マネジメント関連

2022年4月 2日 (土)

後藤田正晴氏存命中(平成5年)に書かれた「定本 後藤田正晴 異色官僚政治家の軌跡」 著者 保坂正康氏 を読んで。今太閤と言われた田中角栄氏は、どうしても金権政治の部分があって好きになれませんが、その真田幸村と言われた後藤田正晴氏は共感できました!!

 

後藤田正晴氏(T3/191489– H17/2005919日 享年91歳)は、日本の警察官僚、政治家。酒、煙草共に嗜み、煙草は180本吸われていました。

 

最初に単行本で出版されたときは“定本”が付いていませんでした。

後藤田さんご自身も認めた本として、その後、文庫化されていく中で、“定本”が付いたようですネ!

 

「定本」とは、古典などで、語句や内容などのちがいのある本を比較検討するなど、十分な校訂がなされて,本文が整っている本。著者が訂正・加筆した決定版。底本

 

後藤田正晴氏は、人生の前半戦においては、警察官僚として警察庁長官のトップまで登り詰めて、昭和47/19726月、57歳で定年を迎えられました。

その後、田中角栄内閣の官房副長官を務めたあと、昭和51/197612月、62歳で衆議院議員となるまでは、地元徳島で地盤固めをされました。

 

政治家としての黄金期は、中曾根内閣時代の官房長官時代になると思います。

後藤田正晴氏、68歳から73歳(昭和57/198211月~昭和62/198711月)の5年間

中曽根内閣: 1982年(昭和57年)1127 - 1987年(昭和62年)116

 

この5年間のポイントとして、失業率は低く、物価も安定していたが、バブル経済への原因が埋め込まれたのもこの5年間と言えるような気がしています。

 

1985年(昭和60年)227日、田中角栄氏、脳梗塞で倒れる(政治生命が絶たれました)

1985年(昭和60年)922日、プラザ合意、ドル高を引き下げる(円高への)協調合意

→プラザ合意後、僅か2ヶ月程で、その年の12月末には、1ドル242円が1ドル200円まで円高へ是正ができたが、日本としては、円高不況と言われた年になる

その反動として、日銀は公定歩合を1986年1月から1987年2月まで、5回に分けて0.5%ずつ段階的に引き下げを行い、最終的に年率2.5%になりました。

1986年(昭和61年)47日、更にバブルへの切符と言われた「前川リポート」が中曽根総理に提出がされた

1986年(昭和61年)626日、1981年(昭和56年)3月の臨調から続いた「臨時行政改革推進審議会」がついに終結してしまった。

臨調会長を務めた土光氏の体調不良もあるが、土光氏は行革審終結のメッセージの中で「行政改革に倦(あぐ)み、歳出抑制に疲れ、また国際収支の不均衡是正は内需拡大(低金利政策等で景気拡大を行う。あるいは、政府が財政出動して公共事業を増やすなど)を重視するあまり、行財政改革路線の転換を強く主張する向きがあります・・・」と危機感を語られていました。

更に更に、

1987年(昭和62年)222日、ルーブル合意、今度は行き過ぎたドル安の是正協調(円安へ舵を切ることになる)

1987年(昭和62年)2月、2年前に民営化したNTTが株式公開を果たす。

初値160万という高値でありながら、その後2ヶ月で318万まで高騰。当時の時価総額世界一を記録

1987年(昭和62年)12月、臨調会長、行革審会長を務められた土光敏夫氏、東芝中央病院へ入院、しばらく小康状態が続いたが、1988年(昭和63年)8月永眠。享年91歳。

行財政改革の鬼が亡くなられた。

 

当時としては、過去最低の2.50%という公定歩合1987年2月から1989年5月まで2年3カ月続けられた。

 

以上の条件が重なり、平成のバブル経済(1986年12月~1991年3月、およそ日経平均が2万円を超えていた期間に相当)が始まり、土地や建物などの不動産の価格や株価が急騰していきました。

この時の日本の景気は、198612月に底入れして、19914月まで53カ月にわたって拡大局面が続いていました。土地や株価は大幅な値上がりを続けていましたが、卸売物価は円高によって輸入品の価格が抑えられていたこともあって、表面的にはインフレが起きていなかったことも低金利が長期化した理由のひとつです。しかしそれ以上に、アメリカへの配慮が政治的にも強く働いて利上げが遅れたとのこと。

日経平均株価も、1987年末の2万1564円が、1988年末には3万159円、そして1989年末には3万8915円の最高値に向かって突き進んでゆくのです。

 

1989年4月1日、消費税導入(税率3%)

 

そこで行き過ぎた地価や株価の高騰を抑えるために、日銀は新しい不動産への融資を行ない難くするための総量規制を行ない、同時に1989年5月から1990年8月まで5回に分けて、年率0.75%から1%に及ぶ公定歩合の引き上げを行なって、最終的に年率6.0%になりました。

 

ついに、行き過ぎたバブルは弾けることになりました。

 

土光さん亡き後、バブル経済から、それが弾けた後まで、中曽根さん、後藤田さんはご存命でしたが、打ち手はなかったのか!?

どれほど優秀な方々であっても、日本経済が暴走してからを止めることは難しかったのかもしれませんね・・・

 

後藤田氏が政界を引退される1996年(平成8年)頃に、あるテレビ番組で次のような話をされていた。

今の日本は、政治について絶望している人が多い。なぜこうなったのだろうと考えてみることが必要だ。私は、政治家が実際に日本の将来を考えるという巨視的な視点が無くなっているところに問題があると思う。日本は結局他国と協調することによってしか生きていけない以上、バランスのとれた国際主義をみにつけていかなければならない。日本にそれだけのビジョンが欠けているのは、政治に対する国民と議員とのコミュニケーションが無いのだ。私は、そのための役割を果たしたいと思っているが・・・・

自分の役目は政治の前面に出るのではなく、後方にあってよき助言ができればと思っている。

国際社会に生きる日本にとって今後大事なことは、軍事への傾斜を避けて平和友好の枠組み作りに目を向け、日本、アメリカ、中国の三者の関係をできる限り正常な姿に保つことです。

 

著者保坂氏のあとがき(2017年(平成29年)7月)より

このところ安倍晋三首相の発言に接するたびに、私はなんども後藤田正晴氏が存命していたらとの思いを持った。

「こんなことしとったら、日本は壊れてしまうわな」

といった台詞を思い出してもいた。保守の中の、もっとも良識的な姿勢で日本を見続けていた後藤田氏は、社会の基軸が右へ右へと揺れていくことに不安や不満を持ったであろうと思う。

ありていに言って、現在の日本社会はどこに問題があるのだろうか。私はその答えは大別して三点に分かれると考えている。

第一は、歴史意識の希薄性である。

第二は、先達への畏敬欠如である。

第三は、議論を軽視するための感性跋扈といった現実である。奇妙な言い方だが、コミュニケーションの劣化が甚だしいということだ。言葉が軽くなり、重厚な話法が軽蔑されると言った意味でもある。言葉の有効性を失えば、社会全体のコミュニケーション不在になり、そのゆきつく先は誰もが分かるように暴力への近接性である。こういう道筋はかつて日本が辿ってきた軍事主導の道であり、後藤田氏の指摘はそのことを踏まえてのことでもあった。

 

後藤田氏の志は、たった一点に尽きていると思う。それは、「日本かかつて向こう見ずな戦争を行った。その自省を具体的に検討したうえで、何が間違っていたのか、それを明らかにしてから、次の時代に進むべきである」との一点である。氏はその点でストイックに自らにある役割を課し、戦後社会を生き抜いてきたように思う。

 

社会が思わぬ方向に進むのは、政治指導者に理念や信念がなく、政治が単に権力を維持するための手段に堕した時である。もう一つは指導者がある意図をもって、それを窺わせずに政策を進めていくときであり、国民の知らない間に社会はいつのまにか修正のきかない道にはいりこんでいるとの事態になりかねない。

後藤田正晴氏という人物を総合的に見ていったときに、そういう方向を軌道修正する有為な政治家が必要だと私は痛切に思うのである。そういう政治家が不在の現実自体を、私は不幸だと考えるに至った。

後藤田正晴とうい政治家の言動を歴史の中に刻み込む一方で、いつの時代にもその教訓をよみがえらせるべきであり、本書がその役を果たせればと強く思う。

 

ありがとうございました~!

m(_ _)m

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2022年3月11日 (金)

賛否が分かれる、「今太閤」、「天才」と言われた“田中角栄”について、石原慎太郎氏の2016年の著書『天才』をブックオフで廉価にゲット、読んでみた!

