書籍・雑誌

2018年1月 3日 (水)

「風に舞いあがるビニールシート」 (森絵都 著)を読んで

森絵都さんの直木賞受賞作品になります。

 

さらっと読めてしまいました!

 

短編集になります

・器を探して

・犬の散歩

・守護神

・鐘の音

・ジェネレーションX

・風に舞いあがるビニールシート

 

お正月のテレビで、芸能人が、

「家族」

「友人」

「仕事」

「お金」

「趣味」

「健康」

について、大切な順に順位を付けて、そのトップ3をメンタリストDaigoが当てるという番組がありました。

 

これって、ひとそれぞれ違いますが、一人一人もその時々で違うことがあると思います。

 

※あとがきより

 

「大切な何かのために懸命に生きる人たちの、6つの物語」

 

気分屋なオーナーパティシエに振り回され、恋人の機嫌を損ねながらも秘書としての“仕事”に奔走する「器を探して」の弥生。行き場を無くした犬を自宅で預かり、その里親を探すボランティアの活動費を稼ぐためスナックでアルバイトをしている「犬の散歩」の恵利子。高卒と大卒の生涯賃金の差を知り一念発起し、時間に追われるフリーター生活の傍ら大学の二部に通っている「守護神」の裕介。仏師になるという夢にやぶれ、仏像修復師となった「鐘の音」の潔。雑誌に掲載した商品のクレーム処理のため、謝罪に向かう「ジェネレーションX」の健一の石津。外資系投資銀行から収入の面では大幅にダウンする国連難民高等弁務官事務所の一般職に転職した表題作「風に舞いあがるビニールシート」の里佳と、危険と隣り合わせのフィールドで、獰猛な風に簡単に吹き飛ばされそうな難民たちを救うべく戦い続けるエド。

主人公たちはみな「大切な何か」を抱え、そのために「懸命に生きている」。けれど、彼らの「大切なもの」は一様ではなく、それに気付く過程も、対峙する姿勢も違います。

大切なものは、たったひとつだけではなく、いくつもあって、優先順位をつけるのはとても難しいものです。

本書には、その迷いが、葛藤が、そして決意が、主人公たちが過ごす日常のなかで描かれていて、その遠くて近い彼らの姿に心強さを受けるのです。

 

ありがとうございました!

 

m(_ _)m

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2017年12月30日 (土)

「武曲」 藤沢周著 を読んで

「武曲(むこく)」とは、北斗七星の中の“二連星”。

 

「連星」とは2つの恒星が両者の重心の周りを軌道運動している天体である。双子星とも呼ばれる。連星は、地球から遠距離にあると、一つの恒星と思われ、その後に連星である事が判明する場合もある。この2世紀間の観測で、肉眼で見える恒星の半数以上が連星である可能性が示唆されている。

 

登場人物は、

「殺人刀」の遣い手と懼れられた父・将造との関係でアルコール依存症となった矢田部研吾。

現在は、警備員をしながら、北鎌倉高校で剣道部のコーチを務める。

矢田部研吾は、北鎌倉高校二年生の羽田融に父親と同じ天性の剣士を見た。

 

“二連星”は、将造と研吾、研吾と融になると思います。

 

そして、“剣道”“禅”は関係があり、「山岡鉄舟」のことが書かれていました。

ここで「山岡鉄舟(18361888)」について

江戸末期から明治の剣術家・政治家。江戸の人。通称、鉄太郎。旧幕臣で無刀流剣術の流祖。戊辰戦争の際、勝海舟の使者として西郷隆盛を説き、西郷・勝の会談を実現させて江戸城の無血開城を導いた。明治維新後、明治天皇の侍従などを歴任。

「臨機応変の妙用は,無念無想の底より来る」(西郷隆盛との会見についての述懐)

 

山岡鉄舟は、

【余の剣法や,ひたすら其の技をこれ重んずるに非ざるなり,その心理の極致に悟入せんことを欲するにあるのみ。換言すれば,天道の発源を極め,併せて其の用法を弁ぜんことを願うにあり。猶切言すれば見性悟道なるのみ】と,「剣禅一如」の実境涯に体達し,かく申されております

 

