渋沢栄一氏(1840年3月16日~1931年11月11日、享年91歳)のことを調べてみるために、『渋沢史料館』、『晩香盧(ばんこうろ)』、『青淵文庫(せいえんぶんこ)』、『紙の博物館』へ行って来ました~!!
場所は北区王子にあります。これは、
明治維新後、渋沢栄一は、あらゆる事業を盛んにするためには、人々の知識を高める書籍や新聞などの印刷物の普及が必要で、そのためには安価で大量印刷が可能な洋紙製造をすべきと考えます。そして、明治6年、抄紙会社(後の王子製紙株式会社 現・王子ホールディングス株式会社の前身)を創立します。
それが、北区王子にある理由となるようです。
『渋沢史料館』より
身長は5尺(151.5cm)、雅号は「青淵」
趣味は特にないが、読書は好きであり、また「書」を書くことは非常に多い
猟・釣りはほとんどせず、「撃剣」は若い時にすこしたしなんだ
碁と将棋は好きだったが、仕事が忙しく時間の無駄になるために我慢をして、明治20年(1887年)頃、渋沢氏47歳の頃にやめた。義太夫や芝居を好む
性格は温和で「怒ということを忘れられたのではないか」と評されることもある
食事は好き嫌いなく何でも食べ、
「旨い不味いは分かるし、料理のことも多少は知っている」
晩年は芋や茄子を好み、オートミールは毎日食べる
また甘いものは好きで、飴をよく食べる
煙草は若い時に「日本煙草」をたしなんだが病気を患ってやめた
酒は一橋家出仕時代やフランスから帰国後に少し飲んだが、元々あまり好きではなく、以後は全く飲まなくなった
道徳経済合一説(どうとくけいざいごういつせつ)
渋沢氏は、会社を発展させて国を豊かにするために、幼いころから親しんでいる「論語」を拠り所として、道徳と経済の一致をいつも心がけた。そこで、「道徳と経済」を「論語と算盤」にたとえ、一見不釣合なこれらは必ず一致しなければならないものであると広く呼びかけた
渋沢栄一氏の70歳以降の活躍の源泉となった健康法、食事法は一体どのようなものだったのか、孫の渋沢華子氏の一文にあった。
渋沢栄一76歳の時、「実業の世界」(大正5年8月号)の『現代名士の養生ぶり』と題する健康法のアンケートに、筆まめな栄一本人が書いている。
質問は
①平生実行している健康法
②食物の中で何が一番嫌いか。
③朝食はどんなものでご飯は何ばい食べるか。
④昼食は。
⑤夕食は。
⑥お酒は飲むか、何酒が好きか、晩酌はどのくらい飲むか。
以上である。渋沢栄一の答は次の通りである。
①『別に特種の健康法はしていないが、事物に屈托せざるのが(ある一つのことばかりが気にかかって他のことが手につかなくなること、くよくよすることをしない)が私の健康法です。
時に、家庭内の意の如くならないことがあり、会社、事業の損失などもありますが、かくの如きは不如意(思うままにならないこと。特に、家計が苦しいこと)は、それが人生なのだと達観し、如何なる不幸に会おうとも決して屈托せず、です。』
②『甘味、脂肪分多い食物を好み、時に菓子をとり、夕食にはテンプラ、ウナギ、ケンチン汁を好んで食するも、又,イモ、ナスなどの野菜を好む。昨今は肉類よりも野菜類を好んでいる。』
③『朝食はスープ皿の三分の一ほどにオートミールにクリーム約一合(180ミリリットル)をかけ、砂糖を十分に加えて甘くしているものと、スープ一合、玉子の半熟2個、トースト2枚、紅茶、果物等とを食べる。
④「正午は毎日、兜町事務所に出勤するを以て、昼食は第一銀行にて行員と共に食する場合多し。その際は洋食にして鳥、獣の肉一皿、魚肉一皿、麺麹等を摂取するが、果物はたべない。」
