書籍・雑誌

2017年6月 4日 (日)

「増補版赤ペンチェック自民党憲法改正草案」 伊藤真著 を読んで

最初に、自分は“平和”を希求していますので「護憲派」になります。

そこで、気になることは、自衛のための“武力”を持たなくて大丈夫なのか。日米安全保障条約があるから大丈夫なのか、と言うことがあります。

 

それは、伊藤真氏のブログに書かれていました。

ちなみに、伊藤氏自身も「護憲派」になります。

 

推進していくことは難しいかもしれませんが、必要だと思いましたので、記録!!

 

「集団的自衛権」と「集団安全保障」との違い

自分の国を守るために、自国の軍備を拡大するとどうしても軍拡競争となり、かえって地域の軍事的緊張が高まります。紛争の火種を抱えることになり、地域の安全保障の障害になります。そこで、自国の戦争する権利を制限して、周辺諸国と信頼し協力しあうことで「安全保障」を実現しようという試みが生まれたのです。

 

独立国家としての主権を制限することによって、むしろ国家の安全を守ろうとするのですから、これまでの自衛権の発想とはずいぶんと方向性が違います。むごい戦争を経験した人類が到達したひとつの知恵といってもいいかもしれません。これが「集団安全保障」という考え方です。

 

 「集団安全保障」というのは、多くの国があらかじめ友好関係を結び、相互に武力行使を禁止すると約束して、お互いの国家主権を制限します。もし万が一、この約束を破って他国を侵略する国があれば、侵略された国が自衛権を行使して反撃するのではなくて、他のすべての国が協力してその侵略を止めさせようとするのです。

 

「集団的自衛権」は、同盟国の敵を自分の敵として反撃しようとするので、同盟国だけで結束し、それ以外は敵とみる、いわば排除の論理を前提にしていますが、「集団安全保障」は、仲間を信頼して、共同して問題を解決しようという共生の論理を前提にしています。その前提とする発想がまったく逆向きなのです。

 

国連憲章は、先に述べたようにこの「集団安全保障」を原則としました。国際政治の現実への妥協から自衛権の行使を禁止することはできませんでしたが、あくまでも集団安全保障の方向で問題を解決しようという姿勢は明確です。

 

その後、1946年に制定されたフランス憲法でも「平和の組織および防衛に必要な主権の制限に同意する」として、個々の国が自分たちの力だけで、自国を守るという伝統的な発想から解放されたのです。その後ドイツでも安全保障のために国家主権を制限する憲法を制定します。

 

そして、こうした「集団安全保障」のために国家主権を制限するという発想は、幣原喜重郎によって提案された日本国憲法9条と前文に端的に現れています。日本は国家主権としての戦争を放棄し、自国の安全を維持する手段としての戦争も放棄したのです。

 

現在の潮流にある集団安全保障の考え方

以上のように、独立国家だから、自分の国を自分たちでまもらなければならないという考え方は、自分たちだけで守るべきだという意味であれば、それは時代遅れの発想ということになります。世界の流れは、たとえ国家の主権を制限しても、「集団安全保障」のしくみをいかに構築していくかに焦点が移っているのです。

 

もちろん、ヨーロッパでも移民の問題や人種、宗教の問題など、“安定した集団安全保障の仕組み”を作り上げるには、まだまだ多くの難問を抱えています。国連も十分に機能しているとはいえません。しかし、他国と協力して集団安全保障を図っていこうとする枠組み自体は否定されていません。地続きのヨーロッパでは自国の軍事力だけで自国を守ろうとすることがいかに非現実的かよくわかっているからでしょう。

 

日本も、アジアの一員として存在し続けるためには、大陸や朝鮮半島の国々と協力関係を築き、アジアにおける「集団安全保障」の枠組みをいかに構築するかという大きなテーマを議論する時期に来ているように思われます。アジアでは、経済問題のみならず、エネルギー問題、環境問題、自然災害対策など私たちの生存に必要な課題が山ほどあります。

それらの問題を軍事力強化によって解決できるとはとても思えません。

 

こうした我々の生存や生活を脅かすあらゆる脅威からの安全を確保するためには、アジア各国との信頼関係、協力関係の構築は不可欠のはずです。そのときに他国の軍拡路線に惑わされて、日本の基本的な軸がぶれることは、日本のみならず、アジア、ひいては世界の安全保障に大きなダメージを与えることになるでしょう。

 

自国の住民を守るために、国家の主権すら制限し、より広い範囲で広い意味の安全を確保するための努力が必要だと考えます。

感情論ではなく、理性と知性によって、より安全に快適に暮らせる社会をつくることに努力するべきです。そうした知性を発揮することは、国力を高めることにもつながり、日本が国際社会において名誉ある地位を占めることにつながるのです。

私たちひとり一人が、他国の脅威論やわかりやすい暴力肯定論に惑わされるのではなく、本当に必要なことは何かをしっかりと具体的に考えることが必要です。そのために憲法9条は重要な意味を持っているのです。

 

より詳しくはコチラ

http://www.magazine9.jp/article/juku/7432/

 

ありがとうございました~!

m(_ _)m

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2017年5月28日 (日)

マザー・テレサ 愛と祈りのことば 渡辺和子訳

マザー・テレサの「語録」となります。訳をされた、渡辺和子さんは「置かれた場所で咲きなさい」、「面倒だから、しよう」を書かれていましたネ!

