちょっと可笑しかったところ、興味深かったところ、共感したところ~

 

小池さんの父親は徹底した無宗教者であったため、戒名は絶対不要ということで、ご両親の位牌は俗名のままとのことでした。

自分の父親も新型コロナ禍の20227月に天国へと旅立ちましたが、同じく俗名のままです(笑)

 

そして、新型コロナのせいで動きがとれないことを言い訳にし、相変わらずぐだぐだしながら、夫の墓を用意できずに、遺骨と共に暮らしている。

お墓って、お金もかかるし、安くはないし、どこにするとよいのか難しいですよネ。

 

 

小池さんが子供の頃に大きな茶虎の雄の外猫を飼いならしていたそうですが、或る年の秋、意気揚々と外に出かけて行った彼は、二度と帰ることがなかったと。

うちの実家でも父親が生きている頃に、灰色と白色のブチの外猫(灰色が目立つので“グレ”と呼んでいました)を飼いならしていましたが、やはり、ある日を境にして帰ることがなくなりました。

 

病を得てから、夫は三島由紀夫よりも太宰治の話を好んでするようになった。

三島が太宰治を嫌っていたのは有名な話だが、夫にとっては無関係だったろう。かたちは違えど、三島も太宰も死に向かって書き続けた作家だった。死が近づいた夫は、行動することを美徳とした三島よりも、薄闇の中で蜉蝣(かげろう)のように生きた太宰の心情のほうに、より強い共感を覚えたのかもしれない。

 

余命を意識し始めた夫は、毎日、惜しむように外の風景を眺め、愛でていた。野鳥の鳴き声に耳をすませ、庭に咲く季節の山野草をスマートフォンのカメラで撮影し続けた。どこからか種が飛んできて、駐車場のコンクリートの隙間で成長し、花を咲かせた一本の痩せたタンポポですら大切に扱っていた。

彼は言った。こういうものとの別れが、一番つらい、と。

当たり前のように繰り返されていた季節。止まることなく流れるはずだった時間。美しい天空の法則のすべて。それらと別れねばならなくなるのが、本当につらいんだ、と。

 

 

Passion(パッション)」には次の意味があります。

熱情。激情。情欲。

また、「パッション」はキリシタン用語でもあり、キリストの受難や苦難を意味することもあります。

人生における「受難」と言うのは、裏を返せば「情熱」の限りを尽くしたことと同じなのではないか、と考えるようになった。熱情は時に深い苦悩に姿を変える。逆も同じである。「受難」と「情熱」は異質のもののようでありながら、実は根っこのところで分かちがたく結びついているのだ。

喪失の悲嘆や狂おしい絶望もまた、烈しいパッションに他ならない。遺された者の苦悩は、おそらく自分では気づかぬ生命の力と背中合わせになっている。

 

I want to hold your handは、ビートルズの初期の代表曲の一つである。

直訳すれば「あなたの手を握りたい」。邦題は「抱きしめたい」である。

「手を握りたい」よりも「抱きしめたい」のほうが強烈な印象を残す。

私も今、強烈に誰かを抱きしめたい。誰かに抱きしめられたい。

不安や恐怖にかられた時、心細い時、哀しみに打ちひしがれている時、誰かにそっと抱きしめられたり、手を握ってもらったりするだけで、いっとき、苦痛から逃れることができる。

冷たく凍えた気持ち、寂寞(せきばく)とした想いの中に、ひとすじの温かな光が射し込まれるのである。

いつの世でも、どんな時でも、人々はそうやって生きてきた。簡単なことだった。抱きしめる。抱きしめられる。手を握る。握り返す。たったそれだけのことが、手に負えない魔物から相手を守り、自分も守られることを私たちは知っていた。

 

生きている以上、人は誰しも例外なく、厄介な自意識に悩まされ続ける。自意識を持たない人間はいないが、同時にそれは漠とした不安や迷い、怒りや哀しみ、果ては孤独感さえ呼び覚ます。希望も絶望も、すべて自意識の産物なのだ。

 

“本物の元気”というものは、作り笑いや、こうあらねばならない、とされる世間の決まり事、有象無象の前向きな考え方、たくさんの予定をこなうこと、大勢の人々と交流すること、旅をしたり、新しいことを始めようとしたりする気分の中にあるのではない。

もっと静かに、その人間の身体の奥底に、あるかなきかの、かすかなおき火のように絶えず控えめにくすぶっていて、ふだんは決して外から見えないものなのだ。

 

 

ありがとうございました!

(_ _)m

 

Tsukiyonomori660370

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コメント

おはようございます。

17日(土)は大変お世話になりました。

気分が落ち込んでいる時に愉しい一日となりました。

今年の同窓会のお店探しでお会い出来る日を楽しみにしています。

こちらこそ、ありがとうございました~!!

おからだはお大事にしてください!!

またお会いできるときを楽しみにしております!!

よろしくお願い申し上げます!!m(_ _)m

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