 

やはり本を読んでみても、いろいろと調べてみても、頭はよくて実行力に優れているとは思いましたが、お金に対する考え方(政治にはお金がかかるとは思いますが、お金を使って人を動かそうとするところ)は好きになれませんでしたネ・・・

 

本書より、

戦時中は軍隊の兵営内酒保勤務をしていた。

酒保の備蓄の食糧の管理は杜撰なもので、兵隊たちはそれをよく知っていて夜半闇にまぎれて食べ物や酒を盗みにやってくる。

張り番をしているが、誰何(すいか)して銃剣を突き付けてはみせるが、大方は見逃していた。

そんなことで仲間内ではいい人間関係が出来てもいった。

つまり人の世の中での賄賂なるものの効用の原理を悟らされたということだ。

 

田中角栄。彼は自らの政治哲学についてこう語っていた。

「世の中は白と黒ばかりではない。敵と味方ばかりでもない。真ん中にグレーゾーンがあり、そこが一番広い。天下というものは、このグレーゾーンを身につけなければ決して取れないのだ」

 

「清濁」を併せ呑む人柄で幅広い年代から愛された角栄。

当時、角栄の口癖だった「まぁそのぉ」をダミ声でモノマネする人が日本中にたくさんいました。

それだけ親近感を感じさせてくれる総理大臣はそうそういないだろう。

 

1965(昭和40)年、高度成長が一服し、未曾有の不況に襲われたとき、田中角栄は大蔵大臣にあった。

4大証券の一角、山一證券が経営不振に陥ったときに、無担保・無制限の日銀特融を実施し山一證券を蘇らせた。さらに、5年後には特融も完済できた。

 

一方で、この時は救われましたが、その32年後の1997年、日本4大証券の一角を担っていた山一證券は自主廃業となり、今は3大証券となっている。

皆が悪いわけではなく、大半はイイ人ばかりと思いますが、どこかに腐った種を残していたのかもしれません。

結果として、無担保・無制限の日銀特融は、延命措置にしかならなかったと思います。

 

19726月、日本列島改造論を発表

「日本列島改造論」の大きな特徴は、日本列島を新幹線や高速道路、本州四国連絡橋などでつなぐという計画。より具体的には、

①太平洋ベルト地帯に集中しすぎた工業の地方分散、

②都市改造と新地方都市の整備、

③高速道路・新幹線などの全国的な総合ネットワークの整備の3点が柱でした。

 

当時、まだ新幹線は東京―岡山間しか開通していません。高速道路もまだ東名高速道路などがあっただけです。

 

そこで角栄は新幹線9000キロ、幹線道路10,000キロという遠大な計画をぶち上げました。

北は北海道の稚内から、南は九州の鹿児島まで、日本の各地に新幹線を建設。

つまり、在来線の多くを新幹線に置き換えてしまおうということです。

 

従来は、東京と大阪、名古屋といった人口が多い地域を新幹線で結ぼうという発想でした。

角栄はむしろ人口の少ない地域に新幹線を通して、その駅を拠点に地域を発展させるという発想の転換を行ったのです。

 

その結果できたのが、上越新幹線や東北新幹線。フェリーや連絡船で移動するしかなく不便だった四国には、本州と結ばれた橋(本州四国連絡橋)が作られました。

 

さらに、日本全国を情報通信のネットワークで結ぶという構想もありました。

もちろん、当時はまだインターネットなんてありません。

そんな時代に、情報通信のネットワークができれば教育や医療も都市と地方の格差がなくなるということが構想されていたのです。

また、角栄は全国で多くのテレビ局の開設を許可しました。

今でこそ、多くの県で民放テレビのチャンネルは4つ以上ありますが、この当時はNHKのほかに民放テレビが1つか2つしかないという県が多かった。

こうした点でも、東京と地方の情報格差を改善しようという動きがあったようです。

 

「日本列島改造論」の政策の多くは鉄道や道路を作るというもので、建設業界と深い関わりがありました。

角栄は建設業界への影響力が強く、政策を実現することで多額の献金を受けていたという側面があった。

また、新潟と東京を結ぶ上越新幹線の建設も、角栄の地元への利益誘導という面があったことは否めません。

 

果たして、費用対効果を考えていたのだろうか。

現代に至っては、新型コロナによる影響もあり、在宅勤務も多くなる中で、全てが実行されなくてよかったと思います。

一方、今もリニア新幹線が進められていますが、ホントに必要なのでしょうか。とても疑問です・・・

 

19727月、内閣総理大臣に就任

19729月、日中国交正常化

197310月、日ソ共同声明(最初の日ソ共同宣言は1955年で、この時に国交正常化をしており、1973年は、さらなる両国関係の一層の発展に努力する旨の決意を表明した)

 

石原慎太郎氏は、本書の中で、

田中角栄の金権主義を最初に批判し真っ向から弓を引いた人間だった。

→これは、間違っていないと思いました。

そして、本書執筆時には、ロッキード事件において、田中角栄は無実であった(はめられた)と言って、褒める側に転じています。

本当に無実であったのかは、今となっては闇の中となりますが、果たして火のないところに煙は立たないのだろうかと思います。

 

また、田中角栄の金権政治を文藝春秋で暴いた立花隆氏は、後年になって、

「私も年をとり、歴史を勉強して、あの人はなかなかの人だったなあという気がします」と言われています。

これは、「日中国交正常化」、「日ソ共同声明」に関しては、なかなかだったのだと思います。

ここに関しては、賛同する議員、国民も多かったと思います。

 

あとは、社会保障制度を学んできた者としては、今の社会保障制度の財政難を招くことになったトリガーを引いたのは、田中角栄であったと思っています。

1973年に田中角栄は「福祉元年」として、バラマキを始め、社会保険料を利用してグリーンピア、サンピアといった巨大保障施設を建設。今はすべて現存していません。

福祉向上を考えることはよいと思いますが、将来の少子高齢化に備えるべき収入保険料を使い過ぎたとと思います。

 

この次は、田中角栄の参謀(懐刀)と言われますが、共感を覚える後藤田正晴氏の本を読み始めましたヨ!

 

ありがとうございました~!!!

m(_ _)m

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2022年2月27日 (日)

城山三郎氏の絶版本、ミスター日本興行銀行の中山素平氏のことを書いた「運を天に任すなんて 素描・中山素平」をブックオフでゲット~!早速読んでみました~!

 

中山 素平(1906年(明治39年)3月5日 - 2005年(平成17年)11月19日)

日本興業銀行(現:みずほフィナンシャルグループ)頭取、同会長、経済同友会発足に携わり代表幹事を務める、海外技術協力事業団(現:国際協力機構)会長等を歴任。

2005年(平成17年)1119日午後545分、肺炎による心不全のため、都内の榊原記念病院で逝去。享年99歳。

 

「財界の鞍馬天狗」の異名を持つ。

海運再編成、日産プリンスの合併、証券恐慌の際の日銀特融問題、新日鉄の合併というふうに、経済界に危急存亡が伝えられると、かならず姿をあらわして問題を解決する。その間の動きが迅速果敢、神出鬼没、さらに問題を解決したあと、後も振り返らずに立ち去ってゆく姿は、いよいよもって鞍馬天狗を彷彿させたためである。

 

一方、部下からは「そっぺいさん」と呼ばれ慕われた。

とても風通しのよい企業風土を築いた。

 

叙勲に関して、「人の値打ちを役所に決めてもらうのはたまらん」と終生断り続けた。

 

「頭取の仕事は人事と経理。あとは面倒な会社の処理だ」と、中山は言う。「ふつうの仕事は何もする必要はない」と言い切るほど、人事と経理、その二つを重視する。

 

頭取は、一番頭取になりたがっていない人物を選ぶ。

 