マザー・テレサが来日されたときに、通訳も務められていて、スゴイですね~!

 

そこで、お気に入りを記録!

ちなみに、自分はクリスチャンではありませんが、とても良かったです!

 

注がれる神の愛に心を開いてください。神はあなた方を優しく愛していてくださいます。そして、神からいただいたものは、錠をかけてしまい込んでおくものではなく、人々と分かち合うためのものなのです。貯めれば貯めるほど、与える機会を失ってしまいます。持ち物が少ないほど、人々と分かち合うことも易しくなります。何かをくださいと神にお願いするとき、同時に寛大な心にしてくださいというお願いもしましょう。

 

男女を問わず、自分のお金をかに貯めるかで悩んでいる人々は、“真の貧者”です。もし、自分の手許にあるお金を他人に与えようとするなら、その時、その人は富者、“真の意味で豊かな人”になれるのです。

 

私たちにとって、「清貧」とは自由を意味しています。全きの自由です。神の愛の宣教者たちが所有しているものは、財産としてではなく、使用しているものとしてのみあるのです。

 

私たちは忙しすぎます。だから“お互いに見つめ合う時間”も、“互いにほほえみ合う時間”も持ち合わせていないのではないでしょうか。

 

大切なことは、たくさんのことをし遂げることでも、何もかもをすることでもありません。大切なことは、いつでも何に対しても“喜んでする気持ち”があるかどうかなのです。貧しい人々に奉仕しているとき、私たちは神に仕えているのだと確信していることなのです。

 

今日、世界中の国々は国境警備に努力を払い、工夫を凝らしています。しかしながら、同じ国々は、そのようにして守っている自国の内部で、人々がどれほど貧困と苦しみのために淋しい思いをしているかについてはほとんど知っていません。彼らの努力をこれら無防備の人々へいくばくかの食物、避難所、医薬、衣類に振り替えていたなら、世界は必ずやより平和で、より幸せなものになることでしょう。

 

私たちのために十字架上で死に給うたキリストの姿から、私たちは、「苦しみ」と言うものは大きな愛と、考えられないほどの寛大さに変容しうるということを、確信できるようになりました。

 

神が私に望んでいらっしゃるのは、事業を成功させることではなく、忠実に生きることなのです。

神に相対して生きているとき、大切なのは「結果」ではなく、「忠実さ」なのです。

 

「傲慢さ」は、すべてを壊してしまいます。イエスのように生きる秘訣は、“心の柔和で謙遜な人”になることです。

 

「愛は近きより」ということを忘れないようにしましょう。

 

何でもない「ほほえみ」が及ぼす効果には、計り知れないものがあります。

 

ありがとうございました!

m(_ _)m

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2017年5月13日 (土)

「青の数学」 王城夕紀著 を読んで

“数学”という言葉に魅かれて読んでみましたヨ!

“数学”へのひたむきな想いをぶつける少年少女たちを描く青春小説でした!

 

著者の玉城氏は、理科系ではなく、早稲田大学文学部出身。だから、「本」が書けるのかもしれませんが“数学”への興味も強いのですネ!

自身が理科系でありながら、知らないことが、いっぱいありました。

 

今後のために、記録しておきます。

 

2つの正の立方数の和として2通りの形で表すことのできる最小の数(ハーディ=ラマヌジャン数)について

 

 1729 = 13 + 123 = 93 + 103

 シュリニヴァーサ・ラマヌジャンの逸話で知られる。

 ただし負の立方数も含めれば、絶対値が最小であるのは 0 1 を除くと91である91 = 63 + (−5)3 = 43 + 33

 

ゴールドバッハ予想

 

全ての 2 よりも大きな偶数は二つの素数の和として表すことができる。

 

この予想は、4 × 1018 まで成立することが証明されていて、一般に正しいと想定されているが、多くの努力にもかかわらず未だに証明されていない。

 

フィボナッチ数列

始めに0があり、その01をたして1になり、11をたして2になり、と続く。

An+2 = An + An+1の関係にある数列。

0, 1, 1, 2, 3, 5, 8, 13, 21, 34, 55, 89, 144, 233, 377, 610, ・・・・・。

An+1÷An=1.618…と「黄金比」になっていく。

 

完全数

正の整数 n について,約数の総和 S(n) n の二倍となるとき、n を完全数という。

 

6 は完全数

約数は 1,2,3,6 で全て足すと12となるから

496」は完全数

約数は 1,2,4,8,16,31,62,124,248,496 で全て足すと 992となるから

素数 pは完全数でない

約数は1pだが、1+p=2p となる素数は存在しないから

 

メルセンヌ数の求め方は、1234、…という自然数をnとした時に、2n1の式で求めることができます。この答えがメルセンヌ数です。

このメルセンヌ数が素数の時、その素数を「メルセンヌ素数」と言う。

 

n=2の場合 22−1=3←メルセンヌ素数

n=3の場合 23−1=7←メルセンヌ素数

n=4の場合 24−1=15←これは違う

n=5の場合 25−1=31←メルセンヌ素数

 

ギリシャの三大難問

以下を、目盛りのない定規とコンパスのみ使って作図せよ

問題1

与えられた立方体の体積の2倍の体積を有する立方体を作れ

 

問題2

任意に与えられた角を三等分せよ

 

問題3

与えられた円と、等しい面積を有する正方形を作れ

 

結果はどれも「作図不可能」と証明されている。

 

なかなか骨のある「本」でした。

 

ありがとうございました!

