新書系に偏っているためか、今年は読書量が少ない・・・今回は久しぶりに『勇気ある言葉』、遠藤周作氏(1923/3~1996/9 享年73歳)が昭和49/1974年7月~同50/1975年12月まで著者51歳から52歳のときに毎日新聞に連載されたパロディ本、面白本を読みました~!
遠藤周作氏(1923/3/27~1996/9/29)は、佐藤愛子氏(1923/11/5~)と友人であり、学年は一つ上になりますが、同じ1923年生まれ同志となります。
「パロディ」とは、オリジナルの慣用句などを愛のあるユーモアで茶化したものを言われます。
「ホラが峠をきめる」
「嘘から出たまこと」のようにパロディにしていましたが、本当は「洞ヶ峠をきめる」で、織田信長の死後、明智光秀と秀吉との雌雄を決する合戦を前にして、大和の大名、筒井順慶が山崎近くの洞ヶ峠まで軍を進めてどちらに味方するか迷ったという故事からきた言葉です。
結局は秀吉方についた武将として知られています。
「憎まれっ子、世にはびこる」、本当は「憎まれっ子、世にはばかる」(いろはカルタ)です。人に憎まれる男ほど世の中で大きな顔をしているという意味です。
「物言わぬは腹ふくるるわざ」、腹がふくれることではなく、本当は「覚しきこと言わぬは腹ふくるるわざ」と言い、知っていることを黙っているのは不快であるという意味。兼好法師「徒然草」からの出典になります
「風鈴なっても暑さ変わらず」
部屋は一向、涼しくないのに、音だけ涼しげ。涼し気な音を聞いて、肉体だけではなく、気分だけでも涼しげにしようという独特の日本的な知恵。
かつて、三木内閣の時に、風鈴内閣と呼ばれたそうで、その時に三木総理は
「わたしは風鈴ではありません。ルーム・クーラーまではいかぬが、必ず部屋を涼しくしてみましょう」と言われたそうです。
「明日という日があるじゃないか」
聖書には「明日のことを思い煩うなかれ。今日のことは今日にて足れり」、さらに
トルコには「明日できることを、今日するな」
これは、怠けろということではなく、今日の仕事をやり終えたならば、そのあとは愉快に遊べ、愉快に人生をたのしめ、明日の仕事までガツガツ、今日のうちにやるような奴は出世をしても、人間として、人生として損なのだという意味であろう。
このような諺、日本には決して無いと・・・日本は「先手必勝」「先んずれば人を制す」というようなものばかり。
フランスには「あさってできることを明日にする必要はない」というのもあるそうです。
加藤周一氏の言葉を借りると日本は「雑種文化」である。
「雑種文化」とか「雑種文明」というのは一方でイヤな面をつくるけれども、有難い面もある。たとえば外国に比較しても日本ほど各国の食いものを食べられるところはちょっと無い。洋服を着て畳で碁を打つなどという国も無い。近代ビルの屋上にお稲荷様を祭っている国も無い。ステーキを食べてすぐあとお茶漬けを注文できる国も無い。神社がお寺のなかにまじっているような国も無い。そういう雑然とした生活、統一的な生活秩序がない国は、ある意味で有難いという事である。
「よき花瓶には万の草入るべし、花の上手は何の花にても心次第なり」
山上宗二の言葉、山上は利休の弟子で利休と同じように秀吉に処刑された茶人。
先に山上が1590年の処刑され、利休は1591年ということである。秀吉、晩年はざんねんである。
「学ぶに上下なし」
この日本で学びたいと思う子どもたちが大学まで経済的な心配をそれほどせずに進学できる日はいつ来るのであろうか。それからあとは競争でよい。能力、努力によって差ができてよい。
社会にでるスタート線だけは同一にしてやりたいと思うのは「夏の夜の夢」なのだろうか。
この点、50年経た現在となっても、あまり変わっていなように思います・・・汗
ハンセン病の療養所のことも書かれていました。
彼らに元気をつけ、本当の自信をもたせ、能力をつけさす準備ができていないという事でした。
1996年4月の「『らい予防法』廃止に関する法律」が成立する前に書かれたわけですが、少しずつでも前進していると思いたいですネ・・・
ありがとうございました~!!!
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