中山氏はもともとヘビースモーカー

酒も飲むし、芸者さんの来る宴会にもでるけれども、やはりひとつの限度がある。だから、ある意味じゃ、つまらんということになるが、宴席でつまらん顔してる中山を見たことがない、というのも定説である。

住まいは逗子。(城山氏と同じですネ)

山あり海ありで、気候は温和。隣の鎌倉と違い、歴史こそないが、その代わり明るくて風通しもよく、暮らしやすく、子育てにもよい街であった。

夏と冬、中山は10日間ずつ箱根に、ほとんど一人で滞在する。たまっていた人疲れを、そうして一挙に解消しようとする姿にも見える。

 

主流の仕事でなく、日の当らぬ不本意なポストに回されたとき、どう生きるか。

どこへ行けといわれても、「ノー」と言わず、与えられたところで何かを身につけていくのがボクの生き方だったから、いっこうに平気だった。

地位に対しても綿々とした未練を持たない。

「自分はしょせんサラリーマン。サラリーマンを辞めて自分に何ができるのか」

「おでん酒、すでに左遷の 地を愛す」

「熱燗や あえて職場の 苦はいわず」

 

ミスター日本興業銀行と言ってもよいと思うが、現在、日本興業銀行の名前は残っていない。

つまり、大変な時期もあった。

 

まず、1991、大阪の料亭の女将に興銀がピーク時には二千億円を超えるという巨額の貸し込み、回収不能となった、いわゆる、尾上縫事件。

大量の興銀債を買ってくれる客を失うまいとしたのが発端だが、それにしても、「調査・審査の興銀」がどうしたのかと、世間は驚いた。もちろん、中山は怒り

「連中はいったい、どこに目を付けているのか、節穴じゃないか」

と。その発言は、新聞にも載った。中山氏85歳。

背景としては、産業構造が変わり、かつての興銀取引先の資金需要が頭打ちになり、新しい業種へ進出せざるを得ないという事情もあった。

興銀は長い間、融資先に困らぬ銀行であった。あるOBは言う。

「うちは産業金融の鎮守の杜(多くの神社を囲むようにして存在した森林)だった。金貸してほしい、興銀のお墨付きが欲しいと、次から次へと参上し、参拝しに来る感じで、中には一日中、興銀を離れない人もいた」

それが一転して、取引先を探さねばならなくなった。大口相手だけでなく、小口客相手という不慣れな商売もはじめねばならない。

このため、大量の興銀債を買ってくれる客をのがしたくない、と言う焦りで、自慢の審査の目が曇った。

その上、興銀内の、いわば「家庭の事情」として、興銀大阪支店長が常務であるため、本店審査部の腰が引けた、ともいう。

「風通しのよさ」という興銀らしさも失われていた。

「頭が痛いだけじゃなく、興銀のイメージをすっかりおとした」と、中山は嘆く。

 

さらに1996には、いわゆる住専問題で、興銀の子会社と言われる日本ハウジングローン19億円に上る不良貸付を行ったとして、同社の河原昇前社長が、特別背任の疑いで逮捕された。

背任か、特別背任かの議論はあるようだが、これまた「調査・審査の興銀」にとっては、大きな汚点となった。 

※本書では19億円の不良債権とあるが、実態は1兆円を超えていたと言われている

これについては、もともと理論家肌で気の強い河原前社長が、当時の頭取より入行年次も二年上であったという、これまた「家庭の事情」を指摘する声も。

いずれにせよ、「筋を通す」というのが興銀の伝統であり、「風通しのよさ」や、「格式ばらぬ」ことが行風であったはずなのに、意外な事態になっている。そのため、

「中山さんがいるのに、どうしたのですか」との声もでる。

かつて、わたしは中山が思い出したようにつぶやくのを、耳にしている。

「うちでも、ぼくが頭取を辞めたとたんに、ころっと態度を変える男がいてね」

その時点からは、実に30年経っている。

さらに、中山自身、会長を退くころから、意識して日常業務から遠ざかっていた。

そのせいとはいえ、「相談役」さらに「特別顧問」というのに、一連の問題について相談がなかった。

「きれいに辞め過ぎたのではないか」と聴くと、とたんに中山は言い返した。

「それは、あなた、逆でね。辞めて口出す方が悪いわけなんだから」

ここが、難しいところである。そういう中山の気持ちがわかれば、周りはできるだけ相談を控えることになる。

それでいて、中山には経営の根幹というか、本質にかかわることぐらいは・・・との思いも残るであろう。

中山はつぶやく。

「いままでぼくが何も口出さんと言うものだから、正宗以下、もう一切相談しませんでした。そのへんに若干・・・」

 

中山の後を継いだ正宗は頭取在任7年で会長に退き、後任には池浦を選んだ。

「頭取を目指す」と若いころから言っていたという池浦は、覇気も行動力もあって、敗戦後は中山をトップとする再建チームのメンバーとして、興銀存続のため運動、役員になるころからは、それまで興銀が不得手であった海外業務を大きく伸ばし、とくに中国への進出は早かった。

このころまでの池浦について、中山は当時、わたしにこんなふうに語っていた。

「池浦君ね、彼はゴルフしないのですよ。若い時分から朝4時ごろ起きる。大変な読書家なんです。僕が「君なんかゴルフした方がいいよ」と言うと、土曜日曜は寝だめしていると言うんでうよね。頭取とか社長というのは激職ですからね」

その池浦の頭取在任は9年に及んだが、会長になってからも代表権は放さず、常務会を主宰し続けた。

中山は言う。

「非常にできる男なんだが、ある意味でワンマン経営者的素質を持っている。ぼくら、会長、相談役のとき、全然口をださないが、いろいろ聞いてみると、彼の意見について来ないと、排除するとか。ぼくらがつくった行風とは、基本的にかなり違ったものが出てきた」

その後も興銀はひたすら拡張路線を走り続けて今日に。その上、池浦夫人の事業がらみの暗い話までマスコミに出た。

池浦以前と以後で、興銀が変わったのか。それとも、絶対権力を握る前と後で、池浦の人柄そのものが変わった、ということか。

権力志向の芽を見抜くことは難しく、なりたくない者をトップにと言うのが、中山の目安であったが、それとて必ずしも完全な決め手となるわけではなし・・・

 

「経営者の人物や力量、企業の実態や競争力などをよく見極めたうえで融資するのが、興銀の伝統なのに、地価や景気の上昇を当てにしたのでは・・・」

と中山は嘆く。運を天に任せてしまったのではないか、との嘆きでもある。

 

「初心を守れ。他へ手を出すことは、絶対にまかりならん」という中山の持論が空しく響く・・・

 

 

中山氏は99歳まで生きられたが、

「長寿者や傑出人の一つの大きな特徴は、もちろん遺伝子があり、社会環境もありますが、それを含めて「運がイイ」ことですよ。たいへん乱暴で非科学的ですけれども、運の良さというのも一つの能力だと感ずるようになってきましたと、中山氏の担当医師の弁。

 

また、中根千枝氏が中山氏のことをいわく。

「無私無欲の人」とする世間の評判に対し、

「無私ではなく、欲もある。しかし、自分中心ではない」といい、

人を見るには“虚心坦懐”でなければならぬと心がけている点に、中根は注目。

中山が老人惚けしないのは、自己中心的でないせい、と説く。

また、卑しいことを最も嫌う中山が、人を説得するに当たっては、相手の性格をよく観察・分析した上で、政治力など使わず、しつっこく理詰めで責める点を、中根は評価する。

 

 

【参考情報】

1950年4 - 川北禎一が日本興業銀行初代頭取に就任

1961年11 - 中山素平、55歳で第2代頭取に就任

1968年5 - 正宗猪早夫が第3代頭取に就任

1968年(昭和43年)会長に就任。2年後には相談役となり、1984年から特別顧問

1975年5 - 池浦喜三郎が第4代頭取に就任

1984年6 - 中村金夫が第5代頭取に就任

1990年6 - 黒澤洋が第6代頭取に就任

1996年6 - 西村正雄が第7代頭取に就任

2002年 4 - 日本興行銀行、第一勧業銀行、富士銀行が合併して世界最大の預金量を誇る「みずほ銀行」が誕生し、日本興業銀行としての歴史を終える

 

【虚心坦懐】

心になんのわだかまりもなく、気持ちがさっぱりしていること。心にわだかまりがなく、平静に事に望むこと。また、そうしたさま。▽「虚心」は心に先入観やわだかまりがなく、ありのままを素直に受け入れることのできる心の状態。「坦懐」はわだかまりがなく、さっぱりとした心。平静な心境。

 

ありがとうございました!!

m(_ _”m)

 

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2022年1月31日 (月)

土光さんの本、残念ながら現在はほとんど売られておりませんが、新宿の紀伊国屋書店で「土光敏夫 無私の人」(上竹瑞夫著)を見つけました!即買いしました!