 

m(_ _)m

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2017年2月11日 (土)

「容疑者Xの献身」 東野圭吾著 を読んで

東野圭吾氏の「秘密」がよかったので読んでみました!

「容疑者Xの献身」は2006年の直木賞受賞作でもあります。

 

こちらもよかったですネ!

泣けます!

読み終えた後にネットで映画も観て、原作とは少し違っていましたが、こちらも泣けました!!

 

物理学者 湯川学と数学者 石神哲哉との頭脳対決。どちらも「天才」。

 

事件を解く二人の会話はコチラ。

 

最初に湯川が言う。

「あの時、君は言った。ホームレスの連中を見て、彼らは時計のように正確に生きている、と、覚えているかい」

「覚えている。人間は時計から解放されるとかえってそうなる―――これはお前の台詞だ」

 

「僕や君が時計から解放されることは不可能だ。お互い、社会と言う時計の歯車に成り下がっている。歯車が無くなれば時計は狂いだす。どんなに自分一人で勝手に回っていたいと思っても、周りがそれを許さない。そのことで同時に安定というものも得ているわけだが、不自由だと言うのも事実だ。ホームレスの中には、元の生活に戻りたくないと思っている人間も結構いるらしい」

「そんな無駄話をしていると、二、三分なんてすぐ経つぞ」石神は時計を見た。「ほら、もう一分経った」

「この世に無駄な歯車なんかないし、その使い道を決められるのは歯車自身だけだ、ということを言いたかったんだ」湯川は石神の顔をじっと見つめてきた。

 

主役は物理学者の湯川ですが、数学者の石神は、他人の歯車を壊すと言う、決してしてはいけない罪を犯してしまいましたが、理系特有の?奥手でとてもピュアなところがあって、よかったです!

 

あとは「本」読んでください!

 

さて、物語では、湯川が帝都大学理学部物理学科出身、石神は同大学数学科出身であり、著者の東野圭吾氏も大阪府立大学の電気工学科卒でした。自分も一応理学部卒ですが、理系に関する記載を記しておきたいと思います!

 

「理系はモノに拘りが無い!(ヒトが多い)」

湯川はインスタントコーヒーばかりを飲んでいましたが、茶渋で汚れたコップを使っており、それで友人の刑事にもふるまっています。

一応、湯川は服装に気を使っている設定ですが、大学時代の格好が「髪は肩まで伸ばし、シャツの胸元をはだけ、首には金色のネックレスをつけていた」とあり、ダサいですよネ~。石神はネクラ的な設定ですし、部屋が汚い。

それでも映画では湯川役が福山雅治氏で、石神役が堤真一氏でしたので、とてもカッコ良すぎで、ちょっと物語と違うところでしたネ!

 

「エルデッシュ信者」

ポール・エルデシュ(1913326 - 1996920日)はハンガリーのブダペスト出身の数学者。生涯に約1500篇の論文(多くは共著)を発表した。これ以上に多数の論文を発表した数学者はレオンハルト・オイラーのみである。プリンストン大学、ノートルダム大学などで教職に就いた。

「博物館に行ってもついていくのは彼の体だけだった」等、数学への情熱を具体的に示すような言葉が多くあり、彼がいかに純粋な研究者であったかが窺われる。いつ寝ているか分からないほど数学に没頭していたらしく、一日19時間数学の問題を考えていたと言われている。

よい定理には美しく自然で簡明な証明が必ずある、という信念を持っていた。「四色問題」についても、おそらく正しいだろうと認めつつ、その証明は美しくないと語っていた。

 

そして、「四色問題」とは

「地図で、隣り合う国を異なる色で塗り分けるには最低何色必要か(ここに、どの国も飛地をもたずつながっているものとし、また海も一つの国とみなすものとする。もちろん相隣る国には異なる色を使うが、2国の境が有限個の点である場合は同じ色を塗ってもよいとする。)という数学の証明問題。1840年にメビウス、1850年にガスリー兄弟が提出。ケーリーが79年に再提出。四色あればよいらしいことは経験的にわかっていたが、1976年ハーケンとアッペルにより大型コンピューターを用いて証明された。

 

そして、湯川は学生に対して言う。

「あの試験の本質は、物性論ではなく素粒子論にある。だからそちらからもアプローチして欲しかった。物性論の試験だからといって、ほかの理論は無用だと決めつけるな。それではいい学者になれない。思い込みはいつだって敵だ。見えるものも見えなくしてしまうからな」と。

ここで、

「物性物理学」とは、固体や液体など、凝縮系の性質を研究対象にしています。多数の原子や分子が 集まってできているこのような多体系には、個々の構成要素がもつ性質とは異なった新しい 現象が現れます。

「素粒子物理学」とは、物質の最も基本的な構成要素(素粒子)とその運動法則を研究対象とする物理学の一分野である。

 

なるほど~、昔、アインシュタインの本を読んだことがありました。相対性理論は素粒子物理学になりますネ!