そして、【剣禅一致】とは、今より、約300年前、沢庵(たくあん)和尚の「不動智神妙録」にある語

“剣道”の究極の境地は,“禅”の無念無想の境地と同じであるということ。

 

【剣道は,剣の理法の修錬による人間形成の道である】という剣道理念を作りました。

これで行けば沢庵和尚の『不動智神妙録』もここであり,“剣”も“禅”も同じく人間形成の道であり,剣禅一如であります

 

“剣”を学ぶ者はまず正脈の師について「剣禅一如」の正法を学び,まず正しく楽しい人間個人の形成,更に仲良き人間社会の形成を目的として修行鍛錬あるべしと,山岡先生の老婆心であります。

 【附して言ふ,此法は単に剣法の極意のみならず,人間処世の万事一つも此規定を失すべからず。此呼吸を得て以て軍陣に臨み,之を得て以て大政に参与し,之を得て以て教育宗教に施し,之を得て以て商工農作に従事せば,往くとして善ならざるはなし。是れ余が所謂,剣法の秘は,万物太極の理を究むると云う所以なり。明治151月 山岡鉄太郎誌】

 

「剣道」がしたくなる物語でした!

 

ありがとうございました~!

m(_ _)m

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2017年10月21日 (土)

「午前三時のルースター」 垣根涼介著 を読んで

これは、垣根涼介氏の2000年のデビュー作!

 

登場人物は垣根氏の経歴に似ている「旅行代理店」に勤務する“長瀬”、彼は得意先の中西社長に孫の慎一郎のベトナム行きに付き添ってほしいという依頼を受ける。慎一郎の本当の目的は、家族に内緒で、失踪した父親の消息を尋ねることだった。現地の娼婦・メイやタクシー運転手・ビエンと共に父親を探す一行を何者かが妨害する・・・・・最後に辿りついた切ない真実とは・・・

 

疾走感あふれるストーリー展開で、あっという間に読み終えました!

 

垣根氏34歳頃の作品で、少しギラギラしたところがあり、個人的には「君たちに明日はない」以降のギラギラ感の落ちた作品の方が好きかもしれませんが、これはこれでとても面白かったですヨ!!

 

また、垣根氏の小説は、男から見て、なにかかっこイイところがあるんですよネ!

 

ここでは、登場人物ではなくて、登場したクルマなどをご紹介!

 

“長瀬”の愛車、いすゞ自動車の「117クーペ」

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慎一郎の失踪した父親の愛車、いすゞ自動車の「ベレッタGT」とヤマハの「XS1100 midnight special

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ありがとうございました!

m(_ _)m

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2017年10月10日 (火)

「人生教習所」 垣根涼介著 を読んで

加藤周一氏の「読書論」によると、

“同じ世代の作家の本を読み続けてみると、読者が若い時には作家も若く、読者が年を取るにつれて作家も年をとってゆくので、その作家の発展を自分自身の興味の発展と並べながら、細かくたどることができるという”楽しみ”があります。

同じ時代をその作家と一緒に歩いてきたという感じがします。向こうも変わるが、こっちも変わる。それにもかかわらず、一種の精神的なつながりは維持されてゆく。書物を通して理解できる限りで、人間が生きてゆくということを理解するためにも、一人の作家と長く付き合うのは、よい方法だと思われます。“

 

なるほど!!

そこで、垣根涼介氏は自分よりも二つ年下ですが、ほぼ同じ世代!

読み始めたきっかけは「君たちに明日はない」シリーズでしたが、なんとなく共感できるナ、と思い読んできました。

ただし、ハードボイルド作品は、ちょっと苦手なので、まだ読んでいませんけどネ!

 

そこで、今回は2011年の作品「人生教習所」になります。

小笠原諸島の父島、母島の戦前、戦後の歴史を“横糸”に、

“人生セミナー小笠原塾”に参加する、東大生ですが、休学してひきこもりの“浅川太郎”、元ヤクザで現在無職の“柏木真一”、細々とフリーライターをしているリストカットの傷を持つ“森川由香”、定年退職しているが、それまでブラジルで生活をしていた“竹崎貞徳”の4人を“縦糸”にして織りなす物語でした!

 

よかったですヨ!