 

やっぱりスゴイ人だナ~、と思いました。

少しでも見習えるように精進したいと思います。

 

 

 

土光さん(18969月~19888月)、

1988年8月、91歳で亡くなられますが、19866月まで、臨時行政改革推進審議会会長を務められていました。

一方で、つくば万博(国際科学技術博覧会 19853月~同年9月まで開催)の会長を1978年から務められて、成功を収めている。

更に、母親が創立した橘学苑の校長先生でもあったこと。

ほかにも役職をお持ちだと思いますが、亡くなられる、2年前まで、激務をこなしていたのはスゴすぎます。

 

臨時行政改革推進審議会会長を辞してから約1年後、198712月に冬の寒さに備えるため、東芝中央病院に入院。その後衰弱し、19887月に肝炎を起こしたが、一時回復したが、8月に入り急変し鬼籍の人となった。「老衰」ということであった。

 

戦後の石川島重工業を再建、成長させる。

一方で、吉田茂と同じく、造船疑獄事件(1954年)に巻き込まれていたのですね。

まあ造船業ですもんネ~。

その後、石川島重工業のブラジル進出、

播磨造船との合併(石川島播磨重工業、IHI)へと改革を断行。

 

興味深いのは、ブラジル進出は“ブラジル海軍工廠”からの持ち込み案件に近く、

播磨造船との合併は取引先銀行(第一銀行)からの持ち込み案件でした。

その後の、東芝再建、臨時行政改革推進審議会会長もすべて自ら手を上げたわけではなく、

頼まれて、そして、責任もって引き受けて一生懸命に貢献された、ということです。

 

石坂泰三氏と同じく、サラリーマンの神様ですかネ!

 

 

「臨時行政調査会」とは、

行政改革のため、内閣総理大臣の諮問機関として設置された審議会。略称は臨調。196164年まで池田内閣のもとに置かれた1次臨調と、198183年まで鈴木内閣・中曽根内閣のもとに置かれた2次臨調とがある。

そして、「臨時行政改革推進審議会」とは、「臨時行政調査会」(臨調19811983年 昭和5658)の答申についての政府の対応を監視するとともに、具体的推進のための方策を話し合う機関。

土光さんは、ここに関わり、19866月まで会長を務められた。

その、実施提言は、

赤字国債ゼロ

官業民営化

  国鉄分割民営化

  日本電信電話公社

  日本専売公社

3K赤字(コメ、国鉄、健康保険)の解消

 

現在から振り返り、民営化は推進されましたが、

当時の国の借金は100兆円、今は1,000兆円超!!

さらに2013年から続く異次元的金融緩和、リフレ政策が今も続いています。

 

昨年202110月、財務省の現役事務次官が警鐘を鳴らしましたが、当時と全く真逆を推進!

 

当時は、土光さんを始め、鈴木善幸首相、その後、中曽根首相へ、後藤田正晴官房長官、永野重雄日商会頭、本田宗一郎氏、井深大氏、牛尾治朗氏、瀬島龍三氏、中山素平氏、そして、もちろん経団連も当時日本経済を牽引していた方々が一丸となって推進しました。

 

その成果として、国の借金は(一時的に)減少し、1985年から1992年まで、プライマリーバランスを黒字化させました。

 

ところが、土光さん亡き後、日本はタガが外れたようにおかしくなりました。

 

19859月プラザ合意(ドル安にしてアメリカ製品の輸出をしやすくするため、ドル高を引き下げる各国との協調合意。)

これにより、各国の中央銀行は保有するドルを大量に売り出すことで、円が回収されて、円高が急激に進展しまった。

そこで、公定歩合を引き下げた。

公定歩合引き下げにより、企業は土地神話も重なり大借金をしてでも投資を行うようになる。

これは、バブル後の金融機関の不良債権問題につながった。

そして、円が大量に流通して、土地、株価が高騰する。

もう止まらない・・・異常な『バブル』へと向かってしまった。

中身は泡なので、1989年の日経平均38,915円をピークに弾けて、1992年には20,000円を割る。その後、20,000円代を回復するのは、異次元的金融緩和による2017年の25年後となった。

この辺りで異次元的金融緩和を止められなかったのだろうか。物価は上がらなかったが・・・

 

今も続く異次元的金融緩和、リフレ政策による円のバラマキ、どのような結末となるのか・・・

忍び寄る物価上昇。土地も高くなってきています・・・

 

懸命に考えて、考えて、考え抜いて、行動に移していく必要がありますね。

 

「三人寄れば文殊の知恵」と言いますが、平凡な人であっても、協力し合えば、優れた知恵が出るかもしれませんし、その方が永く続くのかもしれませんねえ~!

 

「東芝」を再建した石坂泰三氏、その後の土光敏夫氏、二人とも強烈なカリスマ性をもった人物だと思います。

一方、カリスマ性のある人物に頼ると、その後が続かないことは「東芝」が証明してしまった!?

土光氏は1972年まで東芝の社長をされていましたが、その当時、自ら「東芝100年のためのシーダー(種をまく人)」と宣言をされていました。

あれから50年。東芝は最大の危機・試練を迎えていますね・・・

 

サラリーマンであった時の石坂氏が貢献したの第一生命60歳のときに太平洋戦争が原因ではありましたが、経営責任をとって辞任。

土光氏の貢献したIHI66歳のときに会長へ退き、新たに田口社長へ引き継ぐ。翌年、東芝へ。

第一生命、IHI、ともに今も超優良企業として存続しています。

カリスマ性のある方は、引き際も肝心なのでしょうか・・・難しい・・・

 

 

~~~本書より~~~

人間、特に男にとって、よけいなアクセサリーは、要らんというのが僕の持論です。会社の仕事で、『ムダ、ムリ、ムラを排除せよ』と、合理化を要求している者が、自分の日常を律せられぬようでは、説得力がない。自分の身の周りも、極力合理化せよということです。

一言で云えば、体力の続く限り、自分のことは自分で始末しなさい、と。誰もがやっていることなのに、重役とか社長とかいった身分になると、何を勘違いするのか、急に身辺を飾り立てたがるようになる。これ、どう考えてもおかしいよ。

 

問題はむしろ積極的に発掘するほどの、積極性が欲しい。厄介を抱えるのは、誰でも辛いが、しかし、それを実行するクセがつくと、それはそれで楽しいものだ。

問題が生じるからこそ進歩があり、問題発生はむしろ歓迎すべきことである。それをみずから発掘することに、喜びを感じるようになれば、その人は間違いなく、本物である。

そんな人物が増えれば増えるほど、組織は活性化し、会社は加速度的に伸びていく。苦労をいとわぬ気風を持った会社は強いのだ。

 

社長は雲の上の人であってはいかん。私はざっくばらんが好きだから、社長室のドアをつねに開けていた。

 

~~~~~~~~~~

 

 

ありがとうございました!

m(_ _)m

 

 

Oip

2020年8月16日 (日)

まだ還暦ではありませんが、あと数年.....(-_-;)、カウントダウンが始まっています~!そんな中で「還暦からの底力 ~歴史・人・旅に学ぶ生き方~」 著者 出口治明氏 を読んでみた!!


最初にマレーシアのマハティール前首相が紹介されていた。

1925年710日生まれ、現在95歳。最初にマレーシアの首相に就任したのは1981年、56歳の時。それから、2003年、78歳まで22年間勤めあげた!

それだけでなく、それから15年後の2018年、野党から93歳で首相に返り咲き、20203月まで一国の首相を勤められた!

スゴイですネ~!