 

数学のミレニアム問題も出てきました!

全部で7題あるそうですが、下記とのこと。物語では、①、②が出てきました。

 

が、しかし、でも、その問題の意味すら分かりません・・・一応応用数学科を出たのにナ・・・

 P≠NP予想

 リーマン予想

 ポアンカレ予想(ロシアの数学者であるグリゴリー・ペレルマンにより解決済)

 ナビエストークス方程式

 バーチ・スウィンナートンダイアー予想(BSD予想)

 ホッジ予想

 ヤン-ミルズ方程式と質量ギャップ問題

 

ありがとうございました!

 

m(_ _)m

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2017年2月 4日 (土)

『細川ガラシャ夫人』(三浦綾子著)を読んで その2

現在、遠藤周作氏著書の「沈黙」が映画化、公開されています。

遠藤周作氏もクリスチャンであり、三浦綾子氏もクリスチャンでした。

 

「沈黙」は、徳川幕府時代、島原の乱(16371638年)後のキリスト教禁教令下の話となります。

 

「細川ガラシャ夫人」は、その約40年前(細川ガラシャは1600年逝去)の秀吉によるキリスト教禁教下となります。

 

秀吉の場合は、家康とは異なり、キリスト教にこだわると言うよりも、自分の利益になると思えば許し、そうでないと思えば弾圧を実施していたようです。

「高山右近」、「黒田官兵衛」はキリシタン大名でしたが、秀吉にとってはとても優秀な部下であったため、大丈夫だったようです。

 

その後、秀吉は1598年に逝去、黒田官兵衛は関ヶ原の戦い(1600年)で徳川家康に付き活躍するも1604年に逝去(享年57歳)。高山右近はその後も生きましたが、1612年の家康による禁教令により、日本国外マニラに追放となっています。

 

そして「沈黙」の時代へと続いていきます。

徳川幕府は今のトランプ政権と似ていて「鎖国」をしたくらいですから、非常に排他的であったのだと思います。

日本ファースト!?と言うのでしょうか。とてもイイことだとは思えませんネ!

フェアフィールドであるべきですよネ!

 

あと、キリスト教に関して、織田信長も豊臣秀吉と似たところがあります。

信長は「延暦寺焼打ち」をしたほど“仏教”への嫌悪があったことから、キリスト教は認めていました。その一方で、「高山右近」を降伏、そして自分の部下とするために「開城をしなければ、キリスト教を弾圧する」と脅迫をしていたそうです。

 

「沈黙」は、キリシタンが迫害、弾圧、拷問をされても、神は“沈黙”をしたままと。

さて、その真理は・・・

 

「映画」はちょっと見れないようなシーンがあるかもしれないので、「本」を読んでみようかナ~。

 

ありがとうございました!

m(_ _)m

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2017年1月28日 (土)

『細川ガラシャ夫人』(三浦綾子著)を読んで

今でいう「戦争」・・・

の無かった年はない戦乱の世に生を受けた、細川ガラシャの一生となります。

興味ある戦国武将の一人『明智光秀』の娘になります。

 

登場人物について

 

明智光秀:細川ガラシャの父

領地では善政を行ったと言われています。

後年において、信長に所領をすべて召し上げられたこと。これまでの光秀のみならず仲間への傍若無人な振る舞いもあり、本能寺で信長を倒す。その後、光秀も秀吉に追われて死す。享年56歳頃

 

明智煕子(ひろこ):細川ガラシャの母

「月さびよ明智が妻の話せん」(松尾芭蕉)

【明智光秀が出世する前、貧しかった頃に、順番に家を訪れ食事をしながら話をすると言うもの、今でいえば、持ち回りの家での懇親会)を催すお金がなく、集まる人をもてなす料理の準備もままならない。そこで妻は長く美しい黒髪を切り売ってその代金とした。その料理は他家のものより立派な食事で、光秀は面目を保った】
と言う逸話があり、芭蕉が奥の細道の旅を終えて伊勢の遷宮参詣をした際、又幻と言う人のお宅に一泊した。そのとき、貧しいにもかかわらず又幻夫婦の暖かいもてなしを受けた芭蕉は感激して、この句を詠んだそうです。
『寂しい月明りのもとですが、明智光秀の妻の昔話をしてあげましょう。(あなたのその心掛けは、必ず報われる日が来ますよ)』
と言う意味。