 

とくに、社会からはみ出している、浅川、柏木、森川が少しずつ成長していく過程の中で、竹崎が面白く味付けをしてくれています。

 

そして、父島、母島の沖縄とは異なる複雑な歴史も学ばせてくれます。

いつか行ってみたいナ、と思いました。

 

ありがとうございました!

 

m(_ _)m

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2017年9月10日 (日)

「目に見えないけれど大切なもの あなたの心に安らぎと強さを」 渡辺和子著 を読んで

本書は、2000年、渡辺和子さん、73歳の時に書かれたものとなります。

当時、7年ぶりに出された本と言うことでした。

理由は、

「この 7年間は、思いがけない病気をいただいて、病と共に生きた日々でした。膠原病にかかり、それが快方に向かったとき、薬の副作用もあってか、骨粗鬆症で胸椎を二つ圧迫骨折して、筋力が衰えてゆくときの苦しさを味わい、また、むき出しになった神経が与える、たとえようもない痛さも経験しました。」

「さらに、この7年間が私に与えてくれたものと言えば、どんな姿の自分も嫌うことなく、その自分と仲良く生きる勇気でした。他人の助けなしには、一寸したものさえも持ち上げる力をなくしてしまった、情けない自分を受け入れる勇気でした」

と、書かれていました。

 

では、お気に入りを!

 

こまった時に思い出され

用がすめば

すぐ忘れられる

“ぞうきん”

台所のすみに小さくなり

むくいを知らず

朝も夜もよろこんで仕える

“ぞうきん”になりたい

※河野進氏

 

最上のわざ

この世で最上のわざは何?

楽しい心で年をとり、

働きたいけれども休み、

しゃべりたいけれども黙り、

失望しそうなときに希望し、

従順に、平静に、おのれの十字架をになう。

若者が元気いっぱいで神の道を歩むのを見てもねたまず、

人のために働くよりも、

謙虚に人の世話になり、

弱って、もはや人のために役だたずとも、

親切で柔和であること。

老いの重荷は神の賜物、

古びた心に、これで最後の磨きをかける。

まことのふるさとへ行くために。

おのれをこの世につなぐくさりを

少しずつはがしていくのは、

真にえらい仕事。

こうして何もできなくなれば、

それを謙遜に承諾するのだ。

神は最後に一番よい仕事を残してくださる。

それは祈りだ。

手はなにもできない。

けれども最後まで合掌できる。

愛するすべての人のうえに、

神の恵みを求めるために。

すべてをなし終えたら、

臨終の床に神の声をきくだろう。

「来よ。わが友よ、われなんじを見捨てじ」と。

※『人生の秋に』 神父 ヘルマン・ホイウェルス氏

 

「共感」

人間関係を和やかにするのに、“「の」の字の哲学”というのがあります。

例えば、夫が会社から戻ってきて「ああ今日は疲れた」といった時に、知らん顔して、その言葉を聞き流したり、「私だって、一日結構忙しかったのよ」と自己主張したのでは、二人の間はうまくゆきません。その時に、「ああそう、疲れたの」と、相手の気持ちをそのまま受け入れてあげることが大切なのです。

 

わたしはを持っている

でも、そののところから

あなたのやさしさがしみてくる

※星野富弘氏

「すべてに“愛”をもって接することができるように日々努めること!」を言いたいように思いました。


ありがとうございました~!

m(_ _)m

 

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2017年9月 9日 (土)

「忘れかけていた大切なこと ほほえみひとつで人生は変わる」 渡辺和子著 を読んで

渡辺和子さんは、1927211日生まれで、昨年20161230日にすい臓がんで亡くなられています。

 

20169月まで学長や理事長の職務を果たしながら学生に講義を続けられたそうです。

2013年にすい臓がんと告知され、201610月末から1219日まで入院。退院翌日から勤務を再開。20164月には朝日新聞の取材に対し、「学生たちの前で倒れることが一番の私の願い」と語っていた。その言葉通り、最期まで教壇に立ち、教育に尽くし続けた人生だった。

 

亡くなられる直前まで、教育に尽くす姿、すごいです!

 

本書は、2005年、渡辺和子さん、78歳のときに書かれたものとなります。

 

では、お気に入りを!