出口さんも、2018年にマハティール氏にお会いしたことがあり、食べる量もスピードも速く、立ち居振る舞いも矍鑠(かくしゃく)としていた、とのこと。

スゴイですネ~!(*_*)

 

高齢者が生かされている歴史的、生物学的意味

生物学者 本川達雄氏は自書「生物学的文明論」の中で次のように提言している。

「老後においても、私は生殖活動に意味を見つけようと思います。とはいえ、なまなましい生殖活動ができなくなるのが老いというものです。そこで、直接的な生殖活動ができなくても、次世代のために働くことーこれを広い意味での生殖活動と考え、これに老後の意味を見つけたいのです。

具体的に言いましょう。われわれ老人は子育てを支援し、若者が子供をつくりたくなる環境を整備する。身体も脳も日々よく使い、自立した生活をして老化を遅らせ、必要になったら互いに介護につとめ、医療費・介護費を少なくし、そうすることにより、できるだけ次世代の足を引っ張らないようにする。

 

政府が「人生100年時代構想」を掲げているように、日本は人生100年が決して夢ではない時代に入りました。現在の75歳の体力は昔の65歳に優に匹敵します。

60歳は人生の折り返し地点に過ぎない。

 

4世紀の僧法顕60歳を過ぎてから足掛け15年をかけて中国からタクラマカン砂漠を渡り、7000メートル級の山々が連なるカラコルム山脈を越え、インダス川を下り、インドに到着、インドでは仏教の聖地を巡り、そして、中国に戻る。中国に戻ったときには75歳になっていた。

人生で大切なのは好きなことをする時間

 

人間はいい加減で猪八戒のような存在

人間観には大きく2種類あります。「人間は勉強すればそこそこに賢くなれる」と言う人間観と、「人間は猪八戒のようなもの。つい怠けるし、異性にはすぐ心が動くし、美味しいものには目が無くていっぱい食べてしまう」という人間観です。後者が正しいと。

小田実(まこと)さんが述べた「人間みなチョボチョボや」という人間チョボチョボ主義がある。チョボチョボとは「みんなそこそこ恰好つけているけれど、一皮むいたら人間はみんな同じでアホな人ばかり」という意味で、それが人間の本性だと思います。

 

人の能力は個人によって異なりますが、もちろん貴賤はありません。リーダーがえらいわけでは全くなく、リーダーやフォロワーというのは組織の機能なのです。投手に向いた人もいれば野手に向いた人もいる、監督に向いた人もいれば選手に向いた人もいる。同じようにリーダーにも向き不向きがある、たったそれだけのことです。適材適所という言葉通りです。他人を嫉んでも仕方がない理由がここにあります。

 

 

人間の本質は脳にあって、魂の存在はないと考えています。自然科学では人間は星のかけらからきて星のかけらに戻ると説明しています。

20世紀になって哲学が昔ほど流行らなくなったのは、自然科学が進み過ぎたからでしょう。20世紀になって絵画が流行らなくなったのが、写真が急速に発達したからなのと同じように。

 

熟年離婚は、基本的にはイイことだと思っています。昔はすきだったけれど今は嫌いになってしまった人と一緒に生活し続けるのは、お互いにとって大きな負担になるからです。嫌いな人と一緒にいても、ちっとも楽しくありません。

 

一番の親孝行は「親に楽をさせない」こと

子孫に美田を遺さ

 

女性の地位を向上させるために必要な施策は、性分業のベースとなっている「配偶者控除」と「第三号被保険者」の廃止、それから「クオータ制」の実施です。

クオータ制とは、たとえば議会における政治家や企業の経営者に男女の比率に偏りが省じないように、一定の割合を義務付ける制度です。ヨーロッパでは国政選挙で男女同数の候補者を立てないと政党交付金を減額する、役員に一定割合以上の女性がいないと上場を取り消す、などといった制度があり、ほとんどの国で実行されています。

これは男性に対する逆差別ではありません。

男女差別が厳然として存在する社会で実施する過渡期の仕組みです。

学者クロード・レビィ=ストロースは「人間の意識は社会構造がつくる」と指摘しています。

男女差別があるから、現在の女性の中には「管理職になっても辛い思いをするだけ」「専業主婦のほうが楽でいい」という考えがありますが、男女差別が無い社会構造ができれば、そのような考え方は無くなると言います。

確かに男女平等ですからネ~!

 

『日経Woman』のウーマン・オブ・ザ・イヤー2017 食ビジネス革新賞を受賞した小林せかいさんスピーチより

環境が、あなたの行動にブレーキをかけるのではありません。あなたの行動にブレーキをかけるのは、ただ一つ、あなたの心だけなのです。

 

人間と動物の違いは何かといえば、両者の違いは考えられるかどうかにつきます。

山本義隆さんという在野の科学史家で、『磁力と重力の発見』(みすず書房)などすばらしい本を何冊も執筆している人がいます。元・東大全学共闘会議代表であり、予備校の物理の名物講師として長年教鞭もとっていた方です。

山本さんはあるインタビューで「人は何のために勉強するのか?」という質問に対し、「専門のことであろうが、専門外のことであろうが、要するに物事を自分の頭で考え、自分の言葉で自分の意見を表明できるようになるため。たったそれだけのことです。そのために勉強するのです」と答えています。

パスカルが『パンセ』で人間は考える葦であると述べたように。

つまり人が「考える葦」になるために、自分の頭で考え自分の言葉で自分の意見をいえるような人間を育てることが、教育の根源的な目的ということです。

そして「考える葦」としての人間の成長には完成も終わりもありませんから、この目的のためには子供の時期だけに限らず、大人になっても一生勉強し続ける必要があるのです。

そして、教養は「おいしい人生」を楽しむためにある。(教養)=(知識)×(考える力)となる。

 

 

阿部正弘は明治維新の父

阿部はアヘン戦争の状況など、世界の動きをつぶさに学んだあとで、やはり開国しなければいけないと決断します。国を開いて商売をして、お金を儲けて軍隊をつくらないと、日本も清の二の舞になってしまう。そこで阿部は、開国・富国・強兵とう日本国家の新しいグランドデザインを描いたのです。

その後の安政の改革で阿部は勝海舟や大久保忠寛、高島秋帆(しゅうはん)などのお開明派を登用し、陸軍の前身である講武所、海軍の前身の長崎海軍伝習所、東京大学の源流の一つとなる番所調所などを矢継ぎ早につくりました。

 

理性に全てを委ねるのは傲慢である

全てが合理的な『革新』とそうではない『保守』との考え方の対立は、ありとあらゆる分野で見られるものです。

全てが整備されたきれいな街に住むのが本当に楽しいのか。人間の本性に合っていないのではないか。

家もあれば飲み屋もあり、工場やオフィスもある、ごちゃごちゃ混ざっているほうが楽しいのだ、というのが保守主義です。理屈は分からないかもしれないが、人間が心地よいと思うものはそのまま残しておけばよい。人間の理性を信じない考え方です。

別の言い方をすれば、保守主義とは「仮置き」する思想です。賢くない人間には何か正しいかなど永遠にわからないのだから、うまく回っているものごとについては正しいと仮置きして放っておくわけです。

その意味で、「憲法は戦後、外国に押し付けられたものだから改正しなければいけない」などと理性で主張したりしています。しかし、今の憲法でそれほど困っている人がいるとはあまり聞いたことがありません。そうであれば、理屈はともかく、手を付ける必要はない。わざわざ寝た子を起こさなくてもいいというのが本来の保守主義の考え方です。

保守主義の根幹は「人間はそれほど賢くない」という人間観にあります。

 

EUの根幹は独仏同盟です。フランスのド・ゴール大統領と西ドイツのアデナウアー首相が胸襟を開いて話し合い、調印したエリゼ条約が基になっています。

「俺たちは普仏戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦とこの100年間に3回殴り合った。死力を尽くして戦った結果、俺たち欧州勢の力は低下し、遠くのソ連とアメリカが大きな顔をするようになった。戦って誰が得をしたかと言えばソ連とアメリカだ。これからは仲よくして、もうこれ以上よその奴らに大きな顔をさせるのはやめよう」