できた妻ですね。そして、光秀も生涯側室を置くことなく、煕子一筋とのこと。

光秀死後、すぐに城内で、ガラシャの二人の弟、そして姉の倫と共に亡くなった。そして、織田信澄に嫁いでいた次姉菊も亡くなっている。

ガラシャだけが光秀の死後も夫忠興の考えで幽閉させることで、今しばらく生きることとなる。

 

お登代煕子の母、ガラシャの祖母になる。光秀にとっても、とても優しい母であったが、信長の命によって、人質に差し出していたが、信長の気変わりによって、殺されてしまう。

 

細川ガラシャ(玉子):ガラシャは洗礼名、絶世の美女とも言われている。父母兄弟を失ってから5年後の25歳のときに受洗。その12年後の1600、夫忠興出陣中に石田光成軍の人質要請にあい、それを拒否。キリシタンであるため自死はできず、家臣に刺してもらい命を絶つ。享年37歳。

熊千代:ガラシャの長男

お長:ガラシャの長女

細川忠興(ただおき):ガラシャの夫。ガラシャの美しさに魅せられたが、ガラシャが幽閉されていた間、一人おりょうと言う側室を置いた。ガラシャが戻ってきて以降は、ガラシャ一筋に戻り、ガラシャ死後45年生きたが、独り身を貫いたとのこと。

ただし、嫉妬深い。

忠興とガラシャが朝食をとっている時に、屋根の修理をしていた職人が、軒から顔を差し出して、美人と評判のガラシャを盗み見ようとして、体の平衡を失って地に落ちた。その場で、忠興は首をはねたと言う。

また、ガラシャが受洗したと聞いた時には、怒り抑えられずに待女二人の鼻を削いでいる。

こんな人間が長生きするようで、ガラシャ死後、45年、83歳まで生きている。

 

細川藤孝:忠興、興元の父。藤孝も側室をとらず、妻、麝香(じゃこう)一人のみ。

ガラシャは人質となるのを拒み自害したが、その行動に影響を受けて、翌年の1601年に、麝香は洗礼を受けた。洗礼名は細川マリア。

 

細川興元:忠興の弟、兄忠興の妻となったガラシャを心の中で愛した。そして、受洗もしている。興元は忠興に申し出て、ガラシャの次男与五郎を養子とした。その後、紆余曲折があり、最後に与五郎は、父忠興に切腹を命ぜられている。が、キリスト教信者となっていた与五郎は、自殺行為であるその命に服さなかった。そのため忠興に切り捨てられ33歳で亡くなっている。

興元は、兄忠興との不仲もあり、分家独立し、ガラシャ死後、19年後に亡くなる。

 

細川伊也:忠興、興元の妹

伊也は14歳で一色家との政略結婚をさせられた。結婚一年後に父藤孝、兄忠興に謀られ、宴の席で、忠興に伊也の夫は切り殺される。この時代には珍しい事件ではない。

 

初之助:玉子との幼なじみ。ただし、身分の差があった

お倫:ガラシャの姉。戦乱の世に従順な長女として、けなげに生きた

 

織田信長:明智光秀の主君でありながら、光秀に本能寺で倒される

織田信長の傍若無人ぶりを書きとめておきたい

 「このキンカ頭、酒宴の興を破る気か!」と光秀を罵り、喉元に槍を突きつけた。キンカ頭とは、禿げかけた光秀の頭を、信長が罵るときによくいった言葉

 光秀の頭をひきすえて扇子で打擲(ちょうちゃく)したり、欄干に頭を打ち続けたり、幾度むごい仕打ちを与えたか分からない。

 光秀、藤孝の武士仲間であった荒木村重、その一族郎党全員を極刑にしている。村重自身は逃げ延びて、信長死後、茶人として復活するも最期は自害する。

 安土城を留守にした間、待女が街見物をしたことに怒り、待女たちをみな殺し、とりなそうとした寺の僧まで殺してしまった。

 

高山右近キリシタン大名。キリスト教を禁教とし激動する時代の波に翻弄され続けたかにみえるその生涯、しかし、右近自身は、確固とした信仰者へと成長し、それを生き抜いた人であった。

秀吉からの棄教命令を拒否して大名としての地位や領地を失い、徳川家康によるキリシタン国外追放令により母国を追われたが、信仰を捨てなかった確固とした信仰の人であった。黒田官兵衛(孝高)、細川ガラシャがキリスト教信者になる影響を与えた。

 

正に「戦国の世」ですね。

これからの「日本」も今のままではヤバいですネ。

 

「逃げる恥だが役に立つ」で、平匡が「平穏でありたい」と言っていましたが“平和”でありたいですネ!

 

続く・・・

m(_ _)m

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2017年1月22日 (日)

「秘密」 東野圭吾著 を読んで

初めて東野圭吾氏の本を読んでみました!

殺人事件などの犯罪ミステリーはほとんど読みませんが、「秘密」のように、ほっこり型ミステリーは好きなので、読んでみました!

 

大変よかったです!あっという間に読めました!