 

「ほほえみが人を美しくする」

 

いつもにっこり笑うこと

ひとの身になって思うこと

自分の顔を恥じないこと

※真山美保作「泥かぶら」より

 

ほほえみは、まばたきといっしょ

むりにではなく、しかたなしにでなく

気づかずに、自然に

花の香りのように

※河野進氏

 

だれにだって

あるんだよ

ひとにはいえない

くるしみが

だれにだってあるんだよ

ひとにはいえない

かなしみが

ただ、だまっているだけなんだよ

いえば、ぐちになるから

※相田みつを 

 

「苦しみ『が』なくなるようにと願うのではなく、苦しみ『で』なくなるようにと心掛けてごらん」

苦しみ自体をなくすことはできない。苦しみは、どこにいても、何をしていても、ついて回る。だからこそ、この生きにくい世を、少しでも生きやすく自分で工夫するのだ。他人に楽にしてもらおうなどと考えるのは、甘えでしたかない。

 

「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むとわたしたちは知っている」 

※パウロより

 

「人間の自由とは、諸条件からの自由ではなくて、それら諸条件に対して自分のあり方を決める自由である」

※フランクル

 

「おかげさまで」

“枕詞”を忘れずに!

 

つまづいたり、ころんだりしたおかげで

物事を深く考えるようになりました

あやまちや失敗をくり返したおかげで

少しずつだが

人のやることを、温かい眼で

見られるようになりました

何回も追い詰められたおかげで

人間としての、自分の弱さと

だらしなさを

いやというほど知りました

身近な人の死に逢うたびに

人のいのちのはかなさと

いま、ここに

生きていることの貴さを

骨身にしみて味わいました

※相田みつを氏

 

「この星のもとに生きるのは、みずからの人生がいかなる道筋を辿るかを、孤独という代価を支払って学ぶことである」

※「道しるべ」みすず書房

 

「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和の砦を築かなければならない」

※ユネスコ憲章

 

「柔和で謙遜な者となりなさい」

※キリスト

 

ご冥福をお祈り申し上げます。

 

ありがとうございました~!

m(_ _)m

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2017年7月 8日 (土)

「政と源」 (三浦しおん著)を読んで

三浦しおん氏の著書は、自分には合うのと、なんとなく合わないのとがありますが、これは面白かったです!

 

共に73歳、幼なじみの堀源二郎こと“源”と有田国政こと“政”との物語。

三浦しおん氏が31歳から35歳の頃にかけての作品ですが、73歳の気持ちを上手に描いているように思いました。

 

“源さん”は、戦争と東京大空襲で親兄弟を失い、小学校を卒業していないが、美人で気立ての良い妻、花枝さんを迎えた。ところが、40代の時に病気で花枝さんも亡くして、天涯孤独となるが、つまみ簪(かんざし)職人として生きてきて、今は、ちょっとおバカな弟子の吉岡徹平と一緒に仕事をしている。

 

“政”は、大学を卒業して銀行に入り、お見合い結婚をして娘二人を授かったが、今は、娘二人は結婚して独立。妻、清子は、定年を迎えた夫を一人置いて、長女夫婦と暮らしている。仕事一筋で過ごしてきた結果でもあるが、今は一人自宅で生活をしている。

 

そんな“政”と“源”とその周りの人たちとの物語でした。

 

元気な73歳を迎えるためのバイブルかもしれません!

ありがとうございました!

m(_ _)m

 

最後に、簪(かんざし)とは、日本人女性の髪を飾った髪飾りのこと。特に江戸時代後期には様々な種類のかんざしがつくられ、髪を飾った。その中に、京都の舞妓や東京の半玉(年少芸妓(芸者の見習い))が身につけるつまみ簪(花簪)がある。現代では舞妓たちが使うほか、子供の七五三の飾りとして使われることが多い。

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2017年7月 1日 (土)

「逃げるは恥だが役に立つ シナリオブック」(野木亜紀子脚本、海野つなみ原作)を読んで!

マンガに加えて、「シナリオブック(脚本)」も読みました!

「脚本」なるものを初めて観ました!これを読みながら、テレビの動画を観ると、「あっ、そのままだ~!」、「あれっ、ちょっと違うゾ~!」とかあって、楽しめましたヨ!