これがエリゼ条約の趣旨です。

さらに2019年、フランスのマクロン大統領とドイツのメルケル首相はアーヘン条約に調印し、エリゼ条約をさらに強化しました。

独仏関係が安泰である限り、EUはびくともしないでしょう。なぜならEUがバラバラになると、得をするのはEU以外の国であることを独仏首脳はよく分かっているからです。

 

別に私腹を少しぐらい肥やしてもいいと思います(もっとも、敬愛する大久保利通は、私財を公費に投じて死後に借金を残しましたが)。私腹を肥やす以上の儲けを社会に還元し、みんなが儲かる仕組みを構築できるのであれば。

 

感情は素直にだしてよい、ただし・・・

なにか判断をするときは、ひと呼吸置いた方がいい。頭がカッカしているときはろくな知恵も出てきません。

たとえば、カッとしたときはまずトイレに行き、顔をあらうことにする。そうすると席を外して顔を洗って戻ってくるまで45分はかかるでしょう。その間に感情がカームダウンするというわけです。

ローマ帝国の初代皇帝、アウグスティヌスは「ゆっくり急げ」ということわざを好み、この言葉を執務室の壁にかけていたという伝説が残っています。

 

シェイクスピアの翻訳で知られる小田島雄志さんは「人生の楽しみは、喜怒哀楽の総量である」と語っていました。

「仕事を頑張ったけれど出世できなかった」「実績十分なのに運が悪くて左遷されてしまった」と嘆いたり落ち込んでいたりしているビジネスパーソンは、勉強や考える力が足りない人です。

大企業であれば、社長になれる確率は0.1%に過ぎません。社長になれなかった残りの999人は、どこかの段階で全員左遷されることになります。それなのに「出世できなかった俺は不運だ」と嘆く必要がどこにあるでしょうか。現実をみる力が乏しく、なぜか「俺だけは出世する」と自己中心的に思っているだけです。

自分ではどうにもならないことをくよくよ考え続けるよりも、教養は「おいしい人生」を楽しむためにある。(教養)=(知識)×(考える力)なのだから、「知識」と「考える力」を高めていきましょう!!

 

ありがとうございました~!

m(_ _)m

 

2020年7月23日 (木)

城山三郎氏が亡くなられたあとに、生前の仕事に関するエッセイと亡くなられる2年前に「昭和の戦争文学(全6巻)」を出されたときの佐高信氏との対談、そして城山氏と友好のあった作家の方々の寄稿を載せた本「仕事と人生」城山三郎著 を読んで

 

とくに中高年になってからは「考えてからやる」ではなく「やってみた上で考えよう」へ!

 

戦時において、「忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず」な時代であったとしても、とくに特攻については酷かったと語られている。

ちなみに、この言葉は、主君に忠義を尽くそうとすれば親に逆らうこととなり孝行できず、親に孝行しようとすれば主君に背くことになり不忠となる。大切な二つのものの板ばさみになって進退きわまった状態のたとえ。平重盛が、父の清盛と朝廷との間で苦悩したときの言葉とのこと。

 

「戦争をしても失うものばかりで、得るものなど何もない。戦争で日本が唯一得たのは“平和憲法”だけだ。唯一得た平和憲法を絶対に守っていかなければならない」

 

それでも「この国」を愛さないわけにはいかない惻隠の情にも似た「愛国心」、城山文学が読者の心を打つのは、そこに同じような思いが流れているからである。とくに「落日燃ゆ」にはその思いが迸っている。情に流されず、膨大な資料に基づいて書き込まれた事実の重みから浮かび上がってくるのは、戦争を避けるために死力を尽くし、東京裁判でも「物来順応(ぶつらいじゅんのう:物来たればこれに応じて対処する(向こうから来るままに応じること)」の意味。 朱子の「近思録」にある言葉とも、佐藤一斎の「言志四録」の言葉とも言われている。)」の態度を貫いて死に赴いた孤高の政治家の姿である。そこには、権威の依存症から切り離されても、しっかりと国家を、そして自分を見据えている恬淡無欲(てんたんむよく:淡泊で欲がなく、物に執着しないさま)のひとりの人間がいる。今あらためて思い起こすべきは、この広田弘毅のことなのだ。

 

最後に、

城山氏は勲章嫌いとして知られている。「形式にこだわるには人生は短すぎる」という英国の作家スターンの言葉が好きだった城山さんは、少年兵として国家に裏切られたという思いもあって、勲章に拒否反応を示していた。「祖にして野だが卑ではない」の石田禮助や「運を天に任すなんて」の中山素平など、城山氏が取り上げた人たちにも勲章辞退者が多かった。

 

まあ、貰えるものは貰っておいてもよいように思うのは、俗物の自分だからかな~!?!?

 

ありがとうございました~!!

m(_ _)m

2020年6月15日 (月)

軍靴の響きが高まる1940年(昭和15年) アクチュアリー会報第1号掲載の「低金利と生保会社投資」を読んで、当時の日本が今の日本に似ていると感じましたヨ~~!!やばくない!?

 

1941年12月に太平洋戦争が始まります。その前年に書かれた論文になります。

出だしから

 

『未曾有の低金利情勢が続いている。不況下において事業資金需要は沈滞し金融は緩慢となり、しかも景気政策として低金利政策がとられ、更にまた近くは公債主義財政下にあって膨大な財政支出は金融緩慢を促進しつつある。現下の低金利現象は景気循環の一過程としての低金利ではなく、むしろ景気循環過程自体の“変容”と「自由金利時代より統制金利時代へ」の質的変化とを反映するものであるだけに、循環的な金利上昇過程を予想することはできない。従って、生保会社に対する低金利の重圧も当分これを免れ得ないと考えざるを得ない』

 

当時は戦費調達のために、金本位制度から管理通貨制度へ移行し国債を発行しまくり、お金も刷りまくる。そして、各金融機関も国債を買わされていたでしょう。

もちろん、日本銀行も1882年設立となりますので、当然国債を引き受けていたでしょう!

そのためには、低金利である必要があった。

 

そして、この問題を木っ端微塵に“ある意味で解決”(ご破算)したのが「太平洋戦争」になります。

 

現代でも、超々低金利が続き、国の借金は増大し続けている状況。

最初に金利を下げるまでは景気循環の一過程であったかもしれませんが、デフレが続き、一向に適切なインフレとならない、国の財政も破綻する気配があまり感じられない、と言うことで、国は勝手に!?国債の大量発行、そのために、お金を刷りまくる!ある種の“統制金利時代”になっていると捉えることができるように思います。

 

戦前当時と似ていることが不気味に感じられますが、今度、これを解決するのは「戦争」であってはなりません!

では、何なのか!?今のままでよいはずがありません!

国民一人一人が考えて行動するしかないのでしょうネ・・・

やはりキーワードは、

「基礎的財政収支(プライマリーバランス)の均衡~黒字化」、

世界で一番最悪の「債務残高対GDP比のピークアウト」と思います!

 

さて、1940年のアクチュアリー会報第1号掲載の「低金利と生保会社投資」を書かれた方は“山中 宏氏”とありました。

この方、同会報の第3号、第4号にも寄稿されていて、戦後も時々寄稿されていました。

1913年生まれ、会報第1号に寄稿した時は若干27となります!

東京帝国大学卒業後、明治生命に入社。アクチュアリー職と言うよりも資産運用部門を歴任、その後、社長まで昇りつめて、会長、名誉顧問も歴任。経団連常任理事も務められた。

おそらく、アクチュアリーではないように思います。

若い時分より「財界日誌」を毎日書く。

その目的は、トップマネジメントに資産運用についての情報を提供することであり、毎日午前中に書き上げ、トップ六、七名に回覧に供した。当時は、まだコピー機は無く、印刷にも手間がかかった頃だと思います。

この日誌は、1990『私の戦時財界日誌-歴史の目撃者の記録』にて発刊。

ほかにも著書に『生命保険金融発展史』、『生命保険読本』がありました。

2008年、肺炎のため逝去。享年94歳。

 

なんか、スゴイ方でしたねえ~。ビックリでした!