 

1999年、東野氏40歳頃の作品になります。

 

舞台はバブルに向けて経済が活況していた1985年。

杉田平介 40歳、妻 直子 36歳、娘 藻奈美 10歳の家族の物語から始まる。

 

直子と藻奈美が、長野の直子の実家へ帰る途中に交通事故に遭う。

その事故で、直子は事故死。その魂が、からだは無事だが、呼吸ができずに“脳”に影響を与えてしまう藻奈美に乗り移る。

 

からだは10歳で中身は36歳の直子(藻奈美)が生還する。

 

10歳の直子(藻奈美)が25歳になるまでの物語でした。

 

「解説」より。

中年の男性である「平介」の心の揺れと、幼い女の子から少女にそうして娘へと成熟していく肉体を持たされた「直子」の心の揺れを細やかに明瞭に伝えてきます。

 

平介は、娘の肉体を持った妻を抱けるか。妻はどう感じているのか。

>直子は36歳から10歳のからだになってしまう。

>ここで、平介との年差は30歳! 

>からだが実の娘となると難しいかもしれませんネ。

>もし娘でなければ、30歳差カップルはあり得ると思いますが、

>石田純一さんと東尾理子さん(22歳差)

>ラサール石井さんは32歳差、加藤茶さんは45歳差です。

 

男の肉の欲は、理屈では鎮まらない。平介の心情は、男性の共感を得る。

娘の肉体を持った直子は、奇跡的に所有した二度目の人生を、意志的に生きようとする。それは、いつの日か、このからだに娘がもどってきたときのために、最善の器をつくることでもあります。直子のありように、多くの女性の共感を得る。

 

最後に、藻奈美のからだに藻奈美の魂は戻るのか?直子はどうなるのか!?

それは「秘密」です!?

 

すでに「映画化」、「TV化」までされていますから、知っている人は知っていますよネ!

 

ありがとうございました!

m(_ _)m

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2017年1月21日 (土)

「人間の関係」(五木寛之著)を読んで

2007年、五木寛之氏、7677歳の頃の著書となります。

印象に残ったところをご紹介!

☆☆☆

鬱な気分に悩む若い世代には「歓びノート」を、

そして、中年の時期には「悲しみノート」を。

さらにある年齢に達したときに訪れる厄介な鬱には、「あんがとノート」をつくることがお薦めとのこと。

 

「歓びノート」では、例えば、

「きょう一日、無事に過ごせて、うれしかった」と“うれしかった”で締めくくる。

「悲しみノート」では、例えば、

「少しのタイミングで電車に乗れずに、かなしかった」と“かなしかった”で締めくくる。

「あんがとノート」では、例えば、

「一日、無事に過ごせて、ありがたい」と“ありがたい”で締めくくる。

 

抱えている鬱から抜けだすために、有効とのことでした。

☆☆☆

親鸞とイエスの家族観では、

親鸞は「自分は父や母の供養のために念仏したことなど一度もない」と言い、

イエスはルカの章で「もしだれかが私を訪れてきても、父、母、妻、子ども、兄弟、姉妹を、さらに自分の命であろうとも、これを憎まないなら、私の弟子ではありえない」と言った。これは、

血のつながりがすべてではない。それを超えることも大事なのだ。絆を切り捨てることも大事なのだ。人間はすべて他人であり、その他人が共に生きることに意味がある。

人は悩みつつ生きるしかないのです。

親鸞やイエスの発言こそ、むしろ人間のかかえた業の深さをあらためて感じさせるもののような気がするのです。

☆☆☆

革命家というのは、世のため、人のために革命に身をささげても、最後には民衆から裏切られ、追放され、処刑される。これが正しい革命家のあり方だと、思ってきました。

これは、自分の行為は決して報われない、そう思いながらも一生懸命尽くし、見返りを求めない。すべて裏切られても仕方ないし、ひょっとしてほんの少しでも相手がそれに対して好意を示してくれたなら、飛びあがって喜べばいい。

☆☆☆

世間で言う娼婦と遊客のような最悪の関係のなかにも、ひとかけらの人生の真実がある。

どんな泥の中にも信頼すべき人間関係は残る。

人間はいいかげんで、愚かしい存在だが、それでも信じられるところもあるよ、ということです。95%信じられなくても、5%ぐらいは信じていいのではないか。

暗闇の中に、遠く、ちいさな灯影が見える。明りがかすかに揺れている。それをみつけたとき、私たちはどれほど励まされ、勇気づけられることでしょうか。この5%を信じて、今日まで生きてきました。それ以上の信頼を求めるなんて、贅沢すぎるじゃないか、と言う声が、いつも頭の奥に聞こえるような気がしてならないのです。

☆☆☆

そして、

今の時代に、少しでも頼りになるものを探すとすれば、それは「人間の関係」である。

 

ありがとうございました~!