 

また、“ロケ地紹介”もあり、行ってみたいナ~、と思いました。

百合ちゃんの勤務場所の一つのロケ地が「品川シーズンテラス」になります。ここは自分も毎日通っている勤務場所ですので、毎日行けていますネ~!

 

神保町の「酔の助」は、せんべろ風ですので、是非行ってみたいですネ!

 

還暦を過ぎたM先輩もマンガ全巻読んだと言われていましたが、シナリオブックは読まれたのかな~!?

 

ありがとうございました!

m(_ _)m

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2017年6月 4日 (日)

「増補版赤ペンチェック自民党憲法改正草案」 伊藤真著 を読んで

最初に、自分は“平和”を希求していますので「護憲派」になります。

そこで、気になることは、自衛のための“武力”を持たなくて大丈夫なのか。日米安全保障条約があるから大丈夫なのか、と言うことがあります。

 

それは、伊藤真氏のブログに書かれていました。

ちなみに、伊藤氏自身も「護憲派」になります。

 

推進していくことは難しいかもしれませんが、必要だと思いましたので、記録!!

 

「集団的自衛権」と「集団安全保障」との違い

自分の国を守るために、自国の軍備を拡大するとどうしても軍拡競争となり、かえって地域の軍事的緊張が高まります。紛争の火種を抱えることになり、地域の安全保障の障害になります。そこで、自国の戦争する権利を制限して、周辺諸国と信頼し協力しあうことで「安全保障」を実現しようという試みが生まれたのです。

 

独立国家としての主権を制限することによって、むしろ国家の安全を守ろうとするのですから、これまでの自衛権の発想とはずいぶんと方向性が違います。むごい戦争を経験した人類が到達したひとつの知恵といってもいいかもしれません。これが「集団安全保障」という考え方です。

 

 「集団安全保障」というのは、多くの国があらかじめ友好関係を結び、相互に武力行使を禁止すると約束して、お互いの国家主権を制限します。もし万が一、この約束を破って他国を侵略する国があれば、侵略された国が自衛権を行使して反撃するのではなくて、他のすべての国が協力してその侵略を止めさせようとするのです。

 

「集団的自衛権」は、同盟国の敵を自分の敵として反撃しようとするので、同盟国だけで結束し、それ以外は敵とみる、いわば排除の論理を前提にしていますが、「集団安全保障」は、仲間を信頼して、共同して問題を解決しようという共生の論理を前提にしています。その前提とする発想がまったく逆向きなのです。

 

国連憲章は、先に述べたようにこの「集団安全保障」を原則としました。国際政治の現実への妥協から自衛権の行使を禁止することはできませんでしたが、あくまでも集団安全保障の方向で問題を解決しようという姿勢は明確です。

 

その後、1946年に制定されたフランス憲法でも「平和の組織および防衛に必要な主権の制限に同意する」として、個々の国が自分たちの力だけで、自国を守るという伝統的な発想から解放されたのです。その後ドイツでも安全保障のために国家主権を制限する憲法を制定します。

 

そして、こうした「集団安全保障」のために国家主権を制限するという発想は、幣原喜重郎によって提案された日本国憲法9条と前文に端的に現れています。日本は国家主権としての戦争を放棄し、自国の安全を維持する手段としての戦争も放棄したのです。

 

現在の潮流にある集団安全保障の考え方

以上のように、独立国家だから、自分の国を自分たちでまもらなければならないという考え方は、自分たちだけで守るべきだという意味であれば、それは時代遅れの発想ということになります。世界の流れは、たとえ国家の主権を制限しても、「集団安全保障」のしくみをいかに構築していくかに焦点が移っているのです。

 

もちろん、ヨーロッパでも移民の問題や人種、宗教の問題など、“安定した集団安全保障の仕組み”を作り上げるには、まだまだ多くの難問を抱えています。国連も十分に機能しているとはいえません。しかし、他国と協力して集団安全保障を図っていこうとする枠組み自体は否定されていません。地続きのヨーロッパでは自国の軍事力だけで自国を守ろうとすることがいかに非現実的かよくわかっているからでしょう。

 

日本も、アジアの一員として存在し続けるためには、大陸や朝鮮半島の国々と協力関係を築き、アジアにおける「集団安全保障」の枠組みをいかに構築するかという大きなテーマを議論する時期に来ているように思われます。アジアでは、経済問題のみならず、エネルギー問題、環境問題、自然災害対策など私たちの生存に必要な課題が山ほどあります。

