どのカテゴリーにも属さないが気になっていること

2017年6月 4日 (日)

「増補版赤ペンチェック自民党憲法改正草案」 伊藤真著 を読んで

 

最初に、自分は“平和”を希求していますので「護憲派」になります。

 

そこで、気になることは、自衛のための“武力”を持たなくて大丈夫なのか。日米安全保障条約があるから大丈夫なのか、と言うことがあります。

 

 

 

それは、伊藤真氏のブログに書かれていました。

 

ちなみに、伊藤氏自身も「護憲派」になります。

 

 

 

推進していくことは難しいかもしれませんが、必要だと思いましたので、記録!!

 

 

 

「集団的自衛権」と「集団安全保障」との違い

 

自分の国を守るために、自国の軍備を拡大するとどうしても軍拡競争となり、かえって地域の軍事的緊張が高まります。紛争の火種を抱えることになり、地域の安全保障の障害になります。そこで、自国の戦争する権利を制限して、周辺諸国と信頼し協力しあうことで「安全保障」を実現しようという試みが生まれたのです。

 

 

 

独立国家としての主権を制限することによって、むしろ国家の安全を守ろうとするのですから、これまでの自衛権の発想とはずいぶんと方向性が違います。むごい戦争を経験した人類が到達したひとつの知恵といってもいいかもしれません。これが「集団安全保障」という考え方です。

 

 

 

 「集団安全保障」というのは、多くの国があらかじめ友好関係を結び、相互に武力行使を禁止すると約束して、お互いの国家主権を制限します。もし万が一、この約束を破って他国を侵略する国があれば、侵略された国が自衛権を行使して反撃するのではなくて、他のすべての国が協力してその侵略を止めさせようとするのです。

 

 

 

「集団的自衛権」は、同盟国の敵を自分の敵として反撃しようとするので、同盟国だけで結束し、それ以外は敵とみる、いわば排除の論理を前提にしていますが、「集団安全保障」は、仲間を信頼して、共同して問題を解決しようという共生の論理を前提にしています。その前提とする発想がまったく逆向きなのです。

 

 

 

国連憲章は、先に述べたようにこの「集団安全保障」を原則としました。国際政治の現実への妥協から自衛権の行使を禁止することはできませんでしたが、あくまでも集団安全保障の方向で問題を解決しようという姿勢は明確です。

 

 

 

その後、1946年に制定されたフランス憲法でも「平和の組織および防衛に必要な主権の制限に同意する」として、個々の国が自分たちの力だけで、自国を守るという伝統的な発想から解放されたのです。その後ドイツでも安全保障のために国家主権を制限する憲法を制定します。

 

 

 

そして、こうした「集団安全保障」のために国家主権を制限するという発想は、幣原喜重郎によって提案された日本国憲法9条と前文に端的に現れています。日本は国家主権としての戦争を放棄し、自国の安全を維持する手段としての戦争も放棄したのです。

 

 

 

現在の潮流にある集団安全保障の考え方

 

以上のように、独立国家だから、自分の国を自分たちでまもらなければならないという考え方は、自分たちだけで守るべきだという意味であれば、それは時代遅れの発想ということになります。世界の流れは、たとえ国家の主権を制限しても、「集団安全保障」のしくみをいかに構築していくかに焦点が移っているのです。

 

 

 

もちろん、ヨーロッパでも移民の問題や人種、宗教の問題など、“安定した集団安全保障の仕組み”を作り上げるには、まだまだ多くの難問を抱えています。国連も十分に機能しているとはいえません。しかし、他国と協力して集団安全保障を図っていこうとする枠組み自体は否定されていません。地続きのヨーロッパでは自国の軍事力だけで自国を守ろうとすることがいかに非現実的かよくわかっているからでしょう。

 

 

 

日本も、アジアの一員として存在し続けるためには、大陸や朝鮮半島の国々と協力関係を築き、アジアにおける「集団安全保障」の枠組みをいかに構築するかという大きなテーマを議論する時期に来ているように思われます。アジアでは、経済問題のみならず、エネルギー問題、環境問題、自然災害対策など私たちの生存に必要な課題が山ほどあります。

 

それらの問題を軍事力強化によって解決できるとはとても思えません。

 

 

 

こうした我々の生存や生活を脅かすあらゆる脅威からの安全を確保するためには、アジア各国との信頼関係、協力関係の構築は不可欠のはずです。そのときに他国の軍拡路線に惑わされて、日本の基本的な軸がぶれることは、日本のみならず、アジア、ひいては世界の安全保障に大きなダメージを与えることになるでしょう。