 

自らの精進不足をとても痛感!ありがとうございました~!

m(_ _)m



2020年6月 7日 (日)

「これでは企業も国家も滅びる」、覚悟の対談!軍靴の響きが高まる昭和14年生まれの保坂正康氏と丹羽宇一郎氏の熱論15時間を記した「負けてたまるか!日本人 私たちは歴史から何を学ぶか」(明日のためにどう生きるか)を読んで

保坂氏、丹羽氏、共に80歳を過ぎてなお“負けてたまるか!”という事である。

保坂氏、丹羽氏より、若い世代はもっと“負けてたまるか!!!”という気概が必要という事でしょう!!

 

保坂氏の好きな言葉が徒然草より「老いて智の若きに、まされる事、若くして、かたちの老いたるにまされるが如し」

これは、老いると若き時代よりは分別に智が伴うが、それは若い者が老いた者より肉体が溌溂としているのと同じことである、ということである。

 

では、お気に入りなところを、ご紹介!!

 

日本社会の空気とか、日本人の精神風土とかに関わる問題であり、相当に根が深い

曖昧模糊としたワンチームの日本を変えることは非常に難しい。その意味でも、この国の歴史を知ることが重要なんです。とりわけ戦争については。

日本の場合は言葉づかいからして、曖昧模糊としています。たとえば「保坂さんによろしく言ってください」とか。「何をなんだ、何をよろしく言うんだ」とアメリカであれば怒られますが、日本では通じる。

つまり、言語の違いだけでなく国民性の問題だから相当根深いんです。特に政治においては権限と責任が不明確な限り、曖昧模糊とした日本がずうっと続くんです。戦争の歴史を通じて、我々が反省しなきゃならないのは、曖昧模糊、無責任体制、権限・責任の不明確さ。それなのに、今もその精神風土はまったく変わっていない。こんなことをやっていたら日本はつぶれるぞ!

しかし、日本がつぶれては困ります。負けてたまるか、の精神を持つべきです。

 

 

いまの日本経済の実態を知らないから呑気に安倍政権を支持できるんです。

たとえば、日本銀行が東証1部上場企業の大株主になっている歪んだ状況。日銀は上場投資信託(ETF)の買い入れを毎年約6兆円規模で進めてきました。その結果、20199月の簿価ベースの保有残高は約27兆円。同時期の国内ETFの純資産総額は約40兆円なので、約7割を日銀が保有しているわけです。東証1部の時価総額は約598兆円だから、日銀は5%弱も保有している。

日銀はルビコン川を渡ってしまって(ある重大な決断・行動をすることのたとえ)、いまさら戻れません。7割ものETFなんて売るに売れない。そのおかげでゾンビのような企業の株価まで上がっていて、実際の業績を表さないような株価になっている。さらに、株価の動きが固定化されて、マーケット時代がどんどん小さくなる可能性も高い。東証の最大株主のGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)が保有している株式と合わせたら約65兆円。こんなにも公的機関が買い支えている株価は、本当に常軌を逸しているんです。そういうことをメディアがあまり報道しないから、日経平均が高いなんて、平気で喜べるんでしょうね。

 

いま東京電力の大株主は誰なのか。原子力損害賠償・廃炉等支援機構が約55%も持っています。この機構の資本金は政府出資が70億円、原子力事業者等12社が70億円です。つまり、国の支援がなければ東電はほとんど破産しているわけです。福島第一原発の事故処理に22兆円かかると経産省は言っています。東電本体の税引後利益は約2000億~2500億円です。ということは100年間、儲かった利益を全部補償に回すという計算になる。そんな企業が成立するわけがないのだけれども、ずうっと一民間企業として上場されているんです。

僕はこうしたことも日本の曖昧さが出ていると思う。東電の経営主体はいったい誰なのか、誰が責任を持っているのか。“政府”なのか“東電”なのかよくわからないまま、なんとなくどっちつかずの状態をずるずる続けているんです。権限と責任が曖昧模糊としたまま進んでいく。それでは社会的責任は果たせないでしょう。

 

 

保坂氏は「瀬島龍三」という本を書かれていますが、瀬島氏は丹羽氏の伊藤忠時代の上司でもあったため、瀬島氏の話も出ていました。

瀬島龍三の「三つにまとめろ!」

理由は、四つじゃ多い、二つじゃ短い、三つしかないだろう」「右・真ん中・左とか、上・真ん中・下とか、三つというのが社会の約束事だ」ということのようです。

 

 

僕(丹羽氏)の持論は「権腐6年」。権力者は6年で腐るからその前に組織のトップを退け。だから僕も伊藤忠の社長を6年で辞めました。なぜ腐るかというと、自分の言うことを何でも聞く「子飼い」の部下を育てるようになるからです。そうなったら独裁下して、部下もかわいそうだし、組織もおかしくなる。もちろん、そうしたら企業がうまくいくというのではなくて、それをやらないと権力を持った人間はどうしても悪臭を放つようになるんですね。

 

年収1億円の社長と年収500万円の平社員の場合、月20日間、18時間働くとすると、社長の時給は52000円、平社員の時給は2600円くらいです。つまり社長は、トイレに行ったり新聞読んだり、ゴマをすられている間でも、1分間に約866円も天井からチャリンチャリンとお金が落ちてくるわけですよ。平社員の1分は約43円だから、「てめえら、いい加減にしろ」と昔から思っていたんです。社長と言ったって、秘書になんだかんだとやらせているんだし、そんなにもらえるほど仕事していないだろう。

昔は坊主と乞食は三日やたらやめられないと言ったけれども、社長だって三日やったらやめられないんです。そういう点を社長は自覚して、ちゃんと反省しないといけない。そのためにも、MBAも大事だが、日本の庶民がどれだけ苦しんできたか、日本の文化と歴史も学んでほしいと思うんです。

 

ビジネスマンは若いうちにどんどん勉強しないとダメだと思います。一日の読書時間が「ゼロ」という大学生が5割以上もいるそうですが、そんなことを社会人になっても続けていたら、ろくな仕事はできません。

 

そして、「乱読」のすすめ。自分が知らないことを知ったり刺激を受けたりするのが読書なんだから、知らないことが山ほどある以上、手当たり次第に読む以外にないわけです。

読書に限りません。「とにかく勇気をだして一歩前に踏み出しなさい」ということ。

じーっとしていますね、今の日本人は。小さなコップの濁った水の中で騒いでいるだけで、一歩も外に出ようとしない。それじゃあ、若さがもったいない。さあ、いまこそ勇気と決断の時だ。特に若い君たち、未来へ踏み出せ!