 

m(_ _)m


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2017年1月15日 (日)

「君たちに明日はない5-迷子の王子様」 垣根涼介著 を読んで その2

垣根氏は、現在の“政治・経済”についても書かれていました。

 

現政府が躍起になって進めているインフレ政策は、景気回復の側面もあるにはありますが、それ以上に、国家の赤字を実質的に圧縮していく側面も大いにあるのではないか・・・ついそんな風に考えてしまいます。

ちょうど、「借金苦の人がハイパーインフレを望む」構図に酷似しているように思えます。そうでなければ1千兆円以上にものぼる借金は、いまの物価のままでは到底返済できない。つまりは1千兆円が、いつの時期か3百兆円とか2百兆円までの実質的な価値に下がるようなインフレ政策・・・ということは、年金も当然、支給される額は同じでも、その時の日本銀行券の価値は目減りする。現在で、仮に10万円支給の価値が、将来的には3万とか2万ぐらいの価値しかもたないということとなります。

ですが、そうならなければ(この前のギリシャに見るように)国家財政は最悪の場合破綻して、日本銀行券は紙くず同然になってしまう可能性も消しきれません。

 

官僚体制はその本来の性質上、国家の滅亡が来ない限り、膨張と増殖を続けるものです。

当然、その支出も現在の国体が維持されている限りは増え続ける。国の経済規模はシュリンクしても、官僚組織全体の規模は決してダウンサイジングしない。それが良いとか悪いとかの話ではなく、今までの世界の歴史が証明しているように思います。

ちなみに平成28年度の一般会計予算は、約97兆円、その4割は借金で賄っているというのに、今もどんどん膨張を続けているのが現状です。

さらに言えば、かつて国や地方が手がけた(民間もできる)事業は、第3セクターの例をひくまでもなく、そのほとんどが破綻しています。自分のリスクにおいてお金を捻出していない(あるいはそのケツ持ちの覚悟が無い)人間のやる事業など、そもそも成功する確率はほとんどない。しょせんは他人から税金をかき集めてきたお金を流用して始めた「他人事の事業」なのですから。

 

*****

 

どう思いますか!?

 

最初に国家予算推移。

単位は10億円。確実に増加していますが、土光さんが頑張られた、S58S60はなんとか微増ですね。この3年は単年度の国家予算は微増ですが、累計の国の借金残高自体は減らしていました。

 

S58 50,380(中曽根内閣)

S59 50,627(中曽根内閣)

S60 52,500(中曽根内閣)

S61 54,089(中曽根内閣)

S62 54,101(竹下内閣)

S63 56,700(竹下内閣

H元 60,414(宇野内閣~海部内閣)

H2 66,237(海部内閣)

H3 70,347(宮沢内閣)

H4 72,218(細川内閣)

H5 72,355(羽田内閣)

H6 73,082(村山内閣)

H7 70,987(村山内閣)

H8 75,105(橋本内閣)

H9 77,390(橋本内閣)

H10 77,669(橋本内閣)

H11 81,860(森内閣)

H12 84,987(森内閣)

H13 82,652(小泉内閣)

H14 81,230 (小泉内閣)

H15 81,789(小泉内閣)

H16 82,111(小泉内閣)

H17 82,183(小泉内閣)

H18 79,686(小泉内閣)

H19 82,909(安倍晋三)

H20 83,061(福田康夫)

H21 88,548(麻生太郎)

H22 92,299(鳩山内閣)

H23 92,412(菅内閣)

H24 90,334(野田内閣)

H25 92,612(安倍晋三)

H26 95,882(安倍晋三)

H27 96,342(安倍晋三)

H28 96,722(安倍晋三)

H29 97,454(安倍晋三) 

 

総理大臣にも得手不得手な領域があると思いますが、「国家財政」に関しては、中曽根さん、小泉さん、そして菅さん、野田さんは、少なくとも膨張政策のみではよくならないと考えていたようです。

 

ハイパーインフレになっても、なにも良くならないと思います。

国の借金は目減りするかもしれませんが、年金生活者は生活ができなくなります。もちろん、年金はインフレに感応して上昇させる必要もあり、そのために年金財政は苦しい状態がますます苦しくなるでしょう。従業員の賃金が即応して上昇するとも思えません。

日本全体でみれば何も変わらない。否、ハイパーインフレになったら、ますます悪化するように思えています。

 

また、バブルが弾けてからの「膨張」はおかしいと思います!

なんとかH3H18年までの15年は国家予算70兆円代で賄ってきていましたが、安部さん、麻生さんが国の財政を担っているところは明らかに「膨張」しています。

 

これから日本の経済規模が超少子超高齢化等により、シュリンクせざるを得ない中で「行財政改革」も行わなければ、決して良くなることはないと思います。

 

ありがとうございました!

m(_ _)m

2017年1月14日 (土)

「君たちに明日はない5-迷子の王子様」 垣根涼介著 を読んで

いよいよ「完結編」とのこと。

残念ですが、今後は垣根氏の新作を楽しみにしたいと思います!

すでに垣根氏の最初の歴史小説「光秀の定理」は読み終わりました!こちらも面白かったです!

さて、

「君たちに明日はない」の主人公、

村上真介は1974年(昭和49年)430日生まれ

恋人の芹沢陽子は1966年(昭和41年)生まれ

 

物語の始まった頃は、真介33歳、陽子41歳でしたが、今は2017年!