それらの問題を軍事力強化によって解決できるとはとても思えません。

 

こうした我々の生存や生活を脅かすあらゆる脅威からの安全を確保するためには、アジア各国との信頼関係、協力関係の構築は不可欠のはずです。そのときに他国の軍拡路線に惑わされて、日本の基本的な軸がぶれることは、日本のみならず、アジア、ひいては世界の安全保障に大きなダメージを与えることになるでしょう。

 

自国の住民を守るために、国家の主権すら制限し、より広い範囲で広い意味の安全を確保するための努力が必要だと考えます。

感情論ではなく、理性と知性によって、より安全に快適に暮らせる社会をつくることに努力するべきです。そうした知性を発揮することは、国力を高めることにもつながり、日本が国際社会において名誉ある地位を占めることにつながるのです。

私たちひとり一人が、他国の脅威論やわかりやすい暴力肯定論に惑わされるのではなく、本当に必要なことは何かをしっかりと具体的に考えることが必要です。そのために憲法9条は重要な意味を持っているのです。

 

より詳しくはコチラ

http://www.magazine9.jp/article/juku/7432/

 

ありがとうございました~!

m(_ _)m

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2017年5月28日 (日)

マザー・テレサ 愛と祈りのことば 渡辺和子訳

マザー・テレサの「語録」となります。訳をされた、渡辺和子さんは「置かれた場所で咲きなさい」、「面倒だから、しよう」を書かれていましたネ!

マザー・テレサが来日されたときに、通訳も務められていて、スゴイですね~!

 

そこで、お気に入りを記録!

ちなみに、自分はクリスチャンではありませんが、とても良かったです!

 

注がれる神の愛に心を開いてください。神はあなた方を優しく愛していてくださいます。そして、神からいただいたものは、錠をかけてしまい込んでおくものではなく、人々と分かち合うためのものなのです。貯めれば貯めるほど、与える機会を失ってしまいます。持ち物が少ないほど、人々と分かち合うことも易しくなります。何かをくださいと神にお願いするとき、同時に寛大な心にしてくださいというお願いもしましょう。

 

男女を問わず、自分のお金をかに貯めるかで悩んでいる人々は、“真の貧者”です。もし、自分の手許にあるお金を他人に与えようとするなら、その時、その人は富者、“真の意味で豊かな人”になれるのです。

 

私たちにとって、「清貧」とは自由を意味しています。全きの自由です。神の愛の宣教者たちが所有しているものは、財産としてではなく、使用しているものとしてのみあるのです。

 

私たちは忙しすぎます。だから“お互いに見つめ合う時間”も、“互いにほほえみ合う時間”も持ち合わせていないのではないでしょうか。

 

大切なことは、たくさんのことをし遂げることでも、何もかもをすることでもありません。大切なことは、いつでも何に対しても“喜んでする気持ち”があるかどうかなのです。貧しい人々に奉仕しているとき、私たちは神に仕えているのだと確信していることなのです。

 

今日、世界中の国々は国境警備に努力を払い、工夫を凝らしています。しかしながら、同じ国々は、そのようにして守っている自国の内部で、人々がどれほど貧困と苦しみのために淋しい思いをしているかについてはほとんど知っていません。彼らの努力をこれら無防備の人々へいくばくかの食物、避難所、医薬、衣類に振り替えていたなら、世界は必ずやより平和で、より幸せなものになることでしょう。

 

私たちのために十字架上で死に給うたキリストの姿から、私たちは、「苦しみ」と言うものは大きな愛と、考えられないほどの寛大さに変容しうるということを、確信できるようになりました。

 

神が私に望んでいらっしゃるのは、事業を成功させることではなく、忠実に生きることなのです。

神に相対して生きているとき、大切なのは「結果」ではなく、「忠実さ」なのです。

 

「傲慢さ」は、すべてを壊してしまいます。イエスのように生きる秘訣は、“心の柔和で謙遜な人”になることです。

 

「愛は近きより」ということを忘れないようにしましょう。

 

何でもない「ほほえみ」が及ぼす効果には、計り知れないものがあります。

 

ありがとうございました!

m(_ _)m

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