 

~~~ お二人のお薦めの本 ~~~

なんというか、

お二人よりも、若い作家のおすすめ本は、大城貞俊氏(1949年生まれ)の「1945年 チムグリサ沖縄」の一冊のみ!

あとは、全てお二人よりも世代が上の方々でした。

まあ、歴史を学ぶ上では、お二人よりも歴史に長けている人物、それは、さらに年上の人物になるからかもしれませんが、なかなか手に入りにくい本が多いように思いました!

大城氏の本ですら、アマゾンでも入手困難!

でも、できる限り読んでみたいと思います!!

 

日本の教養、宮本常一(つねいち)の「忘れられた日本人」、

民俗学者 柳田國男の「遠野物語」、「都市と農村」、「婚姻の話」

和辻哲郎の「風土」、「鎖国―日本の悲劇」

矢内原忠雄の「余の尊敬する人物」、書かれているのは古代ユダヤの預言者エレミヤ、日蓮、リンカーン、新渡戸稲造の4

岡義武の「山県有朋―明治日本の象徴」、「近衛文麿―運命の政治家」

日本中世史の専門家 横井清の「中世民衆の生活文化」

明治を知るには陸羯南(くがかつなん)の「近時政論考」

イギリスの歴史家 EH・カーの「歴史とは何か」

古典ギリシャの歴史家 テウキュディデスの「歴史」

フランスの作家 モンテーニュの「随想録」

カール・フォン・クラウゼビッツの「戦争論」

内村鑑三 「代表的日本人」、書かれているのは、西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮という5人。若者が読むにはいい本だと思う

桐生悠々

石橋湛山

清沢洌(きよし)

永井荷風

大城貞俊「1945年 チムグリサ沖縄」

ショーペンハウエルの「読書について」、「死について」

アランの「宗教論」

トルストイ

モーパッサン

アンドレ・ジード

 

中高年世代ですが、これからは人生100年時代!!日本を澄んだ水にできるように、まだまだ、少しでも役立てるように行動していきたい、と思いました!!

 

ありがとうございました!

(_ _”m)

2020年5月17日 (日)

座右の書『貞観政要(じょうがんせいよう)』 中国古典に学ぶ「世界最高のリーダー論」 著者 出口治明氏 を読んで! 

 

「貞観政要」は、唐の第二代皇帝、太宗(“たいそう”とは、太祖(創業者)に次ぐ功績のあった皇帝に与えられる廟号(死去した後に贈られ、廟に載せられる名前のこと))・李世民(りせいみん、598年~649年)の言行録です。

「貞観」とは、当時の元号(西暦627649年)のこと。貞観の時代は、中国史上、もっとも国内が治まった時代(盛世)の一つといわれています。

「政要」とは、政治の要諦のことです。

太宗は約24年間、帝位に就いていましたが、唐朝(西暦618年~907年)の基礎は太宗と次世代の武則天によって確立されたと言われています。

 

出口氏の座右の銘のひとつが「貞観政要」で述べられている「三鏡」の教え、リーダーは三つの鏡を持たなければならない、という教えです。

・鏡に自分を映し、元気で明るく楽しい顔をしているかチェックする(銅の鏡)

・過去の出来事しか将来を予想する教材がないので、歴史を学ぶ(歴史の鏡)

・部下の厳しい直言や諫言を受け入れる(人の鏡)

 

リーダーのもっとも重要な役目は、

「スタッフにとって、元気で、明るく、楽しい職場をつくること」だと言う。

 

では、怒りや好き嫌いといった感情を抑え、元気で、明るく、楽しそうに振舞うには、どうしたらいいでしょうか。

いちばん大切なのは、毎日の体調管理をしっかりすること。体調が悪いと精神状態が荒れやすく、人間は不愉快になります。

たっぷり食べて、たっぷり寝ることです。

そして、不愉快なことが起こったときには、仲のいい友だちとお酒を飲んで、上司や職場の悪口をめいっぱいいって、スッキリさせる。そして翌朝の職場には負の感情を持ち込まない。心身ともに自分をコントロールできなかったら、絶対にいい仕事はできません。

 

人の成長に欠かせない三つのポイント

・読書、本を読むとは、つまり、歴史から学ぶことです。悲しいことながら人間には過去の出来事以外に十分な教材がないので、本を読んで、先人のロールモデルとする必要があるのです。

・文章、文章を書くことで、自分の考えや情報を整理することができるからです。アウトプットするときは、文章にしたほうがよい。文章に書き起こし、一つの文脈として覚えたほうが、記憶に残るのです。

・人との交流

上に立つ人は、裸の王様にならないように、苦言を呈してくれる人をそばに置いておく必要があります。人と交わらずに、自分ひとりで考えたところで、正しい判断はできません。

「小人閑居して不善をなす」ということわざがあります。「つまらない人間が暇でいると、ろくなことを考えない」という意味ですが、暇でいるよりも、少しくらい忙しくしている方が不満が出ません。

 

優秀なリーダーでも「管理できるのは10人が限度」

チンギス・カアンやクビライ・カアンによる「遊牧民の十進法」より、遊牧民の長い経験則から「人間の能力はそれほど高くはない」「一人の人間が管理できる部下の数は10人が限度(手取り足とりのマイクロマネジメントができるのは、2人、3人が限度)であることをよく知っていた。そして、太宗もまた、人間の能力はそれほど高くないことをよく知っていた。

そして、少数精鋭とは、「少数」にするから、「精鋭」が生まれる。

 

最後に、

「人生はプラスマイナスゼロではない。絶対値として考える」

 

人生の楽しみは喜怒哀楽の総量で決まる。例えば、失恋をして「マイナス500」悲しんで、その後、新しい恋人ができて「プラス500」喜んだとします。このとき、プラスマイナスゼロではなく、「絶対値1000」ということです!

 

ありがとうございました~!

m(_ _)m

 

2020年5月 5日 (火)

よ~し“人生を面白くする本物の教養”を身につけるぞ~!!と言うことで、出口治明氏著書「人生を面白くする本物の教養」を読んで

 

“行動”につなげるために、腑に落ちたことメモしておきます!

 

知識は手段、教養が目的

教養を身につけるには、ある程度の知識が必要です。

しかし、知識はあくまで道具であって手段に過ぎないということです。

知識が必要なのは、それによって人生の楽しみが増えるからです。

知識はその人の興味の範囲を広げてくれます。それが「教養化した知識」です。

 

「自分の頭で考えられる」ことが教養

ものごとを自分の頭で考え、自分の言葉で自分の意見を表明できるようになるため、たったそれだけのことです。そのために勉強するのです。

「自分の頭で考える」際には、「腑に落ちる」と言う感覚が一つのバロメーターになります。

 

「タテ」と「ヨコ」で考える。

物事を考えるには、いくつかのコツがあります。その第一は「タテ」と「ヨコ」で考えるということです。

「タテ」は時間軸、歴史軸、「ヨコ」は空間軸、世界軸です。

「タテ」の発想で先人が繰り返した試行錯誤から学び、「ヨコ」の発想で世界の人々の考えや実践法を学ぶことは、大きなヒントになります。時間と空間を乗り越え、市場の淘汰にさらされてなお残っているものは、合理的な最適解である確率が高いのです。

 

「数字・ファクト・ロジック」で考える

物事の本質はシンプルなロジックでとらえるべき

「何かにたとえて」考える

 

「古典」は無条件で優れている

百年以上生き残ってきたものは、まず間違いがありません。

人智・年月の淘汰に耐えて生き残ったもの、人類の経験知の集積として評価されているものが古典です。古典の定義はいろいろありますが、「岩波文庫や東洋文庫に入っている本と考えておけば、まず間違いありません。古典は優れたプロのコーチです。

 

少しでも魅力を感じたら、とりあえず読んでみる

作者で選ぶという方法もあります。例えば、私(出口氏)は辻邦生高橋和巳の本は全部読んでいます。塩野七生もそうです。山田詠美氏や佐藤賢一氏もすべて読んでいます。西洋美術史家の若桑みどりの著作も全部読んでいます。

 

教養の源として「本・人・旅」という分け方をしていますが、どれも基準は「面白いかどうか」

 

人間が将来に備える唯一の方法は“歴史”に学ぶこと

 

イギリスのチャーチルの言葉

「選挙に立候補する人間は、私を含めて、ろくでもない人ばかりである。」

選挙に出る人は、異性にもてたいとか、お金を儲けたいとか、目立ちたいとか、権力を握りたいとか、せいぜいそんなところが実際の目的だと毒舌家のチャーチルは言うのです。続けてこう語っています。

「選挙とは、ろくでもない人のなかから、現時点で税金を上手に分配できそうな少しでもましな人を選び続ける忍耐そのものを言うのである」

「だから民主主義は最低の仕組みである。ただし、王政や貴族政治、皇帝政治など人類のこれまでの政体を除いては」

政治家や民主主義に過度の期待を抱いてはいけない、のだ、と。だから、いい政府を作るには相当な忍耐がいるし、政治家に立派な人格を勝手にイメージしてはいけないし、安易に政府や政治家を信じてはいけないのだとチャーチルは訴えています。

民主主義は決してベストではなく、ベターがせいぜいだということを認識しておく必要があります。ベターである以上、いつワースあるいはワーストに転げ落ちてもおかしくありません。民主主義を厳しいめで見つめなければならないのです。

政府は市民から離れ敵対して存在しているものではなく、私たち市民がつくっていくものなのです。

 

人間の能力はみんな「チョボチョボ」

人間の能力はみんなどっこいどっこい、チョボチョボだと思います。

だから、現実に仕事をするうえでは能力の違いよりも相性や、やる気の問題のほうが大きいと思います。

一緒に楽しく仕事ができてやる気のある人のほうがいいのです。

少数精鋭主義という言葉がありますが、「精鋭を少数集める」のではなく、「少数だから精鋭になる」と考えています。

 

ありがとうございました~!

m(_ _)m

 

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