今年、真介は43歳、陽子は51歳になります。

熱いカップルという設定で描く時期は過ぎたのかもしれませんネ!

1巻では、かなり濃厚な!?ラブシーンがありましたからネ!

 

「あとがき」が印象的でしたのでご紹介します!

 

「あなたにとって、仕事とはなんですか?」

金のためか、個人の生活の安定・保障のためか、出世のためか、あるいは「大企業に勤めている」という社会的な見栄や誇りを、自分の社会的存在理由の一部とするためか、そういう意味を含めて、個人的な金銭的・社会的な栄華を目指しているか・・・。

ですが、日本の経済がダウンサイジングを余儀なくされている昨今、さらにはグローバリズムの波がすべての国の護岸を絶え間なく洗い削りつつある今では、そうした実利面だけの動機付けで仕事をする事は、その時々の社会情勢や企業の業績によって賽の目がコロコロ変わるリスキーな生き方ではないかと、個人的には感じています。

私の友人や知り合いの人生を長いスパンで見続けてきて、しばしば感じてきたのは、

「金儲けのためだけに仕事をしている人間は、大体の場合、いつかその金に足元を掬われる」ということです。

あるいは、こう言ってもいいかもしれません。

「いつの時代でも、金儲け、あるいは金を稼ぐためだけに仕事をする人間は、永久にその仕事から報われることは無い」と。

その反面で、私は周囲の(別の種類の生き方をする)人間を見続けてきて、こう感じてもいます。

「その仕事に自分なりの意味や社会的な必然を感じている人間には、お金が目的で仕事をしていなくても、不思議と必ず後からお金がついてくる。少なくとも食べるに困らないぐらいは、常に彼あるいは彼女の元に集まってくる」と。

あるいは楽観的に過ぎる見解かもしれません。それでは、この社会の現状でどう生きていくか。

私自身が仕事について深く考えるようになったのは、現在のモノ書きになってからです。そしてしみじみ思うのは、「やっぱりお金のためだけに続けるのは、仕事はツラい」、ということです。この20年間で日本の経済はどんどん悪くなっているし、残念ながらこの先も明るいとは言えません。

テレビや雑誌も「格差社会」とか「終身雇用制度の崩壊」とか大袈裟な見出しを付けて将来への不安を煽ろうとします。けれども、それは給料や昇進などの待遇が悪くなったり、その企業が最悪でも倒産すると言うことで、本来の仕事の楽しさ、それを自分がやる意味とは、別の問題として考えた方がいいのではないでしょうか。

「(仕事を通じて)今を楽しめていない奴は、将来も楽しめないよ」

その通りだと思います。自分の興味が持てることを探して、それを仕事にする。あるいは、その仕事を通じて社会に参加する意味を持てるような自分を、自分の周囲の環境から作り上げていく。そうすれば、とりあえずは食うだけのお金があれば、納得もできるし多少は厳しい現状にも耐えられるのではないか。なによりも現行の「あと出しジャンケン」同然の年金制度に頼らずとも、死ぬまでその仕事を続けてもいいや、と思えるかもしれません。

不透明極まりない現状に対する一番の予防策は、死ぬまで継続しても納得できるような仕事を見つける、あるいはその第二の人生に合わせた環境づくりを自ら行い、社会参加をしていく。そして、あくまでもその結果として物価スライドに合わせた日銭を得ることが、そのような人的繋がりを相互に持つことが、個人個人の最も安心できるセイフティーネットになるのではないでしょうか。

そう云う人間が今後もっと増えたら、不景気とか年金削減とか国民の人口減とかの問題以前に、もう少しは、みんなが明るい顔をしてあるけるような世の中になるんじゃないかな?と思っています。

もし国や現行制度を不安に思うのなら、まずは個人個人でなんとかやり繰りしていこう、自分でできる事(主に仕事)を探し、または作ろう、そして選挙に行こう、という話です。

人の幸せというものには様々な形があると思っておりますが、

「一生現役として、そこそこ楽しく(経済的に自立しながら)仕事を続ける。あるいは一生、人から求められている仕事あるいは社会活動を通じて、この人の世に参加をできる状況にある」ということも、幸せの一つの形である。そういうふうに私は感じています。

できれば読者の皆さんにとっても、そうであって欲しい。

ですが、そうやって色々と考えてきた仕事観や社会観も、結局は現時点での暫定仕様でしかないのだろうと感じています。社会や人間関係が次のフェイズに行けば、これまでの考え方や方法論が通用しなくなって、また自分をリストラ(再構築)していかなくてはならない。

それが「生きていく」ということなのでしょう。

最後になりますが、スペインの思想家オルテガ(1883-1955年)の言葉を引いて、このあとがきの終わりといたします。

「実際の生とは、一瞬ごとにためらい、同じ場所で足踏みし、いくつもの可能性の中のどれに決定すべきか迷っている。この形而上的ためらいが、生と関係のあるすべてのものに、不安と戦慄という紛れもない特徴を与えるのである」 (『大衆の反逆』1930年より)

 

ありがとうございました~!

m(_ _)m

(単行本)

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(文庫本)
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