 

 

 

自国の住民を守るために、国家の主権すら制限し、より広い範囲で広い意味の安全を確保するための努力が必要だと考えます。

 

感情論ではなく、理性と知性によって、より安全に快適に暮らせる社会をつくることに努力するべきです。そうした知性を発揮することは、国力を高めることにもつながり、日本が国際社会において名誉ある地位を占めることにつながるのです。

 

私たちひとり一人が、他国の脅威論やわかりやすい暴力肯定論に惑わされるのではなく、本当に必要なことは何かをしっかりと具体的に考えることが必要です。そのために憲法9条は重要な意味を持っているのです。

 

 

 

より詳しくはコチラ

 

http://www.magazine9.jp/article/juku/7432/

 

 

 

ありがとうございました~!

 

m(_ _)m

 

51hr5lt5nhl_sx350_bo1204203200_

 

 

2014年9月14日 (日)

「コラプティオ」 (真山 仁著)を読んで-番外編

 

“物語”とは別に気になったところとして・・・

 

※黒字は本より、緑字は一人言です!

 

 

 

「職業としての政治」 マックス・ウエーバー著(P182472

 

「虚栄心」は政治家にとっての大罪だと言っている。無論、政治家は無欲な解脱者(人智の進歩を指し、あらゆる束縛、煩悩からの解放を意味する。悟りとは自己の要素の認識・苦しみからの解放を指す)であるべしとは思わない。そんな人物には魅力がない。虚栄心や欲望は大なり小なり必要で、それが充たされることで、政治家はさらに大きくなる。ところが、虚栄心というのは本人が気づかぬうちに膨張し、理性や自省を食い潰す。慢心を生み権力に溺れて、本来有していた“徳”を崩壊させてしまう怪物だ。

 

 

 

「職業としての学問」は読んだことがありましたが(内容は、ほぼ忘れてますが・・・)、“政治”はあまり関係ないかな~と思い読んだことがありませんでしたが、興味が湧きました!

 

 

 

「君主論」 マキャベリ(P213

 

「意志の勝利」 ヒトラー(P280

 

どちらも個人的には嫌いですネ~

 

 

 

ゲーテ(P288

 

権力を得るということは高くつく。つまり権力は人間を愚かにしてしまう。

 

チャーチル(P288

 

悲観主義者はすべての好機の中に困難を見つけるが、楽観主義者はすべての困難の中に好機を見出す。そうだ、楽観主義で行こう!

 

 

 

マスコミの本分 『権力の監視』 (P230

 

 

 

なるほど~!

 

 

 

そして、お酒や食べ物については、

 

「十四代 純米大吟醸 龍泉」が出てきましたヨ!

 

ごく最近まで日本酒は飲めなかったのですが、会社の同僚に「獺祭」を教えていただく機会があり、とても飲みやすく感じて、それから少しずつ?日本酒が飲めるようになりました。そこで、どんな日本酒?とググってみたら、滅茶苦茶に高いのでビックリでした。一升瓶一本20万円・・・とても飲めませんネ~・・・

 

あと、

 

「アイリッシュモルト(ウイスキー)」(アイルランド共和国および北アイルランドで生産される穀物を原料とするウイスキー) (P301)や「バーボン」(ウイスキーの一種で、原料の穀物中にトウモロコシを51%以上含んでおり、定められた製法でつくられたもの)(P393)も登場!

 

そして、お寿司屋さんでは、麹町にある「蛇の新」さん(P431)がありました。

 

食べログでは、3.0と普通のようですが、回転しないお寿司屋さんとしては、価格は高くないようなので、一度行ってみたいと思いましたヨ!

 

 

 

ハーバード大学のサンデル教授の正議論より、(P438

 

教授が唱える“美徳を涵養する”ことと“共通善”で『政治』は回らないと・・・

 

「正義」の概念は千差万別であり、道徳的な色合いが濃すぎて現実の『政治』には馴染まない。

 

 

 

なるほどネ~!

 

 

 

どんな状況でも人は生きられる。(p489

 

 

 

ふむふむ・・・

 

 

 

「言葉とは力」

 

コラプティオは言葉と言葉の闘争の物語である、と。

 

 

 

“言葉”って、大事に使わないといけないですよネ!

 

 

 

真山氏の本では「ハゲタカ」がとても印象的で、自分の勉強にもなりましたが、「コラプティオ」も良かったです!

 

ありがとうございました!

 

m(_ _)m

 

L_koraputhyo_b_o

 

080927

 

 

 

 

 

2014年9月 8日 (月)

「コラプティオ」  真山 仁著 を読んで 

 

(あらすじ)

 

東日本大震災、原発事故の後遺症で苦境が続く日本に、有言実行を旨とする宮藤総理が登場したことで、明るい兆しが見え始めた。内閣調査官・白石は、異能の首席秘書官・田坂と共に、宮藤が掲げた“約束”の実現に向けて奔走する。白石の同級生で大手紙の記者・神林は、先輩の名物記者・東條に叱咤されながら、政府・企業を相手のスクープ取材に身を投じていく。物語の舞台が政情不安を抱えるアフリカの小国、ウエステリアに及んだ時、誰も予想しえなかった危機が幕を開ける。

 

 

 

そして、

 

corruptio ラテン語で「汚職・腐敗」の意

 

 

 

その宮藤政権が、原子力発電の燃料となるウランを巡って、腐敗/専制化していく姿を記した小説です。

 

 

 

***

 

(真山氏インタビュー記事より)

 

『コラプティオ』で描かれた舞台設定は、3.11の東日本大震災後の日本である。さらに、震災復興の中から現れたカリスマ総理が原子力政策を推進するという驚きの内容だ。

 

「政権交代当初から注視していましたが、どう考えても政治がこのままで良くなるとは思えませんでした。そこでまず、強いリーダーシップを持った総理はどういうものかを提示したかった。『コラプティオ』は102月から始まり、11年の3月に完結した連載小説でしたが、震災と原発事故を踏まえて作品を発表すべきと考え、原稿用紙換算で約500枚分を書き直しました」

 

「今回の挑戦の一つは『政治って面白い』と読者に感じてもらうことにあります。そのため、政権を担っている60代の視点ではなく、あえて政治の世界で初心者扱いされている30代の2人の主人公の目線で物語を進めました。普段は政治に馴染みがない若い人に政治の醍醐味を感じてほしいと考えたためです。そのうえで、政治に関心を持つことで社会を変えられるかもしれない、と思ってもらえればうれしいです」

 

 

 

小説は「日本再生」の鍵として原発輸出を掲げている。

 

福一の事故の決着がどうなるのか分からないとはいえ、おそらく当分は、原発はタブーとなるだろう。世界中の原発が停まる可能性もあった。そんな中で、同作を従来通りの構想で終わらせるわけにはいかない。それどころか、作品を発表するべきではないのかもしれないとまで思った。

 

 

 

日本も世界も原発を切り離せないところまで来ているという事実から目を逸らすべきではない。そう感じた。

 

 

 

小説とは、時に現実には起きそうもない事態を想定し、読者に問題提起をするものだと考えている。そういう意味で、『コラプティオ』は、私自身が小説家としての覚悟を再確認できた忘れられない作品である。

 

 

 

***

 

「日本経済新聞」より

 

二重の意味できわめて刺激の強い近未来ポリティカルサスペンスだ。どちらも「震災後」日本の明日にかかっている。ぎらぎらと強すぎるのは作者の個性か。

 

 政治に強力なリーダーシップを求める声はよく耳にする。本書に登場する首相はプーチン型の独裁者だ。疲弊した国民に希望を与え、ナショナリズムを鼓舞する。この人物は、ウラン資源を求め、アフリカの政情不安定な某国(架空)と太いパイプをつなぐ。これがメーンプロット。

 

 ここから、本書の第2の(強烈すぎる)テーマが浮上する。それは「もっともっと原発を推進せよ」だ。狭い日本に原発を増やせ、ではない。原子炉輸出を基幹にすえた国家ビジネスで広い世界に打って出よ、というのだ。

 

他に再生のオプションはない? 

 

これは数年前の著者の作品『マグマ』で地熱発電の可能性を描いた作者ならではの「提言」だろう。

 

***

 

そこで、ある方の「マグマ」を読まれての感想では、

 

「マグマ」、この本が書かれたのは、20062月。

 

実に手際良く、地熱発電の仕組みについて解説している。著者の綿密な取材がうかがわれる。そして、地熱発電に未来を託して、環境を保護し、持続可能なエネルギーとして位置づけている。単なる小説では無く、地熱発電のことを理解する本としても、非常に役に立つ本である。

 

この本だけで、地熱発電について判断を下すのは適切ではないが、日本の地熱発電は政府が主導して、規制を適切に運用すれば、非常に有望なのではないかと思われる。

 

***

 

 

 

地熱発電を理解し、原子力発電に代わる代替エネルギーを勉強されている真山氏が、それでも原子力発電の技術を国家戦略にせよ、とする提言には重みを感じました。

 

 

 

今の安倍政権は、この本を参考とされているのでしょうか!?原子力発電の技術を海外に売ろうとしていますよネ・・・

 

 

 

日本のエネルギー自給率はたった4%。風力や地熱などの再生可能エネルギーでは、いまだ原子力発電を代替できない。また、原発の停止によってLNG火力発電の燃料費がかさみ、1日当たり100億円の国富が海外に流出しているらしい。

 

 

 

今年4月に閣議決定された「エネルギー基本計画」(要旨)でも、原子力発電がベースに置かれているのですネ・・・両論併記でお茶を濁している感ではありますが・・・

 

 

 

一、福島の復興・再生を全力で成し遂げる。東日本大震災前に描いたエネルギー戦略は白紙から見直す

 

一、原発はエネルギー需給構造の安定性に寄与する重要なベースロード電源である

 

一、原子力規制委員会が規制基準に適合すると認めた場合、その判断を尊重し原発の再稼働を進める。国も前面に立ち、立地自治体の理解を得るよう取り組む

 

一、原発依存度は、省エネルギー・再生可能エネルギーの導入などで可能な限り低減させる。安定供給、コスト低減などの観点から、確保していく規模を見極める

 

一、核燃料サイクル政策は、再処理やプルサーマルなどを推進し、中長期的な対応の柔軟性を持たせる。もんじゅは廃棄物の減容・有害度の低減などのための国際的な研究拠点と位置付け、研究計画の成果の取りまとめを目指す

 

一、高レベル放射性廃棄物の最終処分場の立地選定で、国は科学的により適性が高いと考えられる地域を示し、立地への理解を求める

 

一、再生可能エネルギーは重要な低炭素の国産エネルギー源である

 

一、再生エネルギーは平成25年から3年程度、導入を最大限加速し、その後も積極的に推進する。これまでの基本計画を踏まえて出した水準(32年に13・5%、42年に約2割)をさらに上回る導入を目指す

 

一、再生エネルギーの関係閣僚会議を創設し、政府の司令塔機能を強化する

 

一、電源構成は、原発の再稼働、再生エネルギーの導入、地球温暖化の国際的な議論の状況を見極めて速やかに示す

 

一、国と電力会社は「安全神話」に陥り、悲惨な事態を防げなかった深い反省を一時たりとも放念してはならない

 

一、水素社会の実現に向けて取り組みを加速する

 

一、再生エネルギー・省エネルギー技術、原子力などのインフラの国際展開を推進する

 

一、電力、都市ガスの小売りを全面自由化する方針。エネルギー市場を統合し、総合エネルギー企業への発展を促す

 

※「水素社会」とは、従来の化石燃料は、燃焼させるとCO2を排出しますが、水素は廃棄物として水しか出さない文字通り“クリーンエネルギー”です。しかも、水素は化石燃料の3倍以上の燃焼エネルギーを持っていますので大規模電力発生源として申し分ありません。また、水素と空気との化学反応を利用した燃料電池では小規模分散型電源として自動車を動かすことができます。勿論、放射能も出しませんし、化石燃料のように、産地に偏存することも無く、枯渇の心配もありません。したがいまして、地球温暖化問題や大気汚染も無く、資源戦争も無い平和で人間らしさ世界を取り戻すための夢のような社会を創りだします。この水素社会の立役者“水素”を如何にして自然エネルギーから経済的に作りだし、かつそれを安全に取り扱うかが、大震災から立ち直ろうとする日本の「課題」です。

 

 

 

個人的には、原子力発電を無くせるように、まずは縮小する努力をすべきでは、と思っております。

 

後代世代に負債を残すことになると思うからです。「社会保障制度」と同じです。

 

 

 

ありがとうございました!

 

m(_ _)m

 

 

 

51wxjoiaql

 

 

フォト

最近の記事

2024年4月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        

最近のコメント

最近のトラックバック

ウェブページ

無料ブログはココログ

Twitter

  • twitter

このブログ内で検索