⑤「夕食は和食になることあり、洋食なることもあるが、洋食の場合は多く自ら進んで遊食のためにいくのではなく、殆ど毎夜何等かの会合あって招かれるため、日本食は常盤、新喜楽、瓢家等、洋食は帝国ホテル、築地及び上野精養軒、中央亭等にて会食す。」
⑥「日本食の際は米飯三椀を食べるのが普通で、みそ汁もとる。酒類は全く飲まない。」
この回答を見ると、76歳の老人とは思えない活動ぶりと健啖ぶりである。しかし、この時代はもちろん農薬、防腐剤、添加物などはない、ほんとの自然食品だったし、空気汚染もなかったろうから、今より健康的な日常生活ができたわけであるーと渋沢華子は論評している。
渋沢栄一の晩年の日常生活と健康を東大の医学部教授が書いています。
第一は普段の仕事です。1日に15時間仕事をしていました。
第二は節制です。仕事が無理になり過度にならないようにしていました。
性格は春がすみのような笑顔で、快活に愉快に過ごしていたようです。
酒は飲まぬ、タバコは40才頃止めました。
食べ物はえり好みしない。
時間があれば経書(四書五経、「四書」とは『論語』『大学』『中庸』『孟子』の四つの書物です。 「五経」とは『易経』『詩経』『書経』『礼記』『春秋』の五つを指します。)を読む。
80代からストレッチ運動で健康を維持
『晩香盧(ばんこうろ)』より
1917年に渋沢氏の喜寿(77歳)を祝って清水組(現・清水建設)より贈られて洋風茶室
渋沢邸を訪れた賓客をもてなすために利用された
『青淵文庫(せいえんぶんこ)』より
1925年に渋沢氏の傘寿(80歳)と子爵に昇格したお祝いを兼ねて、竜門社(渋沢氏を師として集まった学びと集団、現・公益財団法人渋沢栄一記念財団)が贈呈。書庫にステンドグラスや装飾タイルが彩を与えています。かつ渋沢氏の書庫として、とても堅牢(鋼鉄製書庫)に建てられています
渋沢氏は、王子製紙の工場を眼下にする飛鳥山に、明治12(1879)年、別荘を構え、内外の賓客を招く館として活用、さらに明治34(1901)年から亡くなる昭和6(1931)年までは家族と過ごす日常の生活の場にもなっていました。
その居館は「曖依村荘(あいいそんそう)」(空襲で焼失)と呼ばれ、渋沢氏も飛鳥山をこよなく愛していました。
「紙の博物館」では、日本における最初の紙幣について、知ることができました。
それは、「山田羽書(やまだはがき)」
山田羽書は日本最古の紙幣で、1610年頃、神都伊勢山田(現伊勢市)の町衆によって生み出され、明治時代まで約250年間に渡り、神都伊勢周辺で流通した紙幣です。
なぜ「山田羽書」が伊勢の地で生まれたのか?
伊勢のまちはその歴史的・地理的な特殊性もあって早くから商業が発達し、また御師(おんし)の信用力が大きく、信用経済的な萌芽の素地が形成されていた。
特に室町時代以降、当地は御師を中心に自治が行われ、神都伊勢の風土に培われた信用力と、自治都市運営に対する町衆の力が相まって、地域経済上、個人の手形的なものが次第に紙幣の形態を整え、独自の紙幣「山田羽書」が生み出されたのであろう。
関東の金遣いと上方の銀遣いという貴金属貨幣の使用の東西差があった江戸期、東西の結節点である伊勢では金銀貨をいずれも使用するという状況下にあり、秤量(しょうりょう)貨幣(かへい)であった丁(ちょう)銀(ぎん)(慶長銀)の切(きり)銀遣(ぎんづか)いが禁止になった17世紀初頭に小額銀貨の補完を主目的として預(あずかり)手形(てがた)の様式を応用・発展させる形で発生したと考えられる。
どうもありがとうございました~! m(_ _)m
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