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2024年3月31日 (日)

アカデミー賞13部門でノミネートされて、7部門(作品賞、主演男優賞、助演男優賞、監督賞、撮影賞、編集賞、作曲賞)で受賞した「オッペンハイマー」観てきました~!!

マンハッタンプロジェクトとは

第二次世界大戦中、ナチス・ドイツなどの一部枢軸国の原子爆弾開発に焦ったアメリカ、イギリス、カナダが原子爆弾開発・製造のために、科学者、技術者を総動員した計画である。1942に立ち上げ、1946年まで続いた。プロジェクトは成功し、原子爆弾が製造され、1945716日世界で初めて原爆実験(The Trinity Test/トリニティの名の由来について、「オッペンハイマーは、よくわからないと言っていました。でも、当時読んでいたジョン・ダンの詩のなかのある1節が記憶に残っていたそうです。『私の心を打ち砕いてください、三位一体の神よ』。そこから、トリニティ(三位一体の意)という名を思い付いたとか」そして、原爆自体を“ガジェット”gadget:一般には道具、装置、仕掛けの意味)とした)を実施した。さらに、広島に同年86“リトルボーイ”、長崎に89“ファットマン”を投下、合計数十万人が犠牲になり、戦後の核兵器開発・核実験競争の冷戦構造を生み出すきっかけともなった。

科学部門のリーダーはロバート・オッペンハイマーがあたった。大規模な計画を効率的に運営するために管理工学が使用された。

プロジェクトの最高責任者はレズリー・グローヴス1896817 - 1970713日、享年73歳)

 

プロジェクト期間において、

オッペンハイマー(キリアン・マーフィー演)は38歳~42

レズリー・グローヴス(マット・デイモン演)は46歳~50

ルイス・ストローズ(ロバート・ダウニー・Jr演)は46歳~50

アインシュタイン(トム・コンティ演)は63歳~67

 

J・ロバート・オッペンハイマー(1904422 - 1967218日。享年62歳)は、アメリカ合衆国の理論物理学者

彼は理論物理学の広範な領域で大きな業績を上げました。特に第二次世界大戦中のロスアラモス国立研究所の初代所長としてマンハッタン計画を主導し、卓抜なリーダーシップで原子爆弾開発の指導者的役割を果たしたため、「原爆の父」(Father of the Atomic Bombとして知られています。

戦後、原爆の破壊力や人道的影響、論理的問題に関心をもち、核兵器は人類にとって巨大な脅威であり、人類の自滅をもたらすと考えたため、核軍縮を呼びかけ、原子力委員会のアドバイザーとなってロビー活動を行い、かつソ連との核兵器競争を防ぐため働いた。

水素爆弾など、より強力な核兵器開発に反対するようになったため、「水爆の父」(the fathers of the hydrogen bomb)ことエドワード・テラー(ベニー・サフディ演)と対立した。

1954年、オッペンハイマーは、国家反逆罪を問われます。

オッペンハイマーは、米国の核開発の機密情報を、ロシアに流出していたのではないかと尋問されます。

というのも、オッペンハイマーの弟が共産党員で、妻も元共産党員で、元恋人も共産党員で、子守りを頼んだ親友も共産党員だったからです。

特に、この親友は実際にロシアの工作員で1950年にFBIに捜査されてフランスに事実上追放されました。これをシェバリエ事件と言います。

アメリカの水爆開発に反対したことなどから公職追放されました。

1954年当時のアメリカはロシアとの核開発競争の真っ只中で《アカ狩り》が盛んでした。共産党と深いつながりのあるオッペンハイマーはピンチを迎えます!しかし、

1961年、オッペンハイマー57歳、ケネディー44歳のとき

ジョン・F・ケネディが大統領に就任。マクジョージ・バンディ、ディーン・ラスクをはじめとするオッペンハイマー支持者たちがケネディの側近となり、オッペンハイマーの公的名誉を回復させようとする動きが出始める。

1963年、「エンリコ・フェルミ賞」受賞。アメリカ政府はこの賞の授与により、反共ヒステリック状態でなされた1954年の処分の非を認め、彼の名誉回復を図ったとされている

 

キリアン・マーフィーは、オッペンハイマーをどう演じるか考えていたとき、ノーラン監督に「オッペンハイマーは雨粒の間をすり抜けるように自分の道徳意識と折り合いをつけている(Oppenheimer is dancing between the raindrops as to where he stands, morally)と言われて納得したと話していた。

オッペンハイマーはただの善人でもなければ悪人でもなく、原爆開発を後悔したわけでもしなかったわけでもない。良いことをしようと思ったけれども恐ろしい帰結を招いてしまった。恐ろしい帰結を招いてしまったけど良いことをしようとしていた。そういうオッペンハイマーの多面性や矛盾を鋭く突いてる言葉だと思う。

 

ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ(1917529 - 19631122日、享年46歳)は、アメリカ合衆国の政治家。同国第35代大統領(在任: 1961120 - 19631122日)。名前のイニシャルをとってJFKないし通称であるジャック(Jack)と呼ばれることも多い。在任中の19631122日にテキサス州ダラスで暗殺された

 

ルイス・ストローズ(1896年~19741月、享年77歳)

米国の核政策に多大な影響力を持ったオッペンハイマーの宿敵ルイス・ストローズ氏との確執も描かれる。

熱核兵器の即時開発と「密閉された安全保障」を唱えるストローズ氏に対して、オッペンハイマー氏は水爆の開発に異を唱え、国際的な軍備管理を提唱していた。

ストローズ氏は1953年にアイゼンハワー大統領によってAECの委員長に任命されるが、原子力に関する大統領の特別顧問ともなり、絶大な権力を握る。原子力の取り組みの全てはストローズ氏の承認が必要とされ、膨大な最高機密情報を抱えていたという。

かつて共産主義者と関係のあったオッペンハイマー氏は、1954年に行われたAECの審問の末、最高機密情報にアクセスする資格を奪われ、政府の仕事から追放されることになる。科学者の間では、水爆に反対したオッペンハイマー氏に対するストローズ氏の個人的な復讐と考えられていたという。映画では、ストローズ氏が策謀をめぐらす場面に時間が割かれている。

史実となります裁判の結果は、ストローズは《政治的に狡猾で汚い人物》と判断されて、米国商務長官の審査を落ちました。

「ストローズがオッペンハイマー博士やその他自分の公的立場に反対する人々に対し、個人的な恨みをもって復讐してきたからです」

1959年のストローズに対する公聴会で、ストローズは商務長官として承認されるべきでないと話す科学者デイヴィッド・ヒル(ラミ・マレック演、物理学者フェルミの助手)が、その理由を聞かれてこう答えた。

ヒルは原爆投下に反対していた一人で、ストローズはヒルがオッペンハイマーに恨みを持っている(だからストローズに有利な証言をする)と思っていたけれども、実際にはストローズに不利な証言をした。オッペンハイマーがほかの科学者の支持を得ていたことが示唆される。

映画の中ではこの証言が致命的となってストローズの承認が拒否されることになった。この証言は、実際の公聴会でデイヴィット・ヒルが本当に言ったことらしい。

ちなみに、この審査結果の影響も含めてアメリカはオッペンハイマー追放を過ちだったと認めて、1963年に高名な物理学の賞を授与して名誉回復を図りました。

 

アルベルト・アインシュタイン1879314 - 1955418日。享年76歳)は、ドイツ生まれの理論物理学者、ユダヤ人。スイス連邦工科大学チューリッヒ校卒業。

それまでの物理学の認識を根本から変え、20世紀最高の物理学者」とも評される。特殊相対性理論や一般相対性理論が有名だが、光量子仮説に基づく光電効果の理論的解明によって1921年のノーベル物理学賞を受賞した。

アインシュタイン氏でさえも、マンハッタン プロジェクト開始に際して、原爆の製造、利用を承認されています。

アインシュタイン氏は、マンハッタンプロジェクト自体に参加されていません。これは本人の意向もあるようですが、政治的な動きもあったようです。

アインシュタイン氏は語られています。「原爆が、人類にとって恐るべき結果をもたらすことを、私は知っていました。しかし、ドイツでも、原爆開発に成功するかも知れないという可能性が、私にサインさせたのです。私に敵があって、その無条件の目的が、私と私の家族を殺すことである場合だったからです」と。

元より“反戦主義者”ですので、ドイツ ナチスによるユダヤ人迫害(アインシュタインもユダヤ人になります)と原子爆弾開発の情報を知らなければ、決してプロジェクトの承認をすることはなかったはずです。

戦後は、広島、長崎の惨状を見てとても後悔をされ、その後は、核兵器廃絶運動と戦争廃絶のための世界政府樹立のための活動に半生を捧げることになります。

アインシュタイン氏は平和運動に力をつくしますが、その活動に最も影響を与えたのは、同時代に活躍していた『非暴力(不服従)』の英雄、マハトマ・ガンジー氏といわれています。

2005年に公開された手紙で、アインシュタインは日本人の友人に対し、「わたしは日本に対する原爆の使用を常に非難してきたが、わたしはあの運命の決断を阻止するために何もできなかった」と書いている。

また、1952年には日本の雑誌に「こうした実験が成功すれば、全人類にとって恐ろしい危険となることを十分認識していた」と書いた。

「他の解決法が思いつかなかった」と、アインシュタインは書いている。

 

オッペンハイマー、女性関係は乱脈であったようで、ちょっと!?エッチな場面もあるために、R1515歳未満の方は保護者同伴でも鑑賞できません)でした(笑)

また、内容もちょっと!?難しかったです~汗

 

ありがとうございました~!

m(_